戦後80年:人間の弱さ、狡さ、恐ろしさは変わらない

戦後80年、文明は発展して、便利な世の中にはなりました。
しかし、軍隊のようなと言われるパワハラやいじめは、職場や学校、町内にもまだまだ蔓延っています。職を失った軍人が、警察や役場、学校で働いていただけではなく、現代でも教師の体罰や、上級生や首謀者により陰湿ないじめなども根は絶えません。
ネットが、それを暴き、訴える場になっているようでも、常に正義かは不明で、自らを正義と信じるだけで、ネットの暴力も、新たな問題となっています。
人間は、弱く、人に流されやすいものです。
自分の家族とか、保身とか栄達をちらつかせられたら、そうそう一人だけ正義をつらぬき通せません。
大本営発表とか、ナチスのプロバガンダによる洗脳とか、あとの時代から見れば何でそんなものにコロリと騙されるのかと思うものを信じ、騙され続けています。
最近のちょっとした報道の中身を見ても、その人も悪いけど、周りも、報道をしている人も、煽られる人も問題が多く、戦前と大して変わらないと思えます。
リテラシーの不足とは言い切れない、それを上回る、悪質で巧妙なものも多いのです。権力を握った者、それを常に監視する者がいないといけないですし、権力の時限的、分権的な制限は絶対に必要です。

戦後80年、女性の権利は増えたが、

 サラ・パーシー「女性戦士の歴史」
 戦後80年で、今年は戦時下の悲劇などがドラマやノンフィクションで掘り返されると思います。定番的には、徴兵され招集されていく夫の兵士と、それを見送り家を守る妻が描かれ、戦場で苦闘し命の危険にさらされる夫と、委細はわからずただ待つだけで家を守る妻がおり、やがて戦死か復員かの結末です。
 昔男女差別で問題になったCMではないですが、『私、家を守る人、僕、兵隊になって戦う人」と、男女の役割は明確だったのです。

 ところが世界の趨勢は今や、男性だけが戦う時代ではないのです。戦争は男性のものなんて言うと、大変な男尊女卑、差別発言となるかもしれません。

 ふと目に留まったこの本。
 帯やレビューには
 元始、女は戦った!圧政からの解放、独立、革命のために立ちあがった!伝説の英雄から無名兵士まで、その闘いと数奇な運命を描く。時代の波に翻弄された女性の戦闘方法と処遇の変容を描く。
 その煽りだと、ジャンヌダルクとかの時代やアマゾネスがもう少し描かれるのか
と思いましたが、大戦時のソ連など、近現代の戦争からの女性の兵士に関しての形成や、現代の戦争での状況が書かれている部分が予想より多かったです。
 『同志少女よ、敵を撃て』旧ソ連を舞台に女性戦闘員を描いた日本の小説家逢坂冬馬の本屋大賞を受賞した小説がありました。
 どうしても、女性の人権が守られるかの問題に注目が集まりがちです。
 女性戦士というと、日本では有名なアニメをはじめ、少しエッチ系の特撮をイメージされる方も多いでしょうし、そっち系のAVなども不謹慎ですが多く企画モノで出ています。

 現代は男女共同参画、男女雇用機会均等と言われ、もはや共産系も自由主義諸国でも、女性だから軍隊に入れないとか、兵士になれないとは言えません。では徴兵はどうなるかというと、だんだんそれも女性を分かるロジックがなくなってきています。射撃や武道にも長けた『同志・・』の主人公のような優秀な女性が戦術的にも有効となると、部隊としてもある程度の女性兵の人数が招集してでも必要になります。

 女性の戦い方、働き方を書いたり、発言したりすると、どうしても差別と言われそうです。兵隊に限らず、昔は男性だけが働き、家を女性が守り支えていた。多くの勤め人家庭のパターンが今は崩れています。
 女性が男性同様に働くのを制限するような発言をすると攻撃され、炎上するのが当たり前ですが、本当の女性に幸せからすると、戦地に送り込まれるかもしれないほど平等にされない方が良いのではないかと思います。

