訃報や喪中便りに思う

 11月末あたりから、年賀状の断りのハガキがチラホラくる時期です。年賀状そのものが減ったとはいえ、ご丁寧な対応です。

 若い頃は友人からだと、祖父母のケースが多かったのですが、最近は父母の場合が増え配偶者というのもありました。

 そして、同世代の方が鬼籍に入られたということで、年賀状のリストから消すこともあります。

 1年を振り返って、著名人の訃報をまとめた特集などもあり、寂しく思うこともあるかもしれません。今年でもプロ野球の大スターだった長嶋茂雄さん始め多くの有名人が亡くなられています。

 同年齢の方が、今自身が患っている系統の病気などで亡くなられると、「次は自分か」などと思ってしまうようです。あるいは、その有名人が活躍した時代、自分も若く元気に満ちていたと戻らない時間に切ない感情にとらわれます。

 しかし、まあそんなことを寂しがってもしょうがないのです。有名人や知人といっても、過去であり、他人であり、今の自分ではありません。

 今直接一緒に利害があって何かをやっているわけではないでしょう。

 しょせん人間は今をこれからの未来に向けて歩むしかないのです。

 今はそのものも減った年賀状に子供や孫の写真を印刷する人がいます。人それぞれですが、子供のいない人の中には不快な印象の場合もあります。

 子供がいる、孫がいるというのは一つの属性かもしれませんが、その人本来のプロフィールではありません。

 本人が心身の状態がどうで、どういう考えを持ち、何をやっていて、次はこういうことをやりたいとかいうことが、本来伝えるべきプロフィールです。

 人間か過去にとらわれると未来の希望をなくします。

 過去を上手くまとめ、どんどん新しい経験を積み重ねて新しいことに取り組む方が良いのです。

 そう考えると、す人生の目的が見えるかもしれません。

 

鉄印帳、三セク地方鉄道を応援

 乗り鉄、ローカル鉄道と廃線探索好きですが、それほど几帳面な性格ではありません。

 撮り鉄とは程遠いカメラ技術ですし、切符などの収集を、スタンプ集めするほどマメな細かさも持ち合わせません。

 いろいろやりだすとゆっくり楽しめないこともあります。

 ローカル線の撮り鉄など、待ち時間も大変ですし、クルマなどでないといけない場所で長く待つのも、本来の鉄道好きとはちょっと違う気がします。

 あまり、鉄道のその情景というは、モノとして残りにくい、伝えにくいものというのもあります。

 ただ、大変遅ればせなからですが、全国の第3セクターの鉄印帳を始めました。

 お寺の朱印帳の鉄道駅版のようなものです。書き置きや印刷もありますが、本体を持っていてその駅までの切符を持ってないと書いて(売って)貰えないものです。

 対象のローカル鉄道の駅では、けっこう目的にされて先に待っている人にも出くわします。

 時間的には贅沢な趣味かもしれませんが、経営では相当厳しい元国鉄の赤字地方ローカル線転換がほとんどなので、協力してあげたいと思います。

 もっと、先にやっとけば、あそこであの時貰えたのにと思うところもありますが、それはそれで再訪する運命と思い頑張ります。

 

博覧会とともに進化した大阪メトロ

 今年は関西万博の年でした。万博を歴史も含めて書くと長くなりますので、主に鉄道に絡んだお話とします。

 1970年吹田千里で開催された日本で初めての万博、当時私は小学生でした。

 当時のメイン輸送は大阪地下鉄(現大阪メトロ)御堂筋線に直結した北大阪急行で、太陽の広場などメイン会場のすぐそば万国博中央口駅を結んでいました。御堂筋線は難波や梅田のターミナル、新幹線の新大阪にも接続していて、大量輸送に応えていました。

 この北大阪急行は千里に向かう途中から分岐する専用の臨時の支線で、なんと会期中限りの営業でした。

 32もの改札、券売機を備えた巨大駅がわすが1年足らずの設置だったのには驚きます。現在中国自動車道の施設になっています。

 短い期間で線路や駅は所有が原則ですが、土地を買うわけにいかずこの期間だけ、北大阪急行が道路公団に頼み込んで貸してもらったそうです。国家プロジェクトの凄さを感じるエピソードです。

 1970年の万博は目標をはるかに超える6400万人の動員は、今も破られない史上空前の記録で、日本中の人が大阪に来たような数字です。

 会期終了がせまった9月5日の土曜日には835832人もの入場があり、迷子や尋ね人が2000人以上、閉門時間にも帰れない人が17万人も出て、北大阪急行は付けを超えても深夜輸送をしましたが、ビジネスホテルすらない当時に難波や梅田に送られても結局夜をそこで過ごす人が数万人いたそうです。

