華やかでも早く引退する場合もある

私が鉄道を好きになって、ちょこちょこと各地へ「乗り鉄」を楽しみだした頃はまだ国鉄時代の車両が全盛でJR化後の車両は、時代の最新鋭という感じでした。
 私はラストランとか古い車両に愛着を持つことに強い執着はなく、ハイスペックは新しい車両の方にどちらかというとなら乗りたいタイプです。
 国鉄型の103系だとか、113系115系だとかが惜しまれ大変多くの注目の中引退していきました。古い車両はもともとエネルギー効率は悪く、台車や座席など技術的にも乗り心地は良くない車両が、経年劣化していますから、わざわざ最後に乗りたいとも思いません。
 その車両に乗った思い出というのは、自分の中にしまってありそれは貴重だとも思っていまし、淘汰されていくという話には感慨深いものはあります。
 平成の初め頃に乗った山陰本線の気動車特急などは、真鍮のような荷物棚で、グリーン車の座席カバーは紫がかった赤いビロードのような素材で鉄道黎明期のような感じでした。
 その国鉄型も淘汰されだし、平成にできた第三セクターの気動車も駆け抜けて令和になると引退を迎えました。多くのJR化後の車両も特急を中心に引退の時期を迎えています。
 鉄道車両は高価なものであり、普通車両などは場合によっては50年以上の車齢でも頑張っています。広島の譲渡された京都市電だとか、富山や大井川に私鉄特急が譲渡され晩年を長く活躍し続けている例もあります。あまり高速で走らなった車両はメンテナンス次第ではいつまでも走れます。やや特殊ですがSLもその例です。
 逆に新幹線は超高速で走行距離も長いので淘汰されるサイクルも早いです。開業当初の0系やその後の100系、のぞみで席捲した300系はすでに引退しており、500系や700系もE2系もすでにその活躍の場は失われ、N700Aなどどんどん最新鋭に変わっています。今のちやほやされる最新鋭も5年も10年も経てばリストラ組です。
 
 人間の活躍の『旬』そしてその期間も似ています。早く快速で駆け抜けて短い栄華を誇り、早くに悠々と引退を迎える人もいます。若い頃は輝いていて、晩年が地味で「晩節は、、」という人もいます。地味に表舞台ではなくてもコツコツ長く働き続ける人、若い頃は目立たなかったが、何度かの異動でいつの間にか、ベテランになった頃に味が出て、愛される期間が長くなっているような人。人それぞれの人生と、鉄道車両の生涯は重なって見えます。
 若手社員だった教えた後輩たちや、競い合った同僚、イヤだった先輩も当然みんな定年前後の時期になっています。
 JR化後の新鋭とされた車両の引退は、手を取って教え、活躍しはじめ追い抜かれそうになった後輩が、いつの間にかもう定年を迎えていくような寂しさを感じます。

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