 極論だと言われますが、勤めに出るというのは結局多くの敵と戦うことと昔は言われました。専業主婦の方は、また家を守ることに特化し、専門性を高め、効率を極めて、男性が働き稼ぎそれを癒すことで貢献し、他人に預けず子供を育てることにも細心の注意を払って、繁栄をもたらしていました。
 こういった考えを、今の人権主義者は古いとか、差別とか、保守だと言わしめること自体が、言論の自由を弾圧していて問題です。少なくとも、女性の社会進出、平等を求める意見の対として、女性は家にいて、家庭を守っていてくれた方がいいよという両論が自由に発言できていいはずです。

 そういう権利を求めて煙たい女性が多く、少し保守の発言を聞くと傷付いたとか騒ぐようです。
 私が知る限り、子供が小さいのに働きに行くのがイヤ、保育園に預けるのもイヤという女性は多く、育休の制度なども、収入やキャリアの問題だけでなく、社会が無理やり働かしている空気を作って、苦しんでいる女性の方がずっと多いと感じます。
 国が女性の管理職、経営者が少ないとか、数値で目標など意味にないことです。働きたい人は男性でも女性でも平等にチャンスを与えたらいいだけです。

 

自国ファースト、地元ファーストの功罪

 いわゆる競争入札、随意契約などのトランプに言わせればディールの問題です。世界を揺るがす大国でも、世界最大級の都市である首都でもなければ、新興の保守の掲げる政策でもなく、政令指定都市の一部門のお話です。しかし、こういう考えは結局は日本全体、世界と通じるのでしょうか。民間企業大手経営者のお話、かつて勤めた企業の経験でも、矛盾に満ちた功罪半ばの事象がありました。

 いわゆる競争入札、随意契約などのトランプに言わせればディールの問題です。私が今関わる仕事においては、比較的金額の大きいものでは、公用車や複合印刷機の、その車検やメンテ、空調服、ドローン、偽造防止機能のついた証明書用紙などから、事務机、文房具にいたる小さな買い物までを、厳密なルールに従い業者を選定しています。

 イメージとしては、学校の制服や体操着、指定の文房具などはずーっと同じ業者のような気もしますが、それはそれで入札があるはずです。

 公立小学校などの場合はその地域で学校最寄などの条件があると思います。それでも共働きなどの人は、amazonで買えたら安くて便利じゃないのかと思っているかもしれません。結論、それはできないのです。

 地元優先、京都市でいうと競争入札参加資格登録を申請して認可された地元の業者でないと入札に参加できません。地元の中小企業、店や産業を支援するためです。
「京都ファースト」というところです。
 とは言え、さまざまな事情で京都市は財政が厳しく、住む人には住民税や健康保険、水道料金や地下鉄運賃も高く、規制が多い割には、市バスも混雑して住みにくいので、市民ファーストとは言えません。

 一つ一つを上げだすときりがないので、入札の構造問題だけにしますが、購買品によってはアククル、コクヨなどの大手の下請けの地元業者が有利になりますし、いろいろと裏には難しい課題があります。守秘義務スレスレで表現に慎重になりますが、京都の方が一般に知り得る情報からの考察レベルで書きます。

 本来、税金を使っての、購買や公共事業ですから、いくら地元優先でもあまり無駄に高い買い物はおかしいのです。見積を取る業者も増やさないと本当の市場価格が分かりません。大きな事業から小さな購買の選定でも、安ければいいのか。あるいは貸したり、売ったりする場合高ければ良いのか。品質や技術、業者の信頼性などは同等と見て、地元の業者の利益を守るのか、市民の税負担を抑え、市の財政を健全化するかは大きな問題です。もちろん地元業者の方が回り回って市の税収が増える面もありますが、市民の目からそれが公平で税を適正につあっているように見えるかです。
 私も商店街の商売屋の家に生まれたので、大手スーパーよりは地元商店街びいきです。しかし、商店街自体は市の援助も受けてはいたかもしれませんが、化粧品の商いなので、市の指定による契約などは端からない業種でした。その点では、衣料品店や文房具店、電気屋さんなどでそういう恩恵があるところはうらやましいというか、安定して利益がでる取引でいいなと見えていました。

 スーパー、コンビニ、ドラッグストアの波が来て、さらにEC、ネットで買い物される時代になり、商店街の商売も激変しました。
 それでも、市の選定で生き残る店がしばらくはありましたが、さすがに淘汰されていきました。地元の業者も、会社組織のそれなりに大きなところだけです。

