東北の悲劇の後に来る悩み

 やはり今週は3.11を特集した報道や企画番組も多いです。そんな中、鉄道系の旅番組でも、報道特集番組でも東北日本海側3県の海岸の防潮堤が今年度中に98%まで出来上がると言う情報が流れました。一部しか実際には見ていませんが、少し異様なまで堅牢で、1メートル60センチを超え、美しい海岸はなかなか街から見えなくなっています。
 自然破壊も当然進み、生態系にも大きな影響はあるでしょう。
 自然観察、生態系環境変化調査のボランティアに関わりましたが、その観点でいえばあれだけ他の地方から土砂を持ち込むというのはある意味とんでもないことです。それでも緊急事態で、命や生活がかかれば景観や生態系など優先順位は下がります。
 ところが、ある程度予想はありましたが、それ以上に人口は減り、守るべき人の少ない防潮堤が聳え立つ姿は、何だか寂しい限りです。
 それでも人の命を守るものですから、間違っても「どうせ限界集落になるから要らん」とは言えないものでしょう。
 生き残る人であえて町に残る、土地に執着する人への対応はデリケートで難しいものです。生き残った人、守られる町は、運命を背負いつつ普通の生活に戻るだけを所望しているのですが、すでに戻れないのです。
 それでも、運命を受け容れ、、これだけいろいろなことがあっても生きていくことは意味のあることなのでしょう。

【東日本大震災10年】生と死 運命を分けた野蒜駅発205系電車。仙石線の思い出

東日本大震災10年、海岸線ほとんどに防潮堤の是非

忘れられない女性 Mさんのこと

写真は関係なしの、フリーモデル画像

 天使が舞い降りるような励ましばかり書いていますが、罪深い人間だったことも多く、深く落ち込み反省することの方が多かったかもしれません。現役の化粧品販売の現場時代で、少し暈かしながら書いていたこともありますが、やはりイニシャルでも想像されるとまずいのでいろいろ修正を加えバブル期前後のビターな思い出を含め、少し時代や人物を変えて自戒を込めて振りかえります。

 Mさんのことは、それまで学生の延長っぽい女性との付き合いしかなかった自分にとっては大人的な女性でした。ボーイッシュなショートカットにしても大変アダルトな色っぽい美人だったと思います。ソバカスも多少あり、今思うとアイメイクをばっちりしていてもそれほど目が大きい感じではなく、笑う銀の処置歯さえ見えたのですが、全てが魅力的に見えました。
 キリリと凛とした佇まいで地方局の番組にも出演して、自社商品のPRをする役を担っていました。出演した番組のビデオは毎週録画して何度も静止したりして見ました。そんな自分の好意や興味は自然と伝わるのか、ある時期二人で新入社員の指導プロジェクトチームを組んで仕事をしていた時も、こちらの気の利いた冗談に毎回大うけしていました。
 自身は自分の隣にさらに若く美人で胸が大きく脚も長いHさんにライバル心や、コンプレックスを持っていたようです。H山さんにはMさんはキツく当たるときもあり、そんな面を見せるのを少し恥ずかしがるのか、そのキツさが正当であることを理由を述べて弁明していました。女性二人のバディは難しいものです。ここに何人もの男性が絡みます。
 激しい競争や、出し抜きがありMさんもH山さんも多くの女性社員のトップに立ち、その前にいた先輩女性を押しのけていったはずです。当時からそこの部署の女性トップは、支社トップや本社とのつながりも重視され、男性幹部への接待も当たり前でした。

 Mさんも結婚はしましたが、すぐにすれ違いも続き、子供もできないで別れ、以来仕事一筋の当時の女性としては珍しい生き方で、世間的にも風は冷たかったはずです。
 Mさんの悪い話を聞いても、年上でバツイチということでも自分にとっては変わらずMさんが好きになっていました。美術館へ行く話はたまたま発売される香水の名前が画家にちなんだものなのでトントン拍子に決まりました。当時は気の利いた食事をする店も知らずに、知っているイタ飯に誘いました。美人の横にいるだけで緊張する初々しさが我ながらあったようなデートでした。デートと言えるのかわかりませんが、その後、また会いたいといい2度目のデートの帰り、Mさんのマンションに寄ることになりました。 自分がバツイチで年上だし、もう一度結婚していい奥さんになる気がないんだとははっきり言われましたが、それでも家を出る前の玄関で見つめ合い、抱きしめてキスしました。

