昔の鉄道は凄かった。廃線廃駅に残る足跡

私が廃線ウォークをする理由

 北前船や水軍が停泊した港町や、木材や鉱石や資材や作物を運んだ河川に近い町も、その他街道の宿場街も交通の要衝で栄えました。
 そのあとは鉄道の発展で水運を衰退させ、人力や馬に変わり各地に鉄道が発展してその要衝に街が発展しました。
 今は廃線や、廃止が噂されたり、無人駅になった駅にも栄華を極めていた足跡を見る小さな旅が、廃線ウォークやローカル線探訪の楽しみです。
 最近、岐阜県、兵庫県を重点的に歩いています。ここ山陽本線有年駅も今は無人駅でしたが、駅前の銘板、案内には栄華が偲ばれます。昔は廃止になった赤穂鉄道が連絡し、写真には駅員が十数人いました。駅前の地図でうかがえる、さまざまな店や施設にも時代を感じます。
 国鉄の人員が全国でものすごい人数だったことはここでもうかがえます。いわゆる国労、労組だけでも国を揺るがす人数だったのです。高度成長気でっモータリゼーションに取って替わられ昭和末期には国鉄は大赤字になり解体されます。国労という労働組合が、もしJRになっていなければ、その人員も無駄なままお客の少ない雇用されてい恐竜のような前時代の経営が続いていたのかもしれません。
 国鉄の民営化は、分轄のエリアなどで今になって失敗という人もいますが、偉業であったことは間違いありません。
 時代は間違いなく、多くの人員が雇えてそのままの仕事ができる国有鉄道が主役ではないです。今のJRは、不動産やホテル、飲食、カード、サービスなどが過半を占める多面的企業です。労組がいい悪いではなく、国労などの組織は無くなって良かったのです。
 そんな国鉄の足跡を、廃止や転換や三セクになったところの骨を拾う思いで見歩きます。特定地方交通線として廃止か三セク化を宣告されたところで、すぐバスに転換したところ、今でも残る貴重なローカル線もあれば、頑張って存続しても令和を待てず無くなった路線、それぞれ運命があります。今後、さらに多くの仲間のローカル線も存続が難しくなりそうです。
 地方に高速道路が整備され、役割は移ることは避けられないのです。そして、道路にさえ見捨てられる地方もあるのです。

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