廃線や古い町を訪ねる

 なぜそんなニッチな趣味とか、マニアックな旅をとか言われることがありますが、最近は鉄道ファンも細分化もされ、女性や若い人にもどんどん増えています。
 あるいは京都でいうと仁丹ホーロー看板の同好会もずっとあれば、古墳を見る会も定期的に開催されています。
 廃線をめぐる鉄道ファン、廃墟をめぐるマニアはもちろん沢山います。廃線鉄道の本や写真集だけでも、トンネルや鉄橋にも細分化されて何十冊も出ています。
 裁判所に勤めている時に、裁判傍聴マニアという方も何人か見ました。その傍聴マニアも裁判官推し、各地の裁判所、法廷をめぐる人、有名人の裁判を見る人などさまざまなマニアに分類されます。

 学問や法律だって、まあ長年生きてきて全く知らないことッていのはゴマンとあります。世の中はそれはそれで成り立っており、知らないと急に罪に問われたりして、慌てて専門家に聞かれるハメになったりします。

 私の場合は、一人旅か一人で調べてどこかへ興味を持って移動手段も含めて考えて実践します。

 もちろん、1970年の万博世代なのでそちらもガイドやネットなどで情報は十分得てはいます。また海外旅行も数か国しか行っていないので、東欧やアフリカなども行ってみたいとシミュレーションは何度かしています。
 海外の有名どころなどキリがないですが、それでも国内にお城やお寺などの名所を行きつくしたわけでもありません。

 しかしながら、時間も限られた年齢なので、国内でさえまだ見たこともない地域の景色、文化、歴史に触れられるのですから、とりあえずの優先順位はそちらに回ります。全国の鉄道の中で、子供の頃に見た鉄道路線図で、乗り潰しいたいと思っていました。

 令和に入り、新幹線網は広がり、それ以上に廃線が増えて、乗る機会のないまま、絶景の車窓も封印され消えています。

 廃線をめぐると言いますが、その種類、時期もさまざまです。鉱山や森林、湾岸などの貨物輸送に使われトラックに代替されたものも含めると明治期から令和まで多くの鉄道が消え、それとともに駅や街の活気も消えたところがたくさんあります。
 産業構造、移動手段の変遷を知り、時の流れの儚さを感じられるのです。かつて、この港町が重要な汐待で栄えたとか、駅員のいない無人になったローカル駅はかつて、乗り換えや機関車交換で多くの駅員や関係者で町全体を潤すほど活気があったとかの姿は、郷愁をそそりますし、今見ておかないとやがて完全に移動手段も失い、撤去や老朽化で消えていくものも多いです。

 路線が遊歩道や、記念公園として保存され、古い街並みや建物が保全されているのも、奇跡的なことです。生活する人も減り、訪れる人もまばらな過疎地で、これ以上しっかり保たれるかは全く分からないところです。

 少しでもそれを目撃しておき、伝えたい気持ちもありながら、今日も明日も歩き続けるのです。

 

演歌の歌姫の楽屋で過ごした5分間

 演歌なんてと古臭くバカにする向きもおられますが、曲によってはJPOPの歌手がカバーし、著名なアーティストの作曲もあります。POPSもロックも音楽に境はありません。
 演歌歌手も男性も女性もアイドル的な活躍をはじめたのが、昭和の終わりから平成の始めでしょうか。