 30を過ぎ、当時の男子としては、もう親も親戚も会社も結婚しろの大合唱の中で、結婚する気がなく、万一その気になっても当時の周りからは反対が出そうな相手と、恋に落ちていきました。
 ワンルームマンションとは言え、当時の独身が横に並んだ寮でクルマもなく、帰宅していないとすぐにわかります。休日前なら実家や旅行もいい訳できますが。平日の外泊はいかにもという感じです。
 長い人生の中では、ほんの短い一幕かもしれません、それでも1年足らずの交際期間、半同棲期間の中で、何度も泊まり、食事をしてお酒を飲み、朝近くまで激しく愛し合ったものです。
 バブル景気とは言え、化粧品に課せられた目標は高くノルマは厳しく、私もMさんも仕事だけでも結構疲弊していました。たまに会い、お互いのマンションに泊まるときも体調やリズムが合わないときも出てきました。
 ひた隠しにする二人の仲ですが、私の周りにも取引先からもしつこいばかりに見合い話は来ましたし、Mさんも上司の接待やさまざまな提案を要求されてある程度女性を武器にした仕事を強いられています。

 ある時、H山さんから、それとなく、Mさんは元々、N課長の寵愛を受けてのし上がり、h本社役員が来る度に夜の接待をしていたことや、今はB野さんとも不倫していると囁かれます。
 B野君は確かに仕事のできる同僚で、上司受けもよく、後輩ながら追い抜かれそうな勢いのあるやり手ですが、家庭持ちの転職組で、それこそ不倫です。
 Mさんにとって、いずれにせよ自分はオンリーワンのパートナーではないし結婚相手ではないのだろう、それが分かって付き合っていたのだから仕方のないこととは言え焦燥感はありました。。

 何となく、Mさんと会う頻度は減り、やがて仕事で顔を会わせるものの、気まずい空気になります。メールやLINEのない時代ですれ違いだすと、電話しかないのでつかまらないと終わりです。深夜に何度も電話がかかり、こちらも体調が悪いと切ると、心配なのか何度も架けてきて、家まで来ると言うけど、断りました。
 関西への異動がほどなく決まり、彼女とはこれという別れの言葉もなく、「お疲れ様でした。ご栄転おめでとうございます」の定番的な言葉だけでした。H山さんはその場面で「京都の彼女とより戻せるわね」とかつまらぬ冗談を言い、送別会の後の地下鉄駅では、私には「Mさん追いかけなくていいの」と訳知り顔で言いました。
 その後、仕事からみで転勤先から何度か電話はしましたが。
 その後私も地元関西で公私とも忙しくなり、元の職場のことも彼女のことも忘れていました。
 もうずいぶん時間が経ってから、彼女はさらに厳しくなった体制下で、パワハラ的な激務が続き、ある日自宅で自死している姿が見つかったという話を聞きました。なぜ、その事件を速報段階でも知らずに過ごしていたか、遡って調べるとその日私は新婚旅行でスイスに行っていました。今でこそ人事や事件は社内イントラですぐ知れる時代ですが、当時はそうなかなかすぐには伝わらないものでした。
 その死の真相を調べる術も何もない自分に呆然としたものでした。何とか電話でも相談に乗ってやれなかったのか、あの時マンションを訪ねると言われ拒否したことも今となっては後悔でした。
 彼女のお墓がどこにあるのか、実家のある別の県なのだろうかと想像するだけで何の情報もありません。今さら前の職場に、実は交際していたから詳細を教えてとは言えない状況です。まして不倫関係にあったとされたB野くんは、自殺の原因としてパワハラのスケープゴートにされ退職に追い込まれています。
 Mさんの後の女性トップには当然H山が座り、新体制を組んでいるとの話でした。
 H山さんには東京の会議でその後顔は見かけましたが、声はけませんでした。ほどなく退社したようです。
 短い生涯を終えたMさんのことは時々思い出したり夢に出てきたりします。テレビを見ていてふと、出てくる女優さんの表情やルックスがMさんとH山さんに似ていたりするのが浮かんだりします。美人薄命とは言いますが、最近は定年まで勤めあげる女性が増えた中、30代で仕事のために命を落とすのは何とも悲しい運命です。

 私にはキャリアウーマンとの共働き夫婦生活は今考えると想像しにくいですが、選ばなかった人生があったのだとは思います。あの時、何が何でもMさんと結婚していたら今Mさんはこの世にいるのかと想像することは少し怖いです。

