もう十年以上前の話で、不倫とかではなく、何となく通勤帰りでよく一緒になった大阪時代の既婚女性がいました。事務系の女性だったとしか、記憶がなく今はもう名前はおろか顔もうっすらしか思い出せません。
ホンの数回、電車のつり革を掴み横に並んでお互いの仕事や家庭の愚痴を話しただけの仲の人でした。ただ気が付けば話が弾む、お互い既婚ながら、まあそこそこ好意は持っていたような雰囲気はありました。
ある時、熟年離婚の話になりました。なぜそんな話が出たのかというと、たぶん仲間の誰かがそうなったからだと思います。その時、彼女がしゃべった話は、『それはもう離婚は誰でも考えたことがあると思う。お互い結婚生活にはマンネリし、幻滅し、失望していると思うけど、いざ離婚となると、お金も手続きも世間体も、ただ面倒臭いし、パワーもいるし、お金もいるからしない方がラクですよね』というような内容でした。『犯罪的な暴力や勝手に大きな借金したとかでもない限り離婚はないでしょうね。普通は』
比較的、清楚で良妻賢母的なタイプに見えるその人から出た本音なので、頷き共感しながらも少し驚きました。
最近の熟年の同年代の話を聞いてるとまさにそうです。しっかりした家同志で結びついた我々の年代の結婚だととくにそうです。お金持ちで良く働いた亭主がそうそう捨てられることも離婚を切り出すこともないでしょう。やはり遊びすぎで、金や他の女、暴力がちょっと度が過ぎると離婚に近い状況に行くケースを知っていますが、芸能界なみには高校、大学の友人や同期入社の同僚など一般には離婚をそれほど見かけませんでした。
ただ芸能人なみの『美』の世界の化粧品会社の美容部員さんは、若気の至りで結婚してすぐわかれるという、違うパターンもありました。職場的な差別になるといけないですが、ある意味美しいということはそれで人生勝負かけてるわけで、素晴らしい反面、家庭的ではない人もおられ、またその美が年齢を重ねると微妙に変化するのが、芸能界と似ていました。美だけで相手を好きになり、末永く家庭を持とうとする夫もまたどこか幼稚で身勝手だったからです。
結婚はある面、他人との共同生活で、根競べです。
情熱的な恋愛と、プロポーズから、華やかな結婚式で誓ったはずです。しかし恋愛はいつか冷めるものです。病める時も健やかな時も相手の気持ちを考え、自分を少し我慢する忍耐を覚えないと長くは持ちません。
ある日、件の女性、電車の中で、夫の仕事で島根に引っ越すから会社は辞めると突然話してくれました。またねと降りる駅で挨拶しようとした別れ際でした。『もう井上さんとおしゃべるすることはないですね。またどこかで会えたらいいですね』
まだLINEとかが一般的っではない時代なので、通勤電車の彼女とは、本当にそれきりでした。熟年離婚の話を、もっと書こうと思ったのに、何かその人のことが急に思い出されて、今どうしているか島根のどこだか、名前すら思い出せないので、何だかもどかしいものです。一期一会がほんの数回で揺られる電車の中での会話で、幸せにしておられることを祈るだけです。