 連合赤軍が太陽の塔の目の部分に立てこもる事件もあり、安保の年で中国との国交正常化はまだ2年後の時代。

 それに比べますと、時代が違うとはいえ55年後の今回の万博はトラブルにしろ、スケールは小さいものです。猛暑で行列もでき、目標をクリアしたとはいえ入場者は2900万人で、1970年の半分以下、関西に住む還暦超え世代は懐かしくて何度も訪れている人もいましたが、全国的に見るとわざわざホテルまでとって大阪まで来る人は少なく関西ローカルのイベントに過ぎない感は否めません。

 1970万博の20年後、大阪市鶴見緑地で国際花と緑の博覧会が開かれました。こちらも関西で開かれた博覧会協会公式の認定博覧会です。入場者は2300万人とテーマが絞られた認定博覧会では1985年つくばの科学博覧会の2000万人を上回る動員で、今回の関西万博に劣らない賑わいでした。

 この時のアクセス鉄道は、大阪地下鉄の鶴見緑地線のいう新しい路線で、リニアメトロと呼ばれる新しい技術の地下鉄でした。従来の車両よりコンパクトで地下トンネル断面も小さく低コストで建設できました。当時の次世代技術で今も走り続け、全国の地下鉄線、私鉄線にも継承されています。

 今回の関西万博では大阪メトロ中央線を夢洲まで延伸して400系という宇宙船をイメージした未来型の車両が導入されました。クロスシート、WifiやUSB電源、大型液晶モニターを備えた車内で、自動運転にも対応できる車両です。

 桜島、舞洲方面からのバスは一部自動運転が導入されていました。博覧会の目玉に、空飛ぶ車や、ライオン型のパーソナルモビリティ「コルレオ」、住空間のようなキャビンごと移動する「アリスシステム」など未来の交通機関の展示もありました。

 大阪の鉄道駅にはQRコード対応の改札口がほとんど設置できており、ペイペイなどで入場できます。メトロの駅には顔認証の改札もできており、自動改札ができた55年前から、確実に未来に来ているのです。

 なぜか、博覧会開催は関西に多く、鉄道の新しいシステムも関西から生まれるのが多いのは少し嬉しいです。

 いずれにせよ、これからの未来の発展を楽しみにしています。

 

 

自由席が無くなってくる

 東日本、西日本に続き北海道のJRも在来線特急の全車指定席が増えています。

 新幹線ものぞみは繁忙期は全車指定席になっており、これからの年末年始は指定を取らないと乗れません。

 私鉄王国の関西では、南海の一部と近鉄特急を除けば、京阪神の特急は無料で快適な自由席だったのが、一部または全部の車両が特別料金の指定席となって来ました。

 知らずに有料座席の車両に入り戸惑う人もまだいます。その日の気分で、自由気ままな旅にっと出る人には少し面倒な時代になりました。

 JRのルールで、指定の特急に乗り遅れた場合は後続の特急の自由席に乗れるというものがあります。しかし、西日本で言うと北近畿や南紀方面やサンダーバードなどは全車指定席ばかりなので、指定に乗り遅れると普通電車しかなく旅が続けられない事態さえあり得ます。

 それでも、今は交通機関に限らず、施設や飲食店等もネット予約が主流の時代で、それにみんなが慣れてはきています。

 私の学生時代等は昭和そのもので、夏休み等は周遊券で乗れる夜行急行自由席目当てに、始発駅には座り込みの長蛇の列ができていました。

 確かに自由席は始発駅有利の不公平がありました。また特急券の検札や車内販売など、乗務員さんは大変でしたし、不正乗車もあったでしょう。

 直角のボックスシートに座るためだけに長い行列で待った時代が昔かと思うと、万博などでは今だに並ぶのが耐えられる好きな人もいるようで面白いです。

令和には続かなかったヒーロー

 藤子不二雄さん、お二人が別々の活動になり、亡くなられてもだいぶ経ちます。ドラえもんは年に一回は新作映画が作られ、誰もが知っているワールドとして描かれ、テレビでもCMや募金などでもずっと見かけます。

 ドラえもんの最終回はどうなるという考察もよくなされ、ファンの創作も出回ってます。

 漫画もよく読んだ私の子供時代は、藤子不二雄さんといえばオバケのQ太郎が大人気でした。SFとスパイ的な「パーマン」「21エモン」も好きでした。「ウメ星デンカ」も良かったです。当時は後から出てそれほどブレイクしていなかった「ドラえもん」だけが、他のキャスト含め大ヒットし知らない人がいない国民的なアニメになりました。