 市民ファーストとは意味あいが違うのですが、地元業者ファーストというのは、時代により変わり、部門にもよるのかもしれません。

 京都市には、規模は大きくないですが、京都駅と河原町御池に二つの地下街があります。京都駅の方は、JRとむずびつき大きくなりデベロッパーの形態も変わったようですが、できた当初は二つとも垢抜けない店が多く集客に苦戦していました。地元の飲食や物販の店を優先したからで、御池の方など、閑古鳥が鳴き続けるような淋しい地下街でしたが、インバウンド需要も増えだし、店もだいぶ入れ替わりしてそれなりに賑やかになっています。

 民間のモールや、SCなどは、部分的に地元資本もいれる場合もありますが、日本初上陸や関西初出店、京都初出店を売りにします。スタバは今では新鮮ではなくなりましたが、コストコだとか、成城石井などが入ると「おおっ」という感じで集客につながります。

 商業施設と、公共施設でも違うのでしょうが、最終的には街が潤い、地元にお金が回り、税収が増える構造になるような選定が必要でしょう。
 私のいた企業、カネボウも昔は総合繊維メーカーで衣料品、食品、薬品、化粧品、住宅関連品も作っていて、「BY カネボウ ファースト」などと掲げた時代があり、社員販売の奨励もですが、大きな問題は生産でのジレンマでした。素材によってはどうしても競合他社の糸の方が安くて丈夫とかいうケースがあり、そこで「BY カネボウ」をスルーすると更迭されたケースがありました。結局、そんなことも企業の衰退を早める要因です。是々非々でもあり、加減というのかその状況での判断でしょう。これはアメリカファーストにも通じます。国や公が、産業、市場に口出ししても、結局は談合、癒着でいい結果が出ないことが多いのです。騒がれるコメ問題の農業もそうです。入口で農協という組織は認めても、それとずっと癒着し、天下り組織になっては、結局組織の維持、肥大が目的化して、本来の農家や国民のためのものではなくなるのです。

 国産の食糧だとか、エネルギーを何%使えとかいうのも、本来国が全て未来を予測してのことでなければ、差額を負担するのは企業か国民で、全くの延命のための無駄金というケースが多いのです。

 そして、細かい競争入札や随意契約にかかる、時間や人的な費用も本当にバカにならない。これは最後、私の愚痴です。

NHKはぶっ飛ばされるのか

 NHK党は今回の参議院選挙で、現役だった浜田聡氏が30万票以上集めたのに、党としての集票は少なく当選がかなわなかったうえに、総投票の2%のハードルも超えられず国政政党の要件を満たせなくなりました。社民党やチーム未来などが生き残り、参政党などの新党が増えた中でNHK党や立花氏の賞味期限がきれたのかとも言われます。
 NHKの強権的な訪問集金が無くなり、チューナレステレビも普及しだして政策の多くが実現し、一方賛否もあった兵庫県知事問題では斉藤知事をアシストするかたちで、民意を煽り再選のフィクサーとなり存在感は示しました。

 彼のNHK時代の暴露話、お金や女性問題などはおそろく事実であり、公共放送としてはとんでもない組織です。業界としては斜陽のそんな組織がありがたがられ幹部は超高給でのうのうとしているのは、まだまだ問題です。彼とその仲間にあばかれた政治家、実業家、芸能人もまだいけしゃあしゃあと活動していて、この国は政治的意図のある、都合のいいときでないと、スキャンダルは表に出ないことが良く分かります。

 戦後80年といことで、暑苦しいドラマが増えそうですが、私の義母などは朝ドラと大河、ブラタモリとニュースしか見ないと、NHKの申し子みたいな人です。かと思えば、もうテレビも新聞も見ない、パソコンのデバイスとしてのモニタはあっても、何年も地上波を見ていない 30~50代の人は増えています。フジテレビもどん底に一度落ち、オールドとかオワコンとなった地上波はどこへ進むのでしょうか、NHKはこれからますます衰退はするでしょう。

