私は中学校から京都で同志社に入り、大学まで進んだ同志社ボーイです。
京都に戻ってからはたまに今出川の校地を散策することもあります。
一応、母校のOBのコミニティサイトなんぞも覗いていますが、何だかこのところ事件もありましたが。そのリアクションやリプのレベルの低さに驚きます。頭の悪いというのか、バイアスにかかりやすい、騙されやすい、融通の利かないのには辟易とします。10年も世話になって母校愛がないつもりではないのですが、ちょっと問題があると自分の卒業した学校のブランドが棄損されたような被害意識で、正義感のようなものを見境なく振りかざして満足する後輩や先輩が多くて、そのことが嘆かわしいです。
棄損されるような内容の事件そのものが、いいとか悪いとか議論していないはずですが、火がつくと文章が読めないのです。
OBが不祥事を糾弾する行為は、どこまで行っても自分の買ったブランドモノのバッグが傷つけられた被害者意識を、エセ正義感に転嫁して憂さ晴らししているようにしか見えません。
大学は自治、自由なものですし、スポーツや芸術などに秀でてそれを中心に活動している人は過去からいました。有名なアスリートが輩出され、文学賞を獲ったり、有名な俳優や実業家が出れば、自分のことのように自慢しておいて、いざ不祥事や事件が起こったりすると癇癪を起す。もう小さな子供駄々っ子と同じ心理だと思います。
自分の時代の方がコンプライアンス、SDGsなどもなく人権的にはひどかったのに、今は少しこういう問題に抵触すると「時代遅れ」とか上から目線で偉そうなことを言うのです。年齢は食っていても頭は幼児のままか、それ以上に硬直して厄介な人々です。
大規模の大学で、人を集めるのであれば当然一定の割合で不祥事をやらかす悪人も常に発生します。同志社が一流のブランドだと褒められた経験は皆無ではありませんが、国立や早慶には負けますし、早慶とか東大だからどうではなく、問題はその人の力であり人となりです。卒業して何年もたつOBは目の前の仕事や家庭、地域のことに目いっぱいでいいのであって、母校がスポーツつやらで上がろう下がろうが何の影響もないことです。
そんな母校の盛衰など私はあまり気にならないです。思い出としてはもっていますが、まあ時々勝ち進んだらスポーツを応援する程度です。決して自分の評価も上がらないし、下がらないのです。気にすることが無駄です。