朝ドラで描かれた検察の暴走「法」の正義、「共亜=帝人事件」鐘紡社長もウラに

 NHK連続テレビ小説「虎に翼」は、日本初の女性弁護士・三淵嘉子をモデルにその半生を描いた、登場人物やドラマ中で起こる出来事は史実に基づいているものもあります。

【共亜=帝人事件とは】 

 ヒロインの父が贈収賄容疑で逮捕され、「共亜事件」という政財界を揺るがす大汚職事件に巻き込まれます。この「共亜事件」のモデルは、1934年に実際にあった「帝人事件」です。台湾銀行が保有する帝国人造絹糸(現帝人)の株式が不正取引され、その売却益が政財界にばらまかれたとする贈収賄事件だったそうです。実際にはヒロインの父親が勤めていたとされる銀行には逮捕者はおらず、父親役のモデルはある程度政財界に関わる大物実業家の複数のようです。
 事件の逮捕者は1年近く勾留され、検察から過酷な取り調べを受け、裁判前の予審ではほぼ全員が自白していたが、1935年に始まった裁判ではいずれも罪状を否認し、1937年に確定した第一審判決では起訴された全員が無罪となりました。判決を言い渡したのは後に最高裁判所長官となる石田和外裁判官で、石田が判決文の中で用いた「水中に月影を掬(きく)するが如し」という劇中では松山ケンイチが表現した言葉が象徴する通り、水面に映った月を掬(すく)おうとするような虚構の事件だったということです。ほぼ全員が虚偽の自白をしてしまった背景にある拷問の内容や、留置場での異常心理についても、ドラマで描かれ父親役の岡部たかしさんが制約も多い地上波で好演していました。ソ連から輸入された「革手錠」なる拷問器具は、皇太子時代の昭和天皇の暗殺を企て、死刑となった極左テロリストに初めて使われ、2番目に使われたのは帝人の役員の永野護、公判部分ではヒロインの父のモデルとされる実業家の一人だったそうです。
 帝人事件は、「虎に翼」のテーマでもある「法」が正しく機能し、裁判所が公明正大な判断を下した事例として史実に刻まれています。
 法廷や、逮捕、報道も現代とはだいぶ違い、女性の弁護士がまだいあない時代で人権が制限されていたのも良く分かります。

新聞社を経営した鐘紡社長 武藤山治


 ドラマの中でもヒロインと関わる新聞記者が出てきますが、今では検察のでっち上げとされる帝人事件は、そもそも時事新報という新聞社が特集した記事の中で報じた帝人株を巡る贈収賄疑惑がきっかけでした。
 時事新報は福沢諭吉が1882年に発刊した由緒ある日刊新聞だが、「朝日新聞」や「毎日新聞」などに読者を奪われ、関東大震災以降、部数と業績は低迷していました。そこで1932年から経営を引き受けたのが、諭吉の弟子で鐘淵紡績(カネボウ化粧品、クラシエホールディングスの前身)の社長を務めた武藤山治でした。部数立て直しのために武藤が打ち出した目玉企画が、「番町会を暴く」という帝人事件をはじめとした政財界の不正や、知られざる黒幕の存在を糾弾する今でいう暴露型の連載記事でした。
 武藤は鐘紡という兵庫紡績工場の支配人から、日本一の会社に拡大した企業家であり、若い頃から言論や政治にも興味を抱いていた方です。経営者としても優秀で、次々と日本や上海の工場を傘下に収め、日本初の企業の「共済組合」(年金や健康保険)や「社内報」を作ったとされています。
 しかし鐘紡では成功した経営も、新聞の業界では経験もなく、正力松太郎の読売などが政財界に結びつくことへのやっかみと焦りもあったという話もあります。
 当時の斎藤内閣は犬養毅暗殺後所属した立憲政友会からも、対抗する立憲民政党からも閣僚を入れる「挙国一致内閣」を組織し、軍部との対立を避け、国内政治と経済の安定を第一の目標とする方針をとりました。ところが、立憲政友会の右派(対外強硬派・武闘派)や、陸軍や右翼グループらは、そんな斎藤内閣に不満を抱いており、倒閣を企てそこででっち上げられたのが帝人事件であり、それに乗っかってしまったのが時事新報だったという見方が現在では有力です。ちなみに武藤は「番町会を暴く」の連載開始から3カ月後、元外交員で失業者の福島新吉に銃撃され5発の弾丸を受け、翌日れ66歳で没しています。武藤を庇った秘書も即死、銃撃した福島も自殺し、背景は私怨なのか帝人事件なのかも闇です。ドラマではステレオタイプの悪役に描かれている事件の主任検事ですが、そのモデル?黒田越朗も公判中に殉職するなど、複雑怪奇な事件とされる官僚の闇の部分です。
「法」が正しく機能したと言われますが、斉藤内閣は倒閣されてしまい、中国とも事実上戦争に入り、日本は右翼、軍部が台頭する暗い時代へ進みだします。
 この時、文部大臣を辞任しているのは戦後総理大臣になる「明鏡止水」と明言を残した鳩山一郎、宇宙人鳩山由紀夫のおじいさんです。
 武藤山治の子供、武藤絲治も戦後乞われて鐘紡の社長を務め、最大の戦争被災の会社を多角化で引きあげますが、先日訃報のあった伊藤淳二のクーデター(城山三郎「役員室午後三時」のモデル事件)で社長を退きます。カネボウの社史を語る場では同じ読みの「むとうさんじ」なのでややこしく「やまじ」「いとじ」と呼びわけていました。
 歴史や社史では何が正しいのか、事実なのか良く分かりません。ダイヤモンド社の雑誌記事も参考にしていますが、wkiやカネボウの社史と比べても細部は違います。省略しながら書く故に誤解で伝わったりする悪意のないモノから、読売や朝日が伝えているものですから時事新報は「悪役」「泡沫」扱いで歪曲されている可能性があるとも思います。
 政治や官僚、当時の軍部やそこに裏で動いていた闇の世界に何があったのかはもう誰にも分らないでしょう。


 

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