 立花氏のこれからの活動には、いろいろな意味で注目され、眼は離せません。

遠ざかる明るい未来:DX、AIで日本は変わるのか

 戦後80年、日本は復興し、発展したのは間違いないです。
55年前の1970年大阪万博で子供たちは極彩色の未来をみて、バラ色の夢を見ました。

 ロボットとかサイボーグ、不老不死の機械の身体、こんな発想は昭和のSF,漫画や特撮でとうに描かれていたもので、21世紀にはもっと実現して次の未来にワクワクしていると思っていました。ところは2025年にもなって、スマホでテレビ電話や、配膳ロボットは見かけても、なかなかバラ色と言うまで爽快な当時から見た未来ではないようです。
 AIなど確かに感心する時もあれば、もっと早く実現できたこと、実現しそうなことが多いのは、何か閉塞感を感じます。

 交通機関をとっても、空飛ぶクルマ?ドローンやヘリといっても、個人で自転車のように乗るドラえもんのタケコプターのようなものはないですし、現実には法律で規制されてハードルは高くて、無理なのが分かります。

 リニアを始め、新幹線が全国にはめぐらされ、日本中に簡単に行き来できるかと思っていたのが、地方は鉄道すら廃線となり、都市にばかり人が集まり格差は広がります。リニアが完成するのは30年先とかさらにその先では、生きて見れるか以前に夢の実現感も、新鮮味も未来感もないような政治的な予定進行になっています。

 今の時代を生きるのが精いっぱいで、例えば、介護や配膳、清掃や警備はもちろん、多くの事務系やカンタンな作業といった仕事はAIやロボットが適正で有利なのは明白です。初期コストは別にして長い目では人件費より安上がりです。そうなると、大量の失業を生むから、足踏みしているのでしょうか。

 CMモデルにAIが起用されたところもあり。個性的なニーズに合う更にリアルなAIが来ればもう人間のアイドルなど苦労して育てなくてもいい時代が来ます。
 

 人間の半分以上が、架空の映像を見ながら、ロボットに介護されて、集団施設で生きながらる未来。やはりバラ色とは言えないのがリアルなのでしょうか。

戦後80年 語り継がれるべきものと、噛み合わないもの

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 1945年が終戦だったので、戦後80年となる今年ですが、当時カラーテレビすらなかった世界に、今やネットが波及し、ほとんどの人がスマホやパソコンで情報を得ている時代になりました。

 今年は10年毎の節目として。戦争の特集、原爆の被害、戦没者への哀悼も増え、戦争の恐ろしさを伝える反戦への動き、論争も活発になりそうです。
 現代はネットを中心に、左右がだんだん激しく極端な方に傾き罵り合う傾向が強くなっているように思います。
 発言は歪曲とまでは行かずとも、切り取りをされ、強調され、炎上するように論争相手に火をつけます。

 防衛問題と、戦争を語り継ぐ話は対にされがちなのですが、何か実は論点はずれています。

 今回の選挙で少し過激な保守系の主張に対し、戦争や原爆はこんなに悲惨だったのにと加、徴兵は人権違反だったとかいう論調さえあります。
 抑止力としての核共有や兵器の開発もまた国民を戦争から守るためであり、戦略として有効と思えるから検討するわけです。すでに米国の核の傘に守られている、安心で発展してきた戦後日本は否定できないでしょう。
 戦略として、戦争の放棄、核の廃絶、非武装中立を掲げるのもまたありでしょうが、おそらくそれでは戦争を抑止できないのではという検討です。
 米国とて、都合よく、急襲された場合にすぐはせ参じて対応してくれるのか、あくまで他国なのは関税交渉を見ていても分かるはずです。

 また反戦的な報道をしているようで、今のドラマでは描写が限られ、表現の制限も多く、視聴率的にもずっと暗く悲惨で不潔な様子を今の俳優に演じさせるわけにもいきません。主要人物の誰かは戦争で死んでも、主人公は生き残り、一時的には悲しみに包まれますが、1~2週すると、あっという間に時間は経過し、こじゃれた衣服で、たくましく新しい仕事に就いたりします。この程度で戦争を伝えようとしても、若い人には何だそんなものかとしか伝わらないのではと思います。

 戦争の被害、原爆の悲惨さはファクトとして後世に伝えないと行けないことで、そこに美化も矮小化も、政治的な意図もあってはいけないのです。大衆は、洗脳されやすくプロパガンダに乗りやすいです、だからこそ今年の夏は、間違った論争も報道も徹底的にチエックされるべきです。

