最新の厚労省による平均寿命は、男性が81.47年、女性が87.57年とされています。
私の父、母はほぼこの平均通りの範囲の年齢で他界しました。妻の両親は二人とも存命ですが、そろそろ80代後半という年齢にさしかかり、心身の衰えは顕著です。
義父は銀行の定年後中高年登山、義母もスイミングに書道などをやって、高齢になっても旅も好きでした。しかし、ここへ来てコロナ禍、足腰をはじめ胃がんなども患い、さすがに出歩くこともなくなり、介護を受けています。65歳くらいからの、前期の比較的活発な充実した高齢から、心身の不自由と戦う後期高齢に入った感じです。
私の父母は商店をやっていた自営業なので、ジジババストアでも定年なく細々と商売はして高齢でも働いていました。
ある程度平均的な身体の寿命の中で、2つの典型的パターンの老夫婦と言えます。
やはり年金額、や老後の備え面ではサラリーマンは強制的な厚生年金加入と企業負担分があり強いです。
自営業は、同族会社社長も含め経済面だけでも60歳で定年引退はないでしょう。食っていくのに働き続けるのが多くの人の選択肢でした。
それは徐々に体力は衰えはしますが、遣り甲斐もあり大きなリズムの変化もなく老いを迎えられます。
逆にずっと、働いていた方は定年で仕事という使命を喪失して、生活リズムが変わり生き甲斐を失ったり、現役並みの浪費はできず、切り詰めないといけない生活を強いられたりということもあります。私の元会社の先輩たちの中にも、モーレツに働いた現役時代の反動で、年金を貰う前後でぽっくりとかあっさり亡くなってしまった方も多くおられます。
ただ、義父の年代で長く厚生年金資格で定年を迎えていれば、退職金プラス年金でそれほど不自由ではない金額が貰え生活には困らないケースが多いです。退職金は企業にもよりますが、ここ20年くらいで激減しましたのでそれまでに定年を迎えていた人は、年金も早く多くもらえて所得代替率も高くラッキーです。
義父でもそうですが、90代まで軍人恩給を貰い続けた伯父なども使い切れないぐらいの年金で優雅に暮らしていました。
こういう経緯の話だと、ここ数年くらいから厚生年金を貰いだした人、今から貰う人は単純に厳しいです。退職金も1000万円代ぐらいになり、ここの1000万円以上下がった部分と、厚生年金の所得代替率の低下がいわゆる定年後充実した生活を過ごすのに2000万円くらい足りないよという「2000万円問題」が騒がれた元凶です。
一つ抑えとかないといけないのは、これは国民年金の人は、申し訳ないですが元々この計算とは関係なく、所得代替ほどの年金は貰えなかったので、蚊帳の外です。小泉内閣時代の「年金は100年安心」というのは、年金財政の話なので、一緒になって煽られて不平や不満を言っても意味はないのです。年金の財政、給付財源は少子高齢化で厳しいですが、マクロ経済スライドである程度保たれているというのが日本の年金は「100年安心」ということです。この100年安心にするために、徐々に年金給付を物価水準より減らしていったということです。60前でお金を儲けて、悠々引退するのも自由ですし、80まで年金で足りない分を働くこともできますし、生活保護を受けることもあり得ます。
閑話休題。伯父や義父義母のような人だけが全てではありあせんが、やはり80代後半ともなると、さすがに出歩くとか買い物をする消費も減っていきます。病気にはなるでしょうが、大きな手術や先端医療までは行えないと思われますから、後期高齢からの支出額は、それほど不安要素ではないのではと思われます。やはり、お金が貯まっていることそのものより、健康で長生きできることが一番でしょう。介護や施設に入るのに大金が要るのも確かですが、だからと言ってそれでもう若さを取り戻すわけではなく、幸福が買い取れるとも言えません。高級ホームでも、孤独な一人暮らし、大部屋であろうと、孤独は孤独です。身体が衰え、誰かに世話されていくことに大きな違いはないでしょう。
人間、不自由な赤ん坊として小さなベッドで泣きながら世の中に生まれ、老いてはやはり小さな方丈の、庵の塒で誰もが生涯を終えるのです。
戦中派と言える世代が亡くなり、今の80代後半は、かすかに子供の頃の戦争を覚えていて、戦後の貧しい日本を知っておられます。その最後の世代でもあります。そういう面ではこの世代の御老人、高齢者の方は、リスペクトされ厚遇されても何ら不公平ではありません。
今の厳しい世相の中、戦中戦後の苦しみ、歴史の体験者にはまだ語り継いでもらうことは多くあります。
それらに続く今の世代もまた、劇的な戦争や貧困はなくとも、自分の経験を次の世代に上手く伝えるのが一つの生き甲斐として老いを楽しまないと思います。