 藤子不二雄さんのお二人が別れた関係もあり、版権の問題などでオバQ他の作品もなかなか再放送やリメイクもされません。

 万能なバッチやヘルメット、便利なコピーロボットなど、ドラえもんに負けない「パーマン」の設定は好きでした。

 しかし、魅力的な道具と無茶ぶりな使命を託したスーパーマン、その人はもちろん名前が使えずバードマンに変えられました。

 さらに、パーマンとかパー子とか言う言葉自体が不適切な言葉狩りにあい、版権もややこしいので放映や、リメイクは完全に難しくなりました。昔は何かおどけたことをやると、「お前はくるくるパーか」と言われたものですが、パーという表現をそういう使い方はできなくなりました。

 ドラえもんの毎年の大冒険映画や、コナンやしんちゃんの冒険映画も、よく作られていますが、さすがに同じシリーズをあまり作り過ぎるマンネリと矛盾は否めません。

 実写特撮ではスーパー戦隊シリーズが休止になり、宇宙刑事が復活するようです。

 藤子不二雄に限らず、以前の他の作品の題材をリメイクするのもいいとは思われます。

 いろいろ武器を持った子供のヒーローアニメ、新しいのもいろいろ出て来てるのかと思いますが懐かしいです。

 

紅葉を眺められるか

 桜に比べれば、やや期間は長いとはいえ、紅葉のベストシーズンにうまく観るチャンスがあるかは天候など含め意外と難しいものです。

 桜、新緑に比べると、これから散っていき冬を迎える前に、色づく紅葉は切なさと侘びしさを感じます。

 竹内まりやの「人生の扉」の歌詞に「この先いったい何度 見ることになるだろう」という節があります。

 年齢を重ねると、元気だ大丈夫、まだいけると励まされつつも、紅葉やら季節の侘び寂びなど感じる暇もなく遮二無二だった若い頃を懐かしんでしまいます。

 それでも、人生は素晴らしく、美しい、素敵だと、そう自分に言い聞かせ、ゆるやかでも歩いていくのです。

京都市の賑わい今は昔 

 京都市の100年という写真集が発売されるそうで、プレで写真展があり、何枚かの写真集の中身も鑑賞しました。

 100年ということは、昭和の初め、戦前から高度経済成長期など、古い街並み、懐かしいお店や市電なども見られます。

 建物、交通機関や買い物、通信、さまざまな文化や風俗が現代から見ると様変わりして、栄枯盛衰が感じられます。

 京都は千年の都と言われて、歴史や古いものを大事にするように思われますが、どんどんと新しいものを取り入れてきたからこそ、長年の反映があったのです。

 歴史や伝統だけを頑固に守っていては、明治以来の革新的な勢いのある街ではなくなります。そこをはき違えて、伝統だけを守ることを主張する人がいますが、それでは現代に生きる人にとって生活の街ではなくなるのです。

 外国人を含む観光客が増えてバスにも乗りにくいという不満の声もあります。

 交通機関やマナーにも問題はありますが、日本人の人口が少子高齢化でどんどん減る中で外国人でも来てくれるだけでありがたい話、贅沢な悩みです。

 有名な観光地は賑やかで、ホテルやマンションは増えましたが、一歩入ると下町は空き家も増えて、どこの地方都市や過疎地域と変わらない寂しさが見られます。昭和40年代ぐらいまでの下町界隈では、年末や祭り、交差点には、現代にない賑わいと活気があったのが、この写真集からも見られました。

 私が実家のあった三条会商店街、あるいは出町の桝形商店街なども、今レトロな注目で盛り返し賑わっています。しかし、バブル以前にまだ、スーパーやドラッグストアやコンビニがない時代の、生活必需品を買い求めた賑わいに比べると天と地のような閑散です。