政局:長老院政は少なくともNO

 自民党およびその支持者の中に、参院選で惨敗の石破総理の辞任を求める声があがり、トランプ関税交渉に目処がついたものの政局は波乱含むです。
「石破では選挙が戦えない」とばかりに「石破おろし」に元首相の3人が会談して、辞任を求めたものの、総理は続投の意思を示していると想像されます。
 野党の一部からは、石破首相を評価する声も上がり、「続投」を求めるデモも起こり混迷を極めています。そもそも石破だから負けたなどと思っている自民党の驕りがとんでもない驕りであり、間違いです。石破首相も自民党の党員に安倍元首相より人気があって推された時期もあり、高市さんや小泉ジュニアなら勝てたかというと、それぞれに問題があり、当時も石破さんが一番マシで選ばれており、時間を巻き戻しても結果は似たようなもので、国民民主党や参政党などの勢いが変わっていたとは言えないでしょう。敗因分析が首相の顔というところが、間違っており傲慢なのです。
 今までなら、選挙に負け、こうやって長老ともいえる元フィクサーたちが動き、マスコミが煽れば辞任というのが定例でしたが、石破首相は案外粘り腰です。
 その評価は厳しいものがあり、成果はというと、財務省よりで私も失望が多いのです。しかし今回の選挙の敗北の責任に関しては、裏金問題以降の自民党そのものの腐敗、凋落で保守層の支持すら失ってしまったことです。参政党や日本保守党のまっすぐな主張に比べ、自民党の体たらくは明らかです。
 選挙の顔としての総裁を挿げ替えたところで、本質的な支持が広がるかではないのです。圧倒的な支持の地盤がある中なら、ちょっと政策を誤り、政治課題で世論が騒いで負けたら総理の責任で交替でも良かったのです。
 長老がよってたかって次の総理を決める、70代後半や80歳超えの議員が居座り、次も公認されるような党の体質こそ根本的な問題です。

 今、日本は大変厳しい構造で、戦後発展してきた業界と政治が長く癒着して、腐敗して壊死が始まっています。国民が所得の半分を取られて、この腐敗に貢いで、身体全体に侵攻して力が無くなっています。
 スキャンダルや行き過ぎもあっても、キャリアは浅くても、しがらみのない政党に一度政治を任せ、古い政治とそこに群がる病巣は取り払わないといけないのです。
 その意味では総理大臣がやりたいこともやれず、結局責任を負わされ、院政する長老の言うがままの辞任に追い込まれるようでは、むしろダメなのです。総理大臣や党の代表は合議はすれども、最終的には決定権のある最高の権力で政治を進めないといけないのです。

 もちろん石破さんには失望させられ、勉強不足の面も数々ありますが、今の自民党の中で誰かに変わって、党が延命することは、内閣が延命するよりも不幸なのです。

 いずれにせよ、今回の選挙は一つのターニングポイントになる結果でした。次の衆院選こそ本当に日本にとって重要な選挙になります。それまでに、選挙の体制も含めて、もっと変われないものかと思います。

 

参議院選挙の後

 とにかく京都は暑い日が続き体温超えの気温はきついです。
 選挙の総括なんてのは評論家や、新聞報道でいいのですが、ちょっと感じたことを昨日に続き書きます。
 自民党が負けた負けたと言いますが、予想の最悪の手前で踏みとどまってはいます。高齢者中心の支持とはいえ比較第一党は維持しっています。一人区の福島や群馬では最後競り勝っています。

 参政党や日本保守党が出てきて国民民主党の躍進が目立つ報道ですが、立憲や維新の停滞、共産党や公明党の凋落も激しいものがあります。労働組合や宗教団体、業界などの組織票が弱まってはいますが。かと言って、バックに何もなくて政治家に簡単になれるわけではありません。
 新興の中ではNHK党や石丸新党も0議席でした。旬が過ぎたのか、組織として政党を維持して拡大することの難しさを示しています。

 維新だとか、れいわも新鮮さはなくなり、その時の旬の新党にとびつく層に食われるとなると、政権を担うとなると、自民や立憲ほどに大きくなるのは参政党にしろハードルは高そうです。

