リニアに理念なし?新幹線網の原点を技術者 篠原武司

 

 リニア中央新幹線の着工に反対してきた静岡県知事の川勝平太氏が5月9日に辞職し、同26日投開票の知事選の結果次第で、工事が進む可能性が出てきました。
 ここへきて、岐阜県でも井戸水が枯れる問題も報道され、リニアをめぐる世論も予断を許さないところです。もちろん水問題はライフラインとして絶対的な補償は必要であり、解決すべき大前提です。
 能登半島の地震でも各戸の水道、井戸までの復旧には予想以上に時間もかかり、住民の不便は被災地以外で勝手に想像する以上のものです。
 そこはクリアするとしても、このところリニアに懐疑的な話も出ています。
 鉄道ファンは概ねリニアを待望しているし、与党の政治家は面と向かって始まった国家プロジェクトに異は唱えられないものでした。
 しかし「リニアは本当に必要なのか、意義はあるのか」と疑問を投げかける軍事オタクで鉄道好きの政治家がいました。総理にしたい候補と名の上がる自民党の石破茂・元幹事長です。 石破氏は5月10日の大手新聞のインタビューでリニアは静岡工区だけの問題ではないと指摘し、「本当に東京から大阪まで通すリニアが必要なのか、という議論が十分成熟したと思っていない。東海道新幹線は老朽化してリニアは論理の飛躍があり、リニア都市圏の発展だけでなく、地方の鉄道の高速化こそ先に必要」という趣旨の記事になっています。
 総理候補と言われながら与党内では反主流でアンチも多い、偏屈オタクならではとも言えますが、その知識と論理の組み立ては間違いではないことも多いです。
 鉄道系のアナリストやユーチューバーも、純粋に乗り鉄でリニアを待っている人もおれば、鉄道会社に試乗会などで優遇されて忖度、ヨイショと思われるリニア推しもあるので、そこらも中立に分析しないとと思います。

 

 篠原 武司(しのはら たけし、1906年(明治39年)4月16日 – 2001年(平成13年)6月30日)は、昭和の鉄道技術者・官僚。元国鉄西部総支配人兼門司鉄道管理局長・鉄道技術研究所長・日本鉄道建設公団総裁でした。

 東海道新幹線建設に際しては、新幹線構想の火付け役となった。また、後の整備新幹線につながる「全国高速鉄道網構築構想」も発表。本四架橋建設構想にもかかわっている。
 新幹線の産みの親としては十河信二国鉄総裁や島秀雄技師長の名前が良く上がりますが、本当の意味での立役者は彼であり、田中角栄の日本列島改造論も彼の提案を取り入れてのものです。広島原爆の近くで辛うじて生き残った命を、死んでいった仲間の無念を晴らすためにも国のためにと尽力した彼の生涯かけた鉄道への思いが政治や行政、工事関係者、マスコミ、市民を感動させ動かしたものです。

 その篠原はリニアエクスプレス構想には懐疑的で、それよりも山梨県を通る従来方式の中央新幹線を作り、東海道新幹線への集中を緩和する方がよいと考えていたようです。先進技術として輸出も含めたリニア構想とは、真逆に既存の新幹線を中央ルートに作り。さらに地方をもっと新幹線網で結び国土強靭と地方活性を果たすのです。
 リニアであろうと、中央新幹線だろうとどっちの考えにしろ、今のJR社長にしろ政治家にしり篠原や田中角栄のような情熱を持ち、理論を固めたインパクトのある提案が全くできていないのです。
 リニアのことも、その後の日本の未来のこと、国土のことも何も伝わらない。だから近くに駅ができ早く移動できれば便利で賛成、水の枯渇や、地震が心配な人は反対なのは当たり前です。
 2度目の東京五輪(ひょっとすると大阪万博と同じ)のように、予算だけ食いつぶしゼネコンが儲かり一時的にはやって良かったという空気は出るでしょう。しかし後には何も残らず、ツケは国民に背負わされ、あとから賄賂や談合がボロボロ沸いてくるのだけは困ります。日本は戦後のベビーブーム、高度経済成長というアドバンテージのあった当時よりも覚悟を決めないと厳しい局面です。ノスタルジックな夢をもう一度では、限られた体力で再生はできません。
 私個人としては、東京から大阪にメガ都市圏ができ、現在の首都圏集中が分散し、そこから1時間~2時間程度の移動で日本中に行ける交通網ができれば地方の活性につながると思います。しかし、現在よく言われる消滅危惧の市町村に関してはインフラの維持も含めて、どこかで取り捨て選択の基準も設けないといけない苦渋の決断、嫌われる勇気も必要です。甘い夢だけでなく、強い意志で未来への提案をする、リーダーシップのある人材が必要です。
 篠原や角栄に続く、時代を先駆できる人が現われないとこの国は救えないのです。

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