 実力もルックスも秀でた、演歌5人娘という人気歌手の方々も今やアラカンです。何とそのお一人に私は若い頃、楽屋で二人きりになるチャンスがありました。

 某県のある会館で、ライブ?当時はコンサートといったものが開かれていたようです。私の元同僚の知人女性が喫茶部でお手伝いをしていたのですが、ちょうど私も別件で訪ねていた時、楽屋に出前に行く依頼が来て、忙しいので代打で行ってくれないかということになりました。売れ出した有名な女性歌手の楽屋ということで嬉しいやら、緊張するやで、慌ててエプロンをしてオレンジジュースを盆にもって届けに行きました。
 イメージを膨らませたからなのか、あでやかな着物に身を包んだとにかくオーラが出ているとんでもない美人に見えました。
「ご苦労様、そこ、置いといて」と、あっさり言われて「はい」と返事したものの、何か会話をしたくてドギマギしながら、
「とても、おキレイです。歌をいつも聞かせてもらっています」
「ありがとう、あなた大学生?歌手か俳優になりたいん?」
 今よりはずっと若いですが、もう30歳過ぎてましたがバイトの学生みたいに見られたので、少しおかしくなりました。当時彼女は20代後半でデビューしてまだ3~4年でした。
 私は自分の話をしてこちらが地元ではなく、もうサラリーマンで京都出身だというと、自分も「大阪や」といきなり関西弁でしゃべりだしました。
 当時ネットもなく、Wikiなどで出身や経歴をカンタンには調べられませんでした。彼女は自分は大阪の下町出身で、太陽神戸銀行に勤めたことも話し、どうしても歌が好きでこの世界に入ってやっと売れ出したと語りました。
「サラリーマンを続けてもええし、芝居や本書くの好きやったら、好きな世界に飛び込んで思い切り頑張ったら誰か見てくれはったり、出会えるもんやで」
 そんな話を5歳も年上の私に話してくれました。
 その後、私もサラリーマンを抜け出すこともできず、ただ忙しい泥沼のような時を過ごしました。あの時、脱サラしていたらどんな人生なのかともいながら、そのすぐあと、彼女がレコード大賞も取り、紅白にも出続ける押しも押されぬ大歌手になっていくのを、羨ましく見るだけでした。

 その後の彼女の人生がどんなものかは詳しく知りもしませんが細面の別嬪さんだったのが、面影があるもののすっかり大阪の良く喋るオバサンになってはおられました。30代で結婚され、2年ぐらいで離婚されたようです。家庭よりもやはり歌を優先したのでしょうか。芸能界の闇の部分もあるのかは知りません。
 今でもそれでも動画サイトでは素晴らしい歌を聞くことができます。歌は薄幸な女性のものが多いですが、トークを見る限り、本人はいたってあっけらかんの陽性のままな方です。

 特に問題はないのですが、あえてイニシャルだけ明かせば K.Kさんです。

京阪電車にテレビカーがあった時代

 京阪電車はシックな統一感のある阪急電車に比べ、関西の京阪間輸送ではアイデアにあふれた車両が魅力でした。二階建て車両もあり、その昔はテレビカーというものも走っていました。

 沿線の門真に松下電器(現パナソニック)が合った関係で1954年私の生まれる前から白黒のテレビを置いた車両が導入されていました。そしてまさに、先の大阪万博の1970年の翌年には早くもカラーテレビが見られる車両が走りだしました。しかも関西の競合事情もあり、その豪華設備の特急が別料金なしの運賃のみ無料で乗れたのです。今は特別車両で関西も各社に有料座席が設定される時代ですが、当時は破格の無料サービスでした。電波状況で画像や音声は乱れる時もありましたが、人気のサービスで、大相撲や高校野球などが移動時でも見られる画期的なことでした。

 阪急沿線の私ですが、テレビ好きなので、このテレビカーは乗りたかったものでした。スマホであらゆる動画が見れ、ニュースやスポーツの情報もリアルタイムで入る今とは違う時代でした。

 大阪万博で、月の石だとか、360度スクリーンやらさまざまな近未来が提案された中、日本の未来への期待が溢れた高度経済成長期でした。

 1970年大阪万博の紹介の子供向けの雑誌か何かで読んだ話があります。アラブかアフリカのある国の政府関係者が、準備で訪れた日本の電車の優秀さと勤勉に規律正しく乗車して、新聞や雑誌を読む日本人に感心し、必ず母国もこうなりたいと思ったということです。
 アジアアフリカの中には、アジアで初めて大々的に開かれた国際博覧会に初参加して、大いに刺激を受け持ち帰って自国の発展につなげた国が多かったそうです。

 さて京阪電車も、今万博ラッピングもして、プレミアムカーも走っていますが、賛否ある今度の万博、車両にはもはや新聞を読む人はいなくて、スマホでSNSやゲーム、動画に夢中な人ばかりです。

 万博を招待ですでに見てきた人のお話では、「確かに面白い、すごい展示もある」けれど「未来や、新しい技術に関してはネタ枯れ感がある」「想像していた通りでモーレツに新しいものはない」とのことでした。