 外国人観光客が少なかったら、ゾッとするほどの寂しさでしょう。

 栄枯盛衰は時代であり、仕方ないものと受け入れるしかないのです。

 交通を整備して、ゴミなどの啓蒙を徹底し、観光客からも無理のないように市や市民の収入につながる対策を講じれば良いのです。

 観光も含め、企業や大学があるだけでは、今後も人口減少の歯止めは効きません。

「もうこれ以上観光客は要らない」「北陸新幹線もリニアもう要らない」

 高齢者の多くは、変化を恐れこのまま静かな衰退を容認するかもしれませんが、歴史を見れば京都の町はかつてもっと賑わっていたのです。

 明治の初め、東京に首都が移って衰退の危機を感じ、最も革新的に新たなものを取り入れた貪欲なまでの斬新さが、京都に住む人の肝であることは忘れてはいけないのです。

47年前の周遊券

 古い手紙や年賀状を整理してたら、47年前学割で行った北海道ワイド周遊券が出てきました。

 復路のB券は駅で回収されるので、夜行の座席確保もあり、大阪発着にして最後の京都は途中下車扱いで手元に残していたものです。

 昔は体力的にはきつくても、夜行急行の自由席が宿の代わりに使えました。

 途中下車印も普通にもらえたのか、漏れもありそうです。

 北海道の鉄道地図、これでも炭鉱の鉄道は廃止されたが、まだまだ道北や道東には細かく路線がめぐっていました。

 今は旭川から北に稚内まで一本だけ、富良野はどん詰まりの終着駅になってます。千歳から道東へのバイパス石勝線はできましたが、旭川からの石北本線と釧網、根室本線だけの寂しさです。

 青春18切符が連続5日もしくは5日に限定されて、日帰り使用ができない不満の声は多いようだけど、旅って本来はもうちょっとゆったり長いものとは思います。

 夜行の消滅、路線そのものも無くなり、残っている路線も本数や車両数は減り、条件は悪いです。昔のエリア往復型の長期滞在周遊券のような最強の使い勝手はなかなか難しいですが、現代はそれ以上に便利なもの、的確な情報に溢れています。旅の考察はもっとできるはずです。

 昔の友の年賀状等見てると、ホントに青春時代が甦ります。

 こういうの見出すと片付けが進まないのです。

だんだん広がる?廃線跡の探訪

 廃線ウォークが趣味というと昔は、随分マニアですねとか、変わってる印象を与えましたが、今は世間にどんどん広がっているようです。

 鉄道関連の書籍コーナーにも何冊か入門書から写真集、深く掘り下げたモノまで並び、旅行や鉄道の雑誌にも特集されたりしております。

 本来は鉄道車両ほど映えるものではないのですが、ロケーションによってはキレイに撮られて美しい写真もあります。

 今号の旅と鉄道、ちょうど私も行ったことのある日本一美しい廃線と言われる「倉吉線」や、テーマパーク化も噂される「信越本線碓氷峠」が特集されていました。

 それでも、記事からは全国にはその他、まだまだ行ったことのない廃線跡もたくさんあることに驚かれます。

 別の特集で、最近行ったローカル線明知鉄道も特集されており、何だか奇縁を感じました。

 日本全国まだ行ったことも見たこともない場所があることに、歩き続ける夢を抱きます。好奇心、探究心、夢と希望がある限り、人生はそう簡単に捨てられない。

10月31日京都市役所

 今日がハロウィンナイトですか?一足先に、カボチャのクッキーとかは食べました。

 私はパ・リーグびいきなので、パ・リーグのチームが強くて当たり前と思っていますが、昨日で日本シリーズが4勝1敗で決着しました。関西の多くのタイガースファンの友人たちは残念でした。大谷さんのメジャーリーグのが注目されてるのかとも思いますが、こちらももう少しで終了です。

 半年間、京都市役所の都市計画局都市景観部開発指導課というところで半年間働かせていただきました。裁判所でもそうでしたが、都市計画局の開発指導という、多くの人は何やってるのか分からない仕事、66歳にもなった私をよく雇っていただいたもので、感謝の極みです。

 全く知らない土木系の仕事の職場で、技術系の人や建築、設計の業者さんと新鮮なやり取りでした。公用車やドローンなとの機器や備品の管理や購買、市議会の資料確認、さまざまな仕事をさせていただきました。

 かつては京都市に対して、財政破綻寸前だった点に、外野にいる時は、批判的でもありました。そのスタンスは中にはいっても基本変わりません。

 確かに、市長はじめ議員の方や職員さんは真面目で一生懸命に沢山の仕事をこなしているのはよくわかりました。

 地方自治体の権限の範囲、しがらみなどそれぞれの立場ですぐには変えられない問題も山積みでした。あえて言えば、どこかで誰かが既成概念を打ち破らないといけない課題が多いのも事実です。

 真面目な人ほど、目の前のことをやるしかないのでしょうが、馬車馬の如く、仕事、仕事、仕事では変わらないことがあります。

 変えていくのはやはり自分なのでしょう。