賛否?ウルトラ兄弟に依存という設定

 ウルトラマンが要れば人間の防衛戦力は要らないというには、初代ウルトラマンの隊員も悩んだ課題です。主人公がウルトラマンの物語ですから、人間の防衛チームが開発する武器は、前座でかませ犬の役割です。

 先日、広島の件でウルトラマンエースの設定の時に、ウルトラ兄弟ができた事情を書きました。↓

1972年ヒロシマ 原爆同等の被害という封印設定 #ウルトラマン#特撮 – 天使の星座 (seizafpkotodama.com)

 前作、「帰ってきたウルトラマン」にウルトラセブンが登場しただけで、ものすごく視聴率は跳ね上がり、さらなるピンチにはセブンと初代マンが人間体の役者も出演して再登場した時も当時の子供は歓喜の声を上げました。
 この夢の共演の好評を受け、兄弟の設定、新設定でのウルトラマンエースでの客演となりましたが、地味な長兄ゾフィーの登場に始まりました。しかし、ウルトラ兄弟とヤプールや最強の宇宙人ヒッポリト星人との決戦となると、エースの兄たちも防衛チーム同様、引き立て役、かませ役に回らされます。
 難しい方向性の決め方でしょうが、現在の主役エースを引きたたせるには、他の兄弟は脇役に回そうと取り決めたのでしょう。小学校から中学になろうかという時期、帰ってきたウルトラマンファンだった友人は、お兄さんのはずなのに弟のエースより弱い扱いが不満は印象でした。
 しかも、ウルトラマンの最終