 人生は無限の選択肢に連続です。選ばなかった人生は存在しないのです。

電卓ワザに長けたB野君、借金まみれのA田氏ら同僚と過ごしたバブル期 – 天使の星座 (seizafpkotodama.com)

パソコンからスマホの時代という意味

 スマホの時代というのは良くわかっているつもりです。ところが先日、ふと気づくと、通信手段としての固定電話→ガラケー→スマホという変遷の認識だけでした。

 今の時代の学生などは、たいていのことをスマホやタブレットでやります。娯楽としてのテレビやラジカセが終焉したように、日常でパソコンもそう使わない、使えない世代が増えています。

 パソコンでwordやExcel、PowerPointを教えるインストラクター的な仕事を学びました。
 その時驚いたのですが、高齢者にスマホの普及をという命題がある中、パソコンは年齢を問わずむしろ若い人に履修のリクエストがあります。若い人がパソコン通信やゲームにはまっていたのはひと昔前になります。通信で固定電話やパソコンを経由する人は少ないでしょうし、簡単なプリントはスマホで加工してできます。

 確かに、教育やビジネスでパソコンはまだニーズはあるでしょうし、人口爆発のインドなどの発展する国も需要は増えるでしょうが、スマホに比べると割合は少ないニッチな存在です。かつて日本でもWINDOWSのOSが変わり新発売されると、行列ができ大きなニュースになったいました。今はパソコンは国民のマインドシェアを占めてはいません。

 平成の初め頃、ライバル企業の営業と切磋琢磨してパソコンを学びあった時期が懐かしいです。

夜汽車 『どうにかなるさ』死語になりそうな旅へのロマン

厳密にいうと寝台列車は、特殊なリゾート列車以外はほとんど廃止され、飛行機や夜行バスに代替されました。夜汽車という定義は、夜を走る列車ということなら、通勤電車でも日が暮れれば夜汽車ですがやはり長距離の旅に出る夜行列車のようです。

 唱歌や昭和のJPOPには唄われた夜汽車。青雲の志で故郷を離れたたり、何らかの事情で人や土地と別れるため夜汽車に乗り込む情景があります。
 自動車、夜行バスや新幹線とはちょっと味わいの違う言葉です。仕事に疲れてふと通勤電車の横にブルートレインがあると、あれに乗って遠くに行きたいと若い頃思いました。

 旅の仕方も生き方も安全で確実なものに変わりました。1970年ごろのかまやつひろしさんの名曲『どうにかなるか』の出だしは『今夜の夜汽車で旅立つ俺だよ あてなどないけど どうにかなるさ、』というので始まります。
 有り金はたいて片道切符を買う、住み込みでも何でも働き生きていけた時代であり、そういう自由で大らかな人が多かったのでしょうか。

 どうにかなるさは、現代人に夜汽車とともに持ち続けて欲しいフレーズです。

熟年結婚と離婚

 もう十年以上前の話で、不倫とかではなく、何となく通勤帰りでよく一緒になった大阪時代の既婚女性がいました。事務系の女性だったとしか、記憶がなく今はもう名前はおろか顔もうっすらしか思い出せません。

 ホンの数回、電車のつり革を掴み横に並んでお互いの仕事や家庭の愚痴を話しただけの仲の人でした。ただ気が付けば話が弾む、お互い既婚ながら、まあそこそこ好意は持っていたような雰囲気はありました。

 ある時、熟年離婚の話になりました。なぜそんな話が出たのかというと、たぶん仲間の誰かがそうなったからだと思います。その時、彼女がしゃべった話は、『それはもう離婚は誰でも考えたことがあると思う。お互い結婚生活にはマンネリし、幻滅し、失望していると思うけど、いざ離婚となると、お金も手続きも世間体も、ただ面倒臭いし、パワーもいるし、お金もいるからしない方がラクですよね』というような内容でした。『犯罪的な暴力や勝手に大きな借金したとかでもない限り離婚はないでしょうね。普通は』
 比較的、清楚で良妻賢母的なタイプに見えるその人から出た本音なので、頷き共感しながらも少し驚きました。

