ドスコイと呼ばれたOさんの思い出

写真は関係ありません

 ドスコイというと日本プロ野球西武ライオンズの主力打者で体格の良い山川穂高選手が、ホームラン後のパフォーマンスが有名で、彼の愛称でもあります。
 今日紹介するのは、山川選手でもなく、力士でもない、化粧品会社の女性です。(時々、若干はプライバシーもあるのでぼかし、修正しながらその人との軌跡を紡ぎます) 

 いろいろな人に出会った会社時代、個性あふれる人、いやな人物もいれば、尊敬できる人もいました。紹介したくなる偉い人も、反面教師もたくさんいます。

 別の小説やドラマや映画の創作を見ていて、奇跡とか奇矯な現実離れした話、それでも運命の気まぐれにほろっとくるような物語はありました。
 現実の出会いも平凡な市井の人だけど、こういう人生もあるのかと思いました。
 

 ある県で、結構イケメンで仕事もそつなくこなす男性社員がいまして、その妻となったのが彼の配下のチームにいたまとめ役的なリーダー、「ドスコイ」ことOさんでした。
  私が夫君の方と先に、彼が転勤後に同じ支店のエリア、部課で仕事をしてました。イケメンの彼がなぜ、ドスコイさんを選んだのか、周りの女性からも不思議がる感じを伝わっていました。私は一体どういう相手なのかと思っていると、しばらくして逆に私が彼女が残っていた県の支店に配属され、彼女の上司となる縁となりました。

 初めて歓送迎の宴で現れた彼女は、歩いて来て座るのに「ドスコイ!」の声がかかるほどのまさに恰幅の良い、女相撲みたいな丸い体形の女性でした。

 いったいイケメンのO君が何でこんな女性をと正直私も思いました。当時まだ私は独身でしたが、どうしても女性の外見へやら学歴などの思い込みが強く婚期が遅れていました。

 いざ、彼女と仕事をしていると、パソコンなどは全く苦手で不器用ではありましたが、人間味はあり、とにかく食べるのは大好きで、当時多かったチェーンのファミレスの安いバイキングへ行くときは本当に嬉しそうにルンルンしてました。

 だからと言って笑顔が可愛いほどではなかったですが、無邪気で素直な人間なのはよくわかりました。

 旦那のO君曰く、「女の顔や外見なんか、夜、真っ暗になったらわからへんし一緒や、まして10年も20年も経てばオバハンや」でした。
 美人は三日で飽きるとも言われますが、化粧品の会社でので美しい女性は沢山いて美貌を武器にさまざまな権謀術策を練る人ばかりでした。そんな中では癒しのような、ほっこりさせるような人でした。

 全国転勤の多い会社なので、その後Oはずっと単身赴任で、母点の支店を離れられない奥さんのドスコイさんとは離れての結婚生活が続いたようです。離婚になるケースも多いパターンながら、子供はできないまでも、連れ合ったまま熟年を迎えました。

 晩年はドスコイさんは脳梗塞を患い、Oは介護もあり早期退職制度で退職金を多く貰う方に決め、私より一足先に会社を離れました。単身赴任の別居が終わると、苦しいような介護の夫婦生活だったようにも聞きます。子供がいない分、お金も貯めて、Oだって単身赴任時代にイケメンだから、女遊びくらいはしたでしょうし、悠々自適にアウトドアや愛車に注ぎ込んで楽しくやっているとの話もあり、詳しいことはわかりません。

 退職してからOの同期から聞くと、やはり奥さんは亡くなったとのことでした。何か悲しい運命のような夫婦に思えます。何だか若くして命を亡くしたドスコイのことは切なく可哀そうにも思いました。今はそのファミリーレストランのチェーンもすっかり閉まってしまい、安いバイキングは無くなりました。

 ルッキズムの時代で、映像にもイケメンと美人ばかりで、それでも世の中にいろいろそうでなくとも運命を受け容れて、歩んでいる人はいるでしょう。

 楽しく人一倍ご飯を食べたドスコイさんが短くともいい人生だったと思いたいです。

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