墓参り 正月に思う

 お正月は初詣など、日本人が神仏に比較的接する時期です。今年も穏やかな天気で厳かに墓参りに行きました。
 子供の頃、あまり墓参りといっても意味が分からず。お墓で走り回り転ぶなと言われたことぐらいしか覚えていません。
 墓に入っているのは、子供時代だと顔も知らない曾祖父や先祖でした。年齢を重ねるにつれ、自分と一緒に暮らした祖父や祖母が入ることになり、そして父や母が墓に入っていくことにより墓参りは意味合いも良く分かりある意味重いものにもなりました。
 正月と、彼岸、お盆、何か事あるごとに、自分の周りの変化や孫の成長を報告に行くことになります。
 雑談やSNSの中でも同世代の友人がかつては、親子とは言え、わだかまりもあり、不仲だったのが、いざ亡くなってみるとよく墓参りにいくようなこともあるようです。充分に話し合えなった親に報告するのか、あるいは自分の気持ちを確認するためでしょうか。
 亡くなる直前は、痴呆が進んだり、病気で悪態をついたりでもう介護も看病もほとほと疲れイヤな感情を抱いても、やがて1年もすれば、自分を育ててくれた感謝すべき父母という思いも戻り、強くなっていくような人も多いようです。
 スピリチュアル的に考えると、霊魂、守護霊のようなものともいえます。親の思いや感情、思考はDNAのパターンと同じく知らず知らずに何らかの形で子に伝わり、いい意味で子供を守ることがあるのではと考えます。
 反面教師だったような親でさえ、何らか自分が迷った時、父なら母ならこうするこう言うと考えることで選択のヒントを与えられ、アドバイスになるのではと思います。
 墓参りはそれを思い出させますし、それでヒントがつかめればまさに「守護」以外の何物でもありません。
 お寺の費用もかさむため、墓仕舞いの話も聞きます。新しい家系、若い世代では墓を持たないケースも増えているようですが、仏壇や写真でもいいですし、守護してくれる親を思い出す機会は人生のプラスになるのではと思います。 

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