 最近の熟年の同年代の話を聞いてるとまさにそうです。しっかりした家同志で結びついた我々の年代の結婚だととくにそうです。お金持ちで良く働いた亭主がそうそう捨てられることも離婚を切り出すこともないでしょう。やはり遊びすぎで、金や他の女、暴力がちょっと度が過ぎると離婚に近い状況に行くケースを知っていますが、芸能界なみには高校、大学の友人や同期入社の同僚など一般には離婚をそれほど見かけませんでした。
 ただ芸能人なみの『美』の世界の化粧品会社の美容部員さんは、若気の至りで結婚してすぐわかれるという、違うパターンもありました。職場的な差別になるといけないですが、ある意味美しいということはそれで人生勝負かけてるわけで、素晴らしい反面、家庭的ではない人もおられ、またその美が年齢を重ねると微妙に変化するのが、芸能界と似ていました。美だけで相手を好きになり、末永く家庭を持とうとする夫もまたどこか幼稚で身勝手だったからです。

 結婚はある面、他人との共同生活で、根競べです。

 情熱的な恋愛と、プロポーズから、華やかな結婚式で誓ったはずです。しかし恋愛はいつか冷めるものです。病める時も健やかな時も相手の気持ちを考え、自分を少し我慢する忍耐を覚えないと長くは持ちません。

 ある日、件の女性、電車の中で、夫の仕事で島根に引っ越すから会社は辞めると突然話してくれました。またねと降りる駅で挨拶しようとした別れ際でした。『もう井上さんとおしゃべるすることはないですね。またどこかで会えたらいいですね』
 まだLINEとかが一般的っではない時代なので、通勤電車の彼女とは、本当にそれきりでした。熟年離婚の話を、もっと書こうと思ったのに、何かその人のことが急に思い出されて、今どうしているか島根のどこだか、名前すら思い出せないので、何だかもどかしいものです。一期一会がほんの数回で揺られる電車の中での会話で、幸せにしておられることを祈るだけです。

昭和は遠く3 #大学ラグビー #実業団駅伝 #ノンプロ野球

いまだに私は出身大学のラグビーと長年勤めた会社の陸上部の駅伝が多少は気になります。  令和も5年となるニューイヤー駅伝では、会社名が変わり、隔世の想いです。
 そう、かつてマラソンの伊藤国光や高岡俊哉を擁したカネボウ陸上競技部は花王陸上競技部となります。

 私の出身は同志社大学で、卒業する前の冬に初めて、1年生の平尾誠二らを擁してラグビー大学日本一になっていました。3連覇を達成した、関西の強豪なのですが、それはとうに昭和の話で、令和になって関西リーグでも苦戦が続き、全国大会では関東の強豪には大差で完敗しています。アメフトはレイプ事件を起こし、どうも出身校の体育会はイマイチな令和です。
 ラグビーのトップリーグは何度の改編されましたが、大学ラグビーの組織は言いも悪いも昔のまま、関東は伝統の早明を中心に排他的な対抗戦グループと、リーグ戦グループの構造です。
 社会人になれば、どんな偏差値の高い名門でも、ビジネスにおいてはどこの大学を出ようと関係はありません。出身大学で勝負できるのは、よほど大学愛の強いOBの経営する中小企業ぐらいでしょう。「お前〇〇大学か、それじゃ商談成立や」なんてことはビジネス社会ではありえません。ただ学閥とか一部の体育会系のOB繋がりというのは、排他的でもあり、それなりにビジネスにつながるような、コネクションがあるようです。能力とは関係ないので、どうも合理的ではありません。企業不祥事に繋がりそうなパターンです。

 カネボウの名前はかつてはバレーボールでも強豪だった時代もあり、入社前に解散はしましたが、戦前敗戦後の昭和30年代にはノンプロの野球では都市対抗を制したオール鐘紡という超強豪チームも持っていました。
 21世紀前に運動部はおろか、実質カネボウは解体し、消滅してしまい。今は花王傘下の会社としてメーカーとしての名前はわずかに残りますが、すでに私が在籍した最後の数年は営業も花王グループ会社の名前で、カネボウの社員も花王の名前で仕事をしていました。健康保険も花王となってしまい、陸上部が消えると組合員の労組に(株)カネボウ化粧品が残るぐらいです。企業年金も最古の鐘紡厚生年金は消え、花王の企業年金とカネボウの厚生年金のねじれ状態で残っています。
 戦前最大の民間会社で、戦後も化粧品を中心に世間によく知られた会社の人間にとって、昭和は遠く霞み、激動の平成も終わり、令和で1ブランドとして存続するのを見守るのみです。多くの売り場では、ソフィーナとカネボウが同じ美容部員が、販売や商品管理をしています。かつて新規参入してきたライバルでしたか、隔世の感です。 