 しかし、参政党の参加型の政策、若い集合体で問題もありますが、地道にここ数年試行錯誤はしています。新しい意味でのどぶ板選挙をやっての成果とも言えます。この人達が自民党や立憲民主党に入っていても、政策の議論に参加するまでにどれだけ時間と労力を失い気づけば60過ぎてやっと大臣とかいうサイクルだったでしょう。

 そういう意味では70歳や80歳を公認していたり、幹部や要職、黒幕でゾロゾロいるような自民党はさすがにオワコンとは思います。

 政治も、政党も選挙もそろそろ、抜本的に変えないと、日本の低迷は終わらないです。安全保障、原発、税制にしろ、こういう風にしたらいいと政策ごとに、アンケート方式で、投票をして民意を諮り、実現に向けて汗を流すの政治であり、行政、公僕の仕事というのが基本ではないかと思うのです。今の投票では、どの党にいれたら、その政策が実現するのか見えないですし、人柄といって地元のイベントや祭りで見かける人に投票して何も変わらないような政治はもうおしまいでいいです。

選挙開票で気になること

 実は私が不明だったのですが、過去に各地自治体でタッチパネルなどの電子投票は模索されていたようです。しかい、いずれもトラブルやコストなどで頓挫して、紙に鉛筆で書いてもらって手集計というアナログ選挙が続いています。
 用紙を数えるのは機械が導入されていますが、それまでの判断は人間がやります。難解であいまいな漢字もあり、よくぞ一晩でと思うのです。
 実際に応援の人にもよると、体育館などでエアコンも万全に回らない会場もあり、聞けば聞くほど大変なようです。
 投票箱ひとつとっても非常に思いものですい、立ち合いに行く人も結構労力はいります。

 スマホで何でもできる時代なのに、一度失敗するとデジタル化が全く進まないのも困ったものです。マイナンバーカードの機能進化、コンビニでの住民票や公共料金の支払い、オンラインで買い物、タッチで交通機関に乗れる時代になぜにここまでアナログが続くのかと疑いらくもなります。
 自治体の方などは超がつくほど真面目で不正を逃さないとは思いますが、どこかで鉛筆書きの得票がごっそり入れ替えられるとかいう噂も絶えません。
 デジタル化のメリットは「選挙結果の判明が迅速かつ正確」、「有権者の意思を正確に反映(疑問票・無効票解消)」、「自書が困難な有権者も容易に投票」です。

 今回の参院選も、かなりトラブルがあって、比例代表の党内の当選決定がかなり遅れました。
 元々、このドント方式の並列で名前を書くヤツは、投票するも難しいですし。それを素早く判定し集計するのは大変です。結果、個人としては多くの票を集めた人が、党全体として票が少ないと落選というのも、どうかなというところがあります。

 選挙そのものの総括や、今後のことはまた別の機会にです。

海の古都:福井、小浜と結ぶことは京都にも便益

 京都を代表するお祭りの祇園祭が今年も前祭の宵山、巡行と賑わっていました。友人知人も地域で支える役目をしたり、見学にかけつけていました。相変わらず、地下鉄から大変な混雑でした。
 参議院選挙も投開票まじかで、みなさん大変な暑さと突然の雨の中、ヘビーな活動です。もちろん、日々仕事など日常を頑張る人も暑さや、何だかんだ息苦しい夏です。

 京都のことをよく知らない他の地方に住む鉄道のファンから、「北陸新幹線延伸の乗り入れ、大深度工法で京都の地下水の問題とかで京都市民はすごく反対してるんですね?』と言われました。
 しかし、北陸新幹線延伸に反対する声はそれなりに聞きますが、個人的にはそれほど感じませんし、大部分情報の間違いや煽られてのものです。
 今さら新幹線はこれ以上要らないという話とで今のオーバーツーリズムの弊害と混同だったり、市の財政を鑑みこれ以上負担が増えても困ることなどが錯綜して、本当は水が主な原因ではないです。京都には鴨川が流れ、飲料水は琵琶湖からの疎水で賄われています。確かに、市内各所に名水の湧き出ているところもあり、伏見の酒造会社はその水で清酒を作っていることはあります。しかし、大手酒造会社は、別の県で製造や桶買いを貰っていますし、拘りもわからなくはないですが、大深度工法イコール地下水の枯渇ではなく、ほとんど杞憂です。
 手術で動脈に針かメスで傷がつき、大出血して死んでしまうようなイメージが飛び交っています。むしろお腹を大きく切り裂いた回復手術ではなく、内視鏡で負担なく慎重に進める最新の手術のイメージです。何度も回復手術しても大出血しなかったのに、今度は内視鏡をしかも慎重に進めるのに、大反対というのは政治的な嫌がらせに感じます。
 一応は国が決めていることを「お金がないから」とは言いづらくて「京都は『水の都』で地下水を使って、和菓子や清酒を作っているので枯渇すると大変」などと煽り、京都仏教会まで絡んで、北陸新幹線延伸小浜ルート反対に便乗しているだけの気がします。

