戦中と大違いの育児中の就労

 見ていない人もおられて恐縮ですが、現在放映中の朝ドラ〈虎に翼〉は日本初の女性弁護士で女性裁判官になる方をヒロインのモデルに展開しています。裁判所からみで何となくみていましたが、やはり夫が出征し、幼い子を身ごもり育てながら弁護士を続けるのは過酷すぎて、ヒロインは体調を崩し弁護士事務所を辞めます。
 戦中は結婚しても、多くの家庭では夫婦が一緒に暮らす期間は決して長くはありませんでした。夫の出征により離れ離れの生活となり、お互いの思いを伝え合う手段は、はがきや手紙だけでした。
 夫と離れて暮らすことを余儀なくされた上、空襲もある物資も不足しだした時期を生き抜く苦労は、現代のドラマでも正確には描けないほど過酷だったでしょう。『女』だてらに現在の司法試験にあたる高等試験に合格し、弁護士となるまでの風当たりの強さもハンパではなかったでしょうが、その上で子育てをしながら戦中を生きていく、これから出征した死別の報にも接するのでしょう。
 保育施設があり、産前産後休暇、育児休暇、時短勤務さまざまな子育て支援が整備されるのは戦後もだいぶたってからの平成時代です。
『男性の育児休暇なんて、まさかとれない』と言われていましたが、まだまだ難しい空気の仕事や職場もありますが、大企業や公務員はだいぶ浸透しているようです。
 戦後、戦争を知らない子供世代で育った私でも、平成のはじめ頃、自分のはじめての子供が生まれた時、就業時間中に連絡ああり、上司の許可を貰い病院にかけつけ、早退扱いで半休にしました。ところが当時の営業の仕事の取引先の中では、「そんなことで休んでるのか」といったクレームめいた声を上げるところもあり、次に訪問した時、お祝いを言いながらも皮肉も言われました。
 当時ラマーズなどの立ち合い出産も増えている中で、こんな空気があったのは、やはり戦中戦後間もなくの苦しい空気が記憶されていたのでしょうか。営業ノルマや会議や研修など、今考えると優先は低い仕事が『絶対帰れない』時代でした。

 今勤めている裁判所で見る裁判官は書記官などは、よく勉強され難しい試験も通ったのは戦中と変わらないでしょうが、男性も育児で時短をされています。育休から復帰された方も昼の2時半には子供のお迎えに行くため仕事を終える時短勤務です。育休と出産休暇の合い間の2か月ほどを出勤された裁判官もおられました。
 勤めていた化粧品の会社は、販売系の時短やシフトがなかなか定着しなかったのですが。親会社も変わり、コロナで働き方改革もい一気に進んだようです。
 それが当たり前のような感じで働かれているのを見ると本当にいい時代だとは思います。

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