ドスコイと呼ばれたOさんの思い出

写真は関係ありません

 ドスコイというと日本プロ野球西武ライオンズの主力打者で体格の良い山川穂高選手が、ホームラン後のパフォーマンスが有名で、彼の愛称でもあります。
 今日紹介するのは、山川選手でもなく、力士でもない、化粧品会社の女性です。(時々、若干はプライバシーもあるのでぼかし、修正しながらその人との軌跡を紡ぎます) 

 いろいろな人に出会った会社時代、個性あふれる人、いやな人物もいれば、尊敬できる人もいました。紹介したくなる偉い人も、反面教師もたくさんいます。

 別の小説やドラマや映画の創作を見ていて、奇跡とか奇矯な現実離れした話、それでも運命の気まぐれにほろっとくるような物語はありました。
 現実の出会いも平凡な市井の人だけど、こういう人生もあるのかと思いました。
 

 ある県で、結構イケメンで仕事もそつなくこなす男性社員がいまして、その妻となったのが彼の配下のチームにいたまとめ役的なリーダー、「ドスコイ」ことOさんでした。
  私が夫君の方と先に、彼が転勤後に同じ支店のエリア、部課で仕事をしてました。イケメンの彼がなぜ、ドスコイさんを選んだのか、周りの女性からも不思議がる感じを伝わっていました。私は一体どういう相手なのかと思っていると、しばらくして逆に私が彼女が残っていた県の支店に配属され、彼女の上司となる縁となりました。

 初めて歓送迎の宴で現れた彼女は、歩いて来て座るのに「ドスコイ!」の声がかかるほどのまさに恰幅の良い、女相撲みたいな丸い体形の女性でした。

 いったいイケメンのO君が何でこんな女性をと正直私も思いました。当時まだ私は独身でしたが、どうしても女性の外見へやら学歴などの思い込みが強く婚期が遅れていました。

 いざ、彼女と仕事をしていると、パソコンなどは全く苦手で不器用ではありましたが、人間味はあり、とにかく食べるのは大好きで、当時多かったチェーンのファミレスの安いバイキングへ行くときは本当に嬉しそうにルンルンしてました。

 だからと言って笑顔が可愛いほどではなかったですが、無邪気で素直な人間なのはよくわかりました。

 旦那のO君曰く、「女の顔や外見なんか、夜、真っ暗になったらわからへんし一緒や、まして10年も20年も経てばオバハンや」でした。
 美人は三日で飽きるとも言われますが、化粧品の会社でので美しい女性は沢山いて美貌を武器にさまざまな権謀術策を練る人ばかりでした。そんな中では癒しのような、ほっこりさせるような人でした。

 全国転勤の多い会社なので、その後Oはずっと単身赴任で、母点の支店を離れられない奥さんのドスコイさんとは離れての結婚生活が続いたようです。離婚になるケースも多いパターンながら、子供はできないまでも、連れ合ったまま熟年を迎えました。

 晩年はドスコイさんは脳梗塞を患い、Oは介護もあり早期退職制度で退職金を多く貰う方に決め、私より一足先に会社を離れました。単身赴任の別居が終わると、苦しいような介護の夫婦生活だったようにも聞きます。子供がいない分、お金も貯めて、Oだって単身赴任時代にイケメンだから、女遊びくらいはしたでしょうし、悠々自適にアウトドアや愛車に注ぎ込んで楽しくやっているとの話もあり、詳しいことはわかりません。

 退職してからOの同期から聞くと、やはり奥さんは亡くなったとのことでした。何か悲しい運命のような夫婦に思えます。何だか若くして命を亡くしたドスコイのことは切なく可哀そうにも思いました。今はそのファミリーレストランのチェーンもすっかり閉まってしまい、安いバイキングは無くなりました。

 ルッキズムの時代で、映像にもイケメンと美人ばかりで、それでも世の中にいろいろそうでなくとも運命を受け容れて、歩んでいる人はいるでしょう。

 楽しく人一倍ご飯を食べたドスコイさんが短くともいい人生だったと思いたいです。

シニア向け男性化粧品

 昭和57年に化粧品を中心にした会社に就職しましたので、愛社精神というかまあノルマもありさんざん自社の化粧品を使い続けました。

 カネボウの男性化粧品というのは、もう今や細々となり、それでも根強くオールドヘビーユーザー向けに作り続けてはいます。男性化粧品の市場はいつの頃からある程度の若い年代向け中心に資生堂とマンダムに席捲されてしまいました。