 すでに京都には戦前から新京阪(現在の阪急)の地下線が掘り進められ、河原町まで延伸、京阪も七条から三条を地下化し、さらに出町柳までを延伸しています。そして、地下鉄も南北の烏丸線が昭和の終わりには市電に変わりできた後、平成の間には御池通に市内東西を貫く東西線も完成しました。これらの時代は開削工法と言われ、地上から大きな穴を掘って圧縮して線路や駅を作る旧来のやり方で、時間もかかっていました。私の実家近くの二条城の南側も長く時間をかけていました。
 最近の地下鉄はシールド工法といい、円筒状のマシンが地下を掘り進むやり方で、地上に現れないため、随分早く工事はできます。これだけ考えると、すでに書いたように、これまでさんざん地下線を掘っている京都市内で、大深度でシールドマシンで掘るのに、何で今度だけ水の問題で大反対するのか意味が分かりません。

 リニアの都市部や北陸新幹線延伸はこのシールド工法で40メートル以下の大深度を掘るやり方で、土地所有者の承認なく進めることができるのです。
 このやり方の方が、立ち退きや迂回渋滞もなく工事が楽なのと、地下水への影響も少ないとされています。
 そもそも高度経済成長期以前に、土地買収できた東海道新幹線などに比べ土地の買収はリニアや整備新幹線で、都市部に乗り入れる場合大変なコストでしたが、そこをクリアできたのです。
 

 京都市は別に、堀川通の五条から十条まで地下トンネルのバイパスを作ることは昨年決めていますし、その他にも雨水を貯めコントロールする地下幹線や、商業施設も地下にあります。
 大深度工法に関して、町田や福岡で陥没があった例で不安と騒がれますが、要因は複雑で特定できないものですし、大部分の地下施設の上や周辺が都会では不安になりますが99.9%の他の所では何も起こっていないのです。
 

 京都仏教会が北陸新幹線延伸乗り入れに反対と書くと、京都のお寺がこぞって反対に聞こえますが、清水寺や金閣寺の有名観光寺院だけのグループで、多くの檀家を抱える一般のお寺は別です。
 福井の永平寺はじめ、北陸地方にはつながりの深い寺社が多く、今は直通特急も無くなり不便になっていますから、小浜経由の延伸は待望されています。
 そして、写真であげた小浜市のお祭り。「小浜放生祭(ほうぜまつり)」は、380年以上の伝統を誇る、小浜市八幡神社の例大祭で、県の無形民俗文化財に指定されています。祇園祭に似た、神輿や大太鼓・神楽・獅子・山車などの演し物が2日間にわたり旧小浜町内を巡行し、芸や囃子を披露します。
 ひとつの祭りに4種の演し物が出る、全国的にも珍しいお祭りです。県外から多くの観光客が訪れる若狭地方最大の秋祭りです。
 とはいえ、小浜市の人口はたった3万人、市政の規模としては小さいもので、周辺を合わせても過疎地域が増え、祭りや寺院を支えるのも大変だと思います。
 祇園祭はじめ、京都の文化や行事を支える方々のご苦労も知っていますが、100万人以上いる大都市で、ファンドをするにしろお金の集まりも違います。
 私は京都の賑わいを見ると、少し分けて上げたいの想いもよぎり、北陸にも魅力ある場所や祭りもいっぱいあることを知って欲しいです。

