55号のホームラン王の時代

 1964年(昭和39年)に王貞治が打った1シーズン55本という記録はその後長らく破られなかった伝説的な記録です。その後、55本に並びその後は2000年以降に、忖度の敬遠で超えることができなかったローズ、カブレラが現れ、バレンティンがついに60本に到達しますが、いずれも外国人選手でした。今回60年近くかかりついに日本人で55本ものホームランを打つ日本人の若者が現れました。
 1964年に記録された55本は、5歳当時の私の記憶にありません。その後の王選手が円熟して、1977年に856号の世界記録と騒がれた頃がリアタイの中学生でした。この記録からネーミングされた芸名、コント55号という二人はお笑いの世界で時代を席捲しました。

コント55号という名前も現代にも通じる斬新なイメージがあります。主に平凡な坂上二郎がエキセントリックな変人萩本欽一に振り回されるような設定のコントも、今キングオブコントでもいけそうですし、東京03がやってもいいようなシュールな面白さや激しい動きがありました。バラエティで野球拳という今では放送できないような破廉恥な内容でブレイクしたため、一時期低迷で二人のコンビは減り、坂上は俳優を中心に活動し、萩本は単独の冠番組で再び一世風靡しました。新しい漫才ブームで浅草からツービートなどの出るだいぶ前の時代で、コントやバラエティー番組の基礎を築いたとも言えます。

 スポーツとしては野球しかない時代なので、55号といえば王選手のホームラン55本を誰もが連想した時代。現代は村上宗隆、大谷翔平といえどもここまで記録は上回っても日本中を席捲して誰もが知っている時代ではなくなって、多様化した時代です。
 

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