 ギラギラした整髪料と、鼻にくるキツイの臭いのブランドはアイテムも含め老人向けという感じでしょうか。香取慎吾が10代の頃、若い世代だと思っていたSMAPも解散し、その下のV6が40代のアクティブエイジ向けという、ニベアメンのCMをやっているのですから、時の流れは早いと思います。

 花王もマンダムも40代、50代を狙った、育毛を含む男性化粧品を結構売り出しています。ある程度お金を持った世代で、対外的な仕事のためにもアクティブで若さに拘りたい心理にミートしています。

 現役をほぼ引退しているような昭和の世代でもやはり多少はルッキズムを気にするのでしょう。

 昭和のオヤジ世代にとっては、今年も訃報が心に沁みます。アントニオ猪木もとうとう亡くなりました。
 それでも生き続ける60代、70代も肌を若々しく保つ化粧品は、ぜいたく品か微妙なところです。

ザリガニの鳴くところ 映画と小説レビュー     思い出した自然観察の女子大生

今時欲しがるのかな

 写真は全く関係ありません。

こっちですね

 先日、映画化されたので、映画を見て、またさっと読み直しました。いろいろ違う点もちろん2時間くらいの尺に収めるためのカットやオリジナルもありますが、大筋や結末は同じです。

 以下(多少ネタバレあり)

 衝撃的な結末とはいえ、まあ完全なミステリを標榜しているわけではなく、伏線はあってもそもそも犯罪の状況とされる手がかりは全部明示されてはいないので、衝撃ラストはあくまでも自然、動物としての人間の本能的行為だという、カロライナの自然とそこに生きる湿地の女とうテーマによるものです。

 自然の美しさ、厳しさとともに、DVや差別、恋愛、法廷劇、いろんな要素が美しい自然と、難しい人間という生き物を彩ります。

 これ以上は映画鑑賞、もしくは原作をお読みください。残念ながら、全米で売れて、日本で本屋大賞でも洋画は有名なシリーズでもないとなかなか長い上映期間は難しい。分厚い原作ですので、そのうち無料配信が出たらお見逃しなくというおすすめです。

 自然に生きる女性としては、東日本大震災のボランティアで知り合った女性を思い出しました。奥松島から浦戸諸島で蝶の生態観察の大学研究生らのチームにボランティア入った時の女子大生です。蝶の観察、採取は応援で専門は「カエル」だということで、歩きながらもカエルのいそうな水田や小川には、寄り道して捕まえておられました。しかも器用に縛りポーチのようなものにいれて十数匹ぐらいは宿に持ち帰り、ケースにうつしていました。
 蝶やトンボでもマニアックですが、カエルとなるとドン引きしそうな人も多いでしょうが、この女性は喜々と作業をしておられました。真夏でしたので、もう顔は真っ黒ですが、化粧でもして垢抜ければ可愛い感じなのに、何故カエルなのか、不思議というか不気味な感じでした。

 セミやゴキブリでさえ号泣して触れない、虫など生き物大嫌いで田舎ぐらしなど絶対嫌がる、ウチの連れ合いなどとはもう真逆もいいとこ世界が違うような人がいるものです。

 あれから数年経って、彼女はその後も研究を続けているのか、犯罪にでも巻き込まれているのか、平凡に卒業して働いているのか、結婚したのか、「ザリガニの鳴くところ」を観ていてふと思いだしました。

カラオケでストレス発散

カラオケと言えば昔は、2次会とか3次会の定番コース、バスの中とか、あるいは少し大きな家でマイクと装置のあるところで宴会などでの余興でした。

 一人でカラオケとかなると、変人のような感じでしたが、今は小さなボックスが増えました。練習というのもあるのでしょうが、バッティングセンター並みに、気分転換やストレス発散の憂さ晴らしに唄いまくる人も多いようです。

 コロナ禍でとくに宴会は減りましたので、カラオケで歌を披露する場面は減ったでしょうが、少し収まると今の世代は結構集まるようですし、また年配でもいろんなジャンルの唄を知って歌いたい人も多いようです。

 かく言う私も歌うのは好きです。昔は2次会などがそれこそ多かったので、お酒が入ると人が変わるとか言われましたが、アルコールが全く関係なく歌いたかっただけです。
 一人カラオケの場合、他人の番を待たなくて気も使わないので良いです。ただ一人で歌うのは、時間がもったいないため一気に連続になりますから、相当疲れます。まあそれがストレス発散なのでしょう。