 体験できるゲームとかでもバーチャルでスゴイものがありそうですが、子供の頃のテレビカーや未来館に期待したワクワクはさすがにもうないのかなとも思います。

旅先で読んだ 華麗なる一族の、女性活躍大正ロマン

 2025年のこのミス3位ということで、ミステリ好きだけではギブアップする時代もので文庫本でも1200円ぐらいする長く重い物語です。ミステリというより時代モノで、名家での女性の半生を描いた読み応え十分の内容で間違いなくオススメです。最初は登場人物の名前なども昔の女性ですから短いので誰が誰か覚えるまで私も感情移入が難しかったものです。
 本当にこの時代の文化、史実、風俗を良く調べて物語にしてます。著者は私より少し年下の女性?参考文献リストだけでも厖大です。維新後の発展、戦争景気の波など家を取り巻く状況は変化して、火事や病気などミステリ要素以外でも事故や事件も頻発するわけです。
 常に主人公かな子の視点で、目の前の事象と思いが描かれるのは小気味いいほど正統派な小説です。


【紹介文より】
 『細雪』×『華麗なる一族』×ミステリ!
「女であっても、私はすべてを手に入れたい」
富豪一家に拾われた娘のたったひとりの闘いが始まる。

横濱で知らぬ者なき富豪一族、檜垣澤家。当主の妾だった母を亡くし、高木かな子はこの家に引き取られる。商売の舵取りをする大奥様。互いに美を競い合う三姉妹。檜垣澤は女系が治めていた。そしてある夜、婿養子が不審な死を遂げる。政略結婚、軍との交渉、昏い秘密。陰謀渦巻く館でその才を開花させたかな子が辿り着いた真実とは──。小説の醍醐味、その全てが注ぎこまれた、傑作長篇ミステリ。

 と謳われていますが、書評の中にもこれがミステリ?と言われるほど、ミステリ色は薄いです。事件の真相を解決するという意味では広義の非本格であり、小説としては正統派なのでしょう。

 着物や家事の作法などよくこの時代のことを見てきたように再現しています。スペイン風邪の猛威と対抗策はもちろんコロナを彷彿させます。戦争の軍靴の音も聞こえだす、そして大正の関東地方の大災害へと物語は進みます。

 仕事の行きかえりの短い時間では読み進まず、旅先の車中とホテルでようやく読めました。カバーはしてましたがさすがにカバンの中でくしゃくしゃになりました。

公害 原発事故 負も忘れてはいけない50年

 1970年の万博会場に初めて入った時、本当に未來の空間に来たように夢おどったものです。
 日本はあと30年、50年、21世紀に本当に輝く時代が来るのだと信じられました。
 しかし、日本の国の歴史を見ると、シーソーやブランコのようです。日本ってすごい、日本人ってやはりすごいと思える時期があったと思うと、慢心なのかズルズルと後退し、みんな沈んでいく時期があります。一度、底まで落ちるとまた頑張るのも日本です。
 明治維新や敗戦からの復興もそうでしたが、いい時期のあとには必ず悪い時期も来ます。

 1970年の万博の頃、高度経済成長期から安定成長は続き、世界で二番目の経済大国になり、JAPAN AS NO1と言われ、一億総中流とも呼ばれました。

 高度経済成長の負の部分には、公害や交通事故など予想しきれなかった社会の膨張に伴うものがありました。
 万博の電力館で電気事業連合会は、絶対安全と原発神話を高らかに宣伝していましたが、昭和も終わり、平成になると大きな原発事故も起こりました。
 過去がそうであるように、未来も決して全て明るいものではないのです。光があれば闇がある。闇があるこそ光があるのです。前に進む時があるから、その反動で後退があるのです。後退しきったから、また前進したり飛翔したりする。暗くなるときがあり、寒く冷たい時節があるから、日の当たる季節が温かくまぶしく感じるのです。ブランコやシーソーと同じで、反動の力が湧くのです。

 博覧会は、キレイごとなのは分かり切っています。誘致し、建設するのにも大変なイベントです。大阪に街にはかつて、万博の建設現場で働くため全国の日雇い労働者が来てそのまま住み着いた地区があります。1970年万博も決して良いことばかりではなかったのです。負の遺産は、今回の万博で言われる以上の試行錯誤があったとも思えます。環境の配慮や、労働環境の改善は55年前とは比べられないでしょう。