「海の古都(奈良とも京都とも)」言われますが、観光で行くにはJR小浜線は本数も少なくアクセスは厳しいです。新幹線ができ、京都や大阪と短時間で繋がると、ビジネスや観光の掘り起こしが可能なポテンシャルはかなりあります。その経済効果はとても大きいので、既存の米原駅にいまさらつなぐのとは比べ物になりません。公共事業とはどうあるべきかの使命は何か意味を考えさせられる問題です。
 すでに東海道新幹線のある米原は今さら発展もないでしょうし、JRも滋賀県も反対であれば実現はハードルも高いし、作る意味がないのです。
 米原ルートが近くて安価にできると思いそちらにしたらとまで勝手いう政党までいましたが、思考が浅いとしか言えません。

 新大阪・京都からこの小浜、敦賀、その先の福井、金沢、富山からつながるのが北陸新幹線の完成形です。
 東海道新幹線と最終的には並行代替機能もあり、東京と新大阪で双方つながるようなケースは初めてで、何とか政治的に地元負担も例外的なものを設けて、早期の実現に動いて欲しいものです。

 昔は騒音や振動と言った公害が問題にされましたが、高速車両技術が改善し、トンネル採掘技術が進みクリアされた面もあれば、陥没やら水の問題とか新たな可能性への配慮も求められるようになりました。井戸水の枯渇など可能性への補償というのは、リニアの問題でもそうですが、公共事業と個人の生活を補償するのは完璧はないだけに、前もって補償するのも難しいところです。

 元々鉄道事業は立ち退きなど、反対する方の気持ちを抑えないといけないものでしたから、JRや国はしっかり頑張って欲しいものです。
 京都にとっても、永平寺のある福井など北陸とのつながりが便利になるのと、格差のある北部の発展、舞鶴、橋立経由の山陰新幹線への布石にもなるのです。
 だから京都の人も、昔の時代の技術よりもはるかに環境に配慮した工法に対し、科学的根拠のない印象で反対に与するのは避けて欲しいです。
 これはリニア問題の静岡県他の人に対してもそうです。ことに静岡県の場合、デメリットしかなくメリットはないと言いますが、元々奇妙な県境の引き方で、全く人のいないはみだした県域の山地を通るだけです。たまたま大井川の上流に位置するだけで、国や他の県から見れば難癖をつけているとしか見えない感じです。すれ違いざまに肩口に掠った程度で胸倉掴まれるようなものです。
 確かに水が枯渇するかもしれないという不安はあるでしょうが、良く調べると大深度でその可能性はゼロ近似、非常に低いものです。ただ完全ゼロなどとは証明できないのが科学、工学の難しさです。
 こういったあたりは、大深度工法の技術書や理系の方にもっと、フランクに確かめるべき点が、どうもJRの態度とかで頑なに感情的になってしまわれています。
 しかし、結果として工事が遅れるのは1年で下手すると何千億という利益を損ないます。国であれJRであれ、最終的に蒙るのは、反対で工事を長引かた人以外の日本人です。一部のゼネコンだけが契約料や事務所を立てている間は儲かりますが、その他は地元も国もJRも負け負けの関係です。
 よく当地に住んでない人がそういうな、当事者はやはり心配だと返されますが、第三者だからこそ、技術的な本も読み、無茶なことをしているわけではないことも冷静に解ります。

 京都もそうかというと、こういう時には、一部の政治からみで何でも反対という世論を煽る輩もおり、マスコミも面白がって取り上げて何が真実かファクトチエックが難しくなるのです。
 国策に抗うなど、昔なら非国民で厳罰です。権利を主張するのは自由な人権の時代ですが、それだけに国全体の決め事が進まないので、みんなでもっと勉強することが大事です。ネットは自分が思う方向のサイトを次々と関連で勧めますから、まず冷静になって、図書館などで調べ直すことを私もやっています。


 万博では未来社会に心をときめかせ、能登の地震には復興を祈る人が、未来の世代を慮る人が、新幹線やリニアには妙に我利に拘り、心を狭くしている場合が多いように思います。
 京都の人、都人(みやこびと)は本来新しいもの好きで、他国との交流も好きで、交通の要衝として、旅人を歓迎する度量があったはずです。また旅の拠点、ハブ機能を他の街に譲ると、衰退につながることも、他の古都の流れを見ると分かります。

 万が一にも、小浜ルートが無くなった場合、京都の人がふるさと増税でもファンドでも良いので、小浜を少しでも支援してあげて欲しいものです。