北条鉄道 長閑な田園の癒しと戦争の爪痕も

 ずっと思い続ける異性のような存在、あるいは故郷のような落ち着きを与える場所。
 初めて訪れた時から、そう思い続けていました。兵庫県加西市の旧国鉄北条線今の北条鉄道はそんなロケーションです。
 最初の出会いは、仕事のクルマで営業に走っている途中、加西北条にある取引先のイオンモールからの帰り田原駅近くの踏切で停車した時です。
 駅も可愛い木造の無人で小さいのですが、そこをトコトコと1両のディーゼル車両が走っていきました。1時間に1本のダイヤで踏切通過に引っかかる確率も低く、滅多にない経験に同乗していた上司や女性も『癒される』『映えますね』と思わず呟かれました。
 いつか、あの列車に乗ってみたいと思っていました。それが運命的出会いでした。その後、毎年のようにこの鉄道を訪れます。

 北条鉄道株式会社(ほうじょうてつどう)は、加西市・兵庫県などが出資する第三セクター方式で設立され、兵庫県で旧日本国有鉄道(国鉄)特定地方交通線の鉄道路線を運営している鉄道です。法華口駅・播磨下里駅・長駅では大正時代以来の木造駅舎が現役で使用されており、播磨下里駅と長駅はプラットホームも同様です。法華口駅には地元の方が駅構内にカフェを営業されています。それぞれ駅舎には待合室もあり、いろいろ展示があったり地域の活性の拠点として残っていて、国鉄時代の繁栄が偲ばれます。
 最近ではキハ40系という気動車をクラウドファンディングで行き違い設備運用のためJR五能線からはるばる購入されました。イベント列車や乗務員体験、パンの車内販売など、個性ある三セクとしていろいろやっているのです。終点の北条町駅には本社があり、さまざまなグッズ、記念乗車券も販売しています。
 長閑な兵庫県中部の田園地帯を13キロあまり、8駅だけの非電化単線ローカル鉄道ですが、頑張っている活気を感じ癒されるのです。

 もちろん、沿線の過疎化もあり国鉄からは切り離された盲腸線型のローカル路線です。起点はJR加古川線と神戸電鉄粟生線のジャンクションになる粟生駅ですが、加古川線、粟生線自体が存廃が噂される閑散路線ですし、私の住む京都、大阪神戸からでもかなり不便な立地で経営は楽ではないでしょう。平日は通勤中心なので、定期券購入にポイントをつけるなどの繋ぎ止めにも躍起です。

 長閑で古い癒しの駅が残る北条鉄道ですが、第二次大戦中、悲しい大事故が発生し「軍事機密」を理由に秘匿されていました。網引駅近くで起こった列車の脱線転覆事故です。多数の死傷者を出した列車事故として報道されたものの、原因や経緯などは闇に葬られました。当時最新鋭の戦闘機「紫電改」が墜落したのでした。訓練中着陸しようとして人を避け、再離陸したもののギリギリの燃料しか搭載していなかったのですぐに失速し、不時着したため線路に損傷を与えたために起こった事故だったからです。「紫電改」搭乗の操縦士や列車の乗客ら12人が死亡し、62人が重軽傷を負う大惨事でした。軍の機密として戦闘機不時着は長い間公表されず、地元紙の神戸新聞ですら、脱線転覆事故が発生したということと、死傷者数、死者氏名を掲載したのみでした。目撃者によると、駆けつけた兵隊たちは乗客を救護するよりも先に戦闘機に田んぼのワラを被せて隠蔽を図ったという話です。
 特攻出撃の知念へ向かう飛行場が兵庫県にもあったことも、この鉄道の1日乗車券で網引駅に降り立ったことで初めて知りました。
 ゼロ戦と並び、戦闘力も防御力も増して戦争末期の日本が誇った戦闘機「紫電改」ですが、終戦間近のこの年、搭乗員も整備も開戦時ほど熟練していなかったのも悲劇の一因ではと想像します。今、平和を祈念する施設と、鶉野飛行場の後も徒歩で散策できる範囲にあり、網引駅には碑が残り、機関車の動輪の北条駅に保存されています。
 土日の観光シーズンでも、数人の乗客の北条線に昭和20年立ち客もいる超満員200名近い乗客がいたことにも驚きます。花や緑に彩られ、田園が美しいローカル鉄道に、悲しく切ない物語もあるのです。
 今日と明日、未来へ高校生や旅人を乗せながら、戦争の記憶を伝える役割も忘れず、今日も北条鉄道はコトコトゴトゴトと走っていきます。


 

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