 公害を起こした企業、原発事故を起こした電力会社も大きな社会的責任を担っています。
 私はこの55年間を感慨を持ちながら、少し冷静に万博を見ます。
 今回の万博ではいったいどんな未来を見せてくれるのでしょうか。

まさにオールデイズ 昭和が輝いていた時代

小学生だった時代、55年前の1970年大阪万博が開催されていました。

 昭和といっても40年代です。バブル期ぐらいが近未来で、21世紀は夢のまた夢でした。
 子供心に、雑誌などで予習もしていたので、小学校から遠足で万博会場に初めて行った時は、やはり未来都市に来たみたいで感動しました。
 両親と兄の4人揃って家族連れで行った時は、父が買ったばかりの軽自動車で吹田まで行きました。新車にしても軽のちっちゃいクルマで、自慢していいような恥ずかしいような感じでした。
 両親の商売が平成の時代まで、そこそこ順調に伸びたのだと感じ、同時にこの時期、日本の国が万博やオリンピックでいよいよ世界の一等国へ進んでいくのが感じられたものです。

 一口に55年といっても当時若手で働き盛りだった20代後半や30歳くらいの人が、とうに80歳を超えて、もう亡くなられている方も多く、元気に次の万博を見る方は少ないでしょう。当時、老人の優待パスというのがあって、よく連れて行ってもらった祖母はもちろん、父も母ももういません。

 今度の関西万博、わりとじっくりとガイドブックを見ました。前売りが売れないとか賛否問題もありますが、海外の国々や国内の企業や地域、三菱未来館などパビリオンはありますが、やはり子供時代の大阪万博とは比べるものでもないです。子供の頃、想像していた50年も先の未来に立っている自分にもう一度感動するだけで、残念ながらさらに50年先が見通せないのです。

京都人の気質 マラソン、サッカー、観光

 昨日(2月16日)私の住む京都市内で、観光名所を回る京都マラソンが開催されました。京都人はマラソンや駅伝を応援するのが好きなのか、冬の間に全国高校駅伝(男女) 全国女子駅伝、車いすマラソンなども開催されます。
 そんな中で、市民の一部の声として、たださえ混雑しているのに交通規制までした上、赤字を出してマラソンをやるのは迷惑という批判的なものが上がり物議を醸していました。私の友人もランナーで参加し、市民の健康のためのマラソンとしては一定の役割はあるのでしょうが、観光地を回るというコースは、他の地方からの集客目当てで、コンセプトは曖昧です。
 マラソンの交通規制は観光ルートを市民ランナーが長時間かけ回るので、駅伝よりも長く、大規模で予算もかさみます。見直しの余地はありそうです。元々、三大祭りや桜や紅葉の時期などに比べ、観光客が冬枯れの頃に駅伝やマラソン開催に手を挙げた経緯もありそうですが、今やインバウンドのおかげで、曜日もオフシーズンもなく市内観光地は混雑が続きだしています。 

 インバウンド増加で、観光地近くのに住む人など、バスの混雑やクルマの渋滞、観光客のマナーの悪さに、オーバーツーリズムの弊害も何かと話題になります。
 それでいて、京都市の財政は破綻寸前に追い込まれていて、市バスや市営地下鉄も高い上に値上げ、市民税や健康保険料、介護保険料、水道料金、固定資産税と、周辺の宇治や大津に比べて割高で、住みづらくなっています。

 観光客や外国人が来て、市が潤えばいいので我慢せよという反論もあります。確かにインバウンドの恩恵は、少子高齢化の日本のどの自治体にとっても、贅沢は言えない恩恵のはずです。ところが、確かに実感としても、外国人が多く来ても、市バスも地下鉄も安くはならないし、税金など公共料金も高いままかむしろ上がる一方です。個人の店で伏見稲荷や清水寺の前に立地にあってボッタクリ価格でウハウハ儲かるところでもない限り、普通に暮らしているとほぼ恩恵はなく、デメリットが多いのです。

 ようやく宿泊税とかいうのを先の市長選でも公約され、最大1万円とか導入されますが、どこまでの効果で何に回すのかもイマイチ分かりかねます。

 京都人というのは、意地悪な印象もありますが、一見冷めていても、おもてなしは好きで、マラソンなどで多くの地方からのお客さんが来ることは嫌がっているのではありません。異邦人を受け容れ、歓迎する気質はあります。
 それでも限度があるのでしょう。街が汚れ、人だらけでは、住んでいられないですから当然です。サッカーのスタジアムも隣接の亀岡市に譲りましたが、正解でしょう。それほど熱心な市民は少ないですから、市内の西京極でやっていた時期などガラガラでした。
 街の人は自分たちは元々ホスト役で、土日は観光客を迎える立場という意識があるので、サッカーや野球を毎週のように熱心に応援に行けないのです。娯楽や文化なら、お金を出せばそこそこにありますから、そこらは冷めているところで、しかたのない点です。
 ただ、半導体など儲かっている地元大手企業があって、これほど観光客が来て、市全体の収支が破綻した夕張市に次ぐぐらい悪いというのは、やはり問題です。
 闇が深すぎます。
 市が切り詰めるところは切り詰めるにしても、どこがザルなのか、穴の開いたバケツのように抜けて、お金が流れるところを見つけないといけないでしょう。大阪や名古屋はけっこう財政を立て直し、改革を進めました。京都の闇は深いと言いますが、市長や公務員がえりを正して、しっかり問題を見据えて頑張って欲しいものです。

大手モールに入るか街の片隅で店を開くか

  年末の少し前から、近所の住宅街の一軒がネイルサロンを開業されていました
 通勤の駅までの往復で見かけるのですが、看板を見て「安い、今度行こう」と話し合っている若い女性もいました。ネイルサロンは町家など小さなスペースでできます。立地がいいと集客もできる反面モールに入るテナント料などが料金に上乗せされるので割高になると想像され家賃がいらない店舗だとその分安くサービスできるのでしょう。
 QRコードを読める看板で、SNSで宣伝しているのでそれなり盛況のようです。

 近くのイオン系のショッピングセンターやモールも毎年のように多くのテナントが入れ替わっています。家電量販や外食大手も撤退、交替するぐらいで、雑貨屋さん、はんこ屋さんも長年頑張っていたところが先月ひっそり閉められました。聞けば毎月小さな店でも固定で50万円以上のテナント料で、更新はテナント料も値上げがあり、歩合で上納する売上が少ないと燻し出されるようです。そうやってテナント全体の鮮度を上げているのでしょう。
 ただ普通に考えて、それだけのテナント料を払い、人件費や光熱費、営業費を払って儲けらえる業種やお店は限られてしまうでしょう。

 ラーメンや外食でさえ、同じチエーンでもフードコートの店舗は厨房が狭いので、メニューも限られ、鮮度や調理方法に限界があるようで味が大きく落ちるところがあうようです。
 かつて、イオンが商店街を淘汰してしまい、地元の生鮮を扱う店が無くなり、地域の食文化さえ崩しかねないと非難されたことがあります。
 私は商店街の店屋の家で生まれ育ったので、商店街が当たり前に全ての買い物の場と思ってましたが、スーパーやコンビニ、ドラック、ネットの時代を経て商店街にある店も様変わりしました。
 そして商店街の中で羽振りの良い店が、企業型になってテナントで支店を出して、そこが稼ぎ頭になっていた時期もあったのですが、もう集客だけでは儲けられない時代に入り、やむなく撤退していく流れなのでしょう。もう原点の商店街に戻る店もなく廃業されるパターンも多いようです。
 それでも大手のモールのあくどいやり方にはくみせず、商店街で若い人が新たな業種の店をオープンしたり、こういう住宅街で商売を始めたりも息づいています。
 大型モール、商店街、街中の店とそれぞれ棲み分けができれば良いのです。

ウソばかりの時代 AIでフェイク画像が進化 

 Ford.Tord.Tさんの写真より修整

 政治家や新聞、テレビ局も証拠の捏造、偽装などウソばかりつく時代ですから、もう街やネットにはウソがあふれています。
 先日NHKのクローズアップ現代でも、卒業アルバムの写真から、好きだった女の子の猥褻写真をAIソフトで作り、本人にも見せた愚劣な犯罪も取り上げていました。
 Googleピクセルで画像の合成や修正が無料でカンタンにできるわけですから、有料ソフトで、卑猥な合成であたかも本物のようなフェイク画像や動画をつくるのも、それほど難しい時代ではないわけです。話は少しそれますが、私は卒業アルバムをもう持っていません。家もそうスペースがないし、転勤も多かったですし、早めの終活です。偉大な家長でもない限り、写真や賞状、トロフィーなんか残された者はそうありがたくもないです。若い頃の思い出とか、当時の友達の写真も、時間が経過してから今さらみて懐かしむ行為というのは、私は好きではありません。

 話がそれましたが、卒業アルバムやスナップなどそういうものが犯罪に使われたと聞いてからでも少なくとも数年は経過します。その後、技術や蓄積された知見も進み、悪質なものがフリーや有料で出回っています。昔は写真の現像技術や機材、場所も必要でそれでも稚拙なレベルでしたが、今はパソコンで素人でも慣れればかなり巧妙で、本人が気づかぬうちに裸を撮られたと勘違いするほどの出来ですし、作られたとはいえそれを見た本人はショックも大きい話です。

 アイコラともいう以前から芸能人のものも巧拙あるものの出回っています。
 一般人の卒業アルバムで好きな人の性欲を思いを浮かべるのは自由ですが、具体的なものにして、本人を傷つけるのは愚かな犯罪です。タチの悪い犯罪につながるソフトは手に入らないようにすればと思うのですが、そうも行きません。個人の自覚、倫理観に委ねるしかありません。最悪、もう卒業アルバムも顔写真NGなどという時代になるのかもしれません。

 防犯カメラなどの証拠画像も、ドラマなどではよくフェイク画像が使われたりします。巧妙度合いは高まるでしょう。

 30年以上昔、ある女性芸能人が整形を重ねたと噂される熟年の写真集を出して、それを別の男性タレントに「改造人間」と揶揄され面白おかしく辛辣に語られ、裁判を起こされた訴訟騒動がありました。今だと、それほど珍しくもない年齢でのヌード写真集はざらにありますし、整形も大学生の就職でさえ多くの割合で行われています。タレントの写真集など、もはや整形やダイエットをしなくても、カメラやデジタルの技術で修正できる時代になってきています。一時期リベンジポルノというのも問題になりましたが、そこまでの関係にない、ただ卒業アルバムや遠くから撮った写真を入手して、元恋人のようにポルノ写真が作れるのですから、そんなものを流されたら当人はたまりません。

 作られた画像の裸を見て「私ではない」と泣き叫ぶ人もいれば、作られた美しい肢体の裸像の写真集を「私のカラダ」と誇らしげに宣伝する人もいるわけです。

 もはや、真実は分かりにくい時代です。AIの写真も最初は丸わかりの感じでしたが、今は本物とかなり区別は難しい精巧なものができてきています。著作権以上にAIでできたパーソナリティが人権を訴えてきそうです。

 
 

30年の時の移ろい

 今20代の娘と息子、二人の子供たちはまだこの世に影も形もなかったんだと、改めて30年の時って長いなあと思います。今、ドラマで活躍する20代の俳優ももちろん、当たり前ですが阪神大震災を直接知っているわけではありません。

 50代だった人は80歳以上の高齢になっておられ、60代以上となると亡くなられた方も増えています。
 かく言う私も当時は働き盛り、今だとまだ若手バリバリの30代でしたが、もう還暦過ぎてるわけですね。
 30年とはそのぐらいの長さの時の流れです。
 その間にも東日本の大震災がありました。多くのエポック、イベントもそれぞれ経過しています。
 30年前はなかったスマートフォンが発展して、今なら電気さえきて充電ができれば、LINEなどでの連絡は取り合える時代ではあります。それでも電気や電波が途絶えスマホで通信ができないと、便利に慣れていた人間は反って生きられないとも言われます。
 コード決済ができず、やはりまさかの時のために現金は必要と言われるそんな時代です。30年前、存在しなかった発明もたくさんあり、それによっていつの間にか退化したのが今の世代かもしれません。
 当時、高校生や大学生だった若者もすっかり中高年なんです。やっぱり、30年、時代はもう平成だったのですが、随分時は流れ時間は経過したのです。