水俣病と不適切な環境省の大臣と官僚

 水俣病は、日本の公害の原点とも言われるもので、64歳の私が生まれる前の昭和31年初めて確認された公害病です。

 高度経済成長期の日本の功罪で、熊本県水俣湾で初めて確認され,私が物心ついた頃も『公害』からの病ということで報道で騒がれていました。水俣湾周辺の化学工場から排出されたメチル水銀が、海産物を通して人体に入ることで神経系に障害をもたらす中毒系疾患で、長きに渡り原因不明の奇病として多くの人を苦しめました。
 他の地域の公害病とともに、水俣病確認から10年以上経過後に政府は対応する官庁、環境庁を設置、のちの省庁再編で省に格上げされ現在に至ります。
 水俣病は環境省にとっての、一丁目一番地のはずでした。

 5月1日、水俣病の患者、被害者と伊藤信太郎環境相の懇談の際、被害者の発言中、一方的に環境省職員がマイクのスイッチを切ったことが大きく報道され、8日、伊藤環境相が現地にお詫びに向かいました。1日の懇談で環境省職員がマイクを切った際、その場に伊藤大臣はいました。なぜその時、職員の不遜な態度に気づき、厳しく指導しなかったのでしょう。
 環境省の役人、トップの官僚そして大臣にとっても、水俣病は過去のもので、ルーティンの行事をこなしているだけになっていたのかと感じます。映像やインタビューで見る限り官僚の思い上がりも酷く、それを注意し、指導するのが伊藤大臣の立場でしょうが、自分のスケジュールを優先してさっさと移動したようです。
 確かに、伊藤進太郎と言う人、頭は良くハーバードまで出ていますが、人間的にはとても信頼できません。外交や防衛でもやり政府中枢まで行きたかったのか、もう71歳でこれから何かを成そうという意欲もなく、当選回数と年功や派閥のバランスで引退までの『あがり』で閣僚となっただけなのでしょうか。宮城県の北部加美町出身ですが、地方創生にも公害に苦しむ弱者にも寄り添う姿勢は全く見当たりません。

 テレビからマイクを切った職員を注意するでもなく、ただ退席して行った。なんとも心ない態度で、一人の人間としても論外だと受け止めた人は多いのではないか。

 二世議員で、輝かしい学歴、職歴を持って、一般人よりもはるかに楽な選挙を戦ったとしても、有権者に名前を書いてもらって働く場を戴いているのが政治家です。こんな議員は地元の代表として国会に送らず落選させればいいのかと思います。
 実業家や、一般の役人ならまだしも環境行政のトップの大臣です。地元の期待も大きく、どんな思いで自分の名前を書いてもらったのかという想像力がないことが映像からよく伝わってきます。日本は地方が疲弊し、少子高齢化で苦しい時代です。政治不信がどんどん高まるそんな有事だからこそ、派閥パーティーの裏金問題以上に政治家の姿勢が問われるところなのです。

 政治家で必要なのは偏差値が高い人、暗記型の勉強をした人より「地頭」、想像力があり、判断力のある頭の良い政治家が必要である。

 「田中角栄』待望論ありますが、彼はハーバードや東大どころか高校さえ出ていないけれど、この地頭が良かったから今彼のような政治家が求められるのです。

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