人生の目的、意外と親が示すのも大事か

 親の決めた人生なんてと反発し、自由に人生を歩いたドラマみたいな人もいます。しかし、多くの人は、親の影響を受けて人生の選択をしていています。

 国会議員などが親の地盤を譲ってもらう世襲議員が当たり前になっていますが、他の商売、自営業や個人経営の事業でも当たり前に親から譲られて二代目、三代目と引き継がれています。小さい頃から、親の生きざまを見てきて、親も継がせたいと思っていれば当然そうなりがちです。また、こんな仕事もうやって欲しくないと思っていても、子供の中の一人ぐらいは、親の関連の仕事に就く場合が多いようです。これは公務員やサラリーマンなど、コネ入社以外でも業界をよく分かっているからという感じで、親の後を追う場合があるようです。

 女性は、まだ世代的には仕事に長く就いていなかった親が多いため、ぴったりとはいかないですが、やはり母親の生きざまや、父の職業に影響されることはあります。

 逆にまったく、両親と関係なく、自由な選択で、別の職種、業種で大成功をおさめた人もいます。

 人生の目的とは何なのかと、ふと哲学的な命題になります。多くの本に書かれた説があります。
 少し考えると職業は目的ではなく、目的への過程の手段にすぎないとわかります。〇〇〇になりたいというのは夢や目的に見えて、その手前の手段であり、就いてからまだまだ目的の到達点が先にあることに気がつくでしょう。

 お金を稼ぐのが目的という人もいます。いくらいくら貯めるとか、毎月〇〇万円ほど自由に使いたいというのが目的というのは比較的具体的であり、そこを目指しハングリーから頑張る人もいます。しかし、コインや紙幣の収集家ならお金そのものに満足できても、通帳の残高が増えるだけで幸せで、人生の目的はかなうかというとそうでもないようです。
 そうなると資産家や富裕層に生まれたともすれば、最初から人生の目的が達成したことになります。
 お金がある方が、教育を受けやすいとか、幸せになる確率は一見高いようですが、上昇の度合い、努力が報われたことの評価や達成感を、満足度とすると、最初はゼロからの方が評価されやすいです。年収ゼロが200万円になり、400万円になった方が歓びは大きいです。逆に1億稼いでいた人が、年収2千万になると、都落ちの気分になるでしょう。

 人生の目的は、お金ではなく、その先にあるものに気付くことです。社会や組織への貢献、子供や家族との幸せな時間、自分自身の充実した時間を得ることなど、抽象的ではあってもはっきりと分かればいいのです。そのために仕事があり、ある程度のお金はあったり、人との交流の場があったり、いろいろ手段の選択、過程の努力が出てくるのです。

 社会は見渡せば、一人で多くの富を稼ぐ人だけでは成り立たず、基幹の仕事、低賃金やボランティアで貢献する尊い人がいないといけないのが分かります。社会でその役割を一つ一つ果たすことが目的であり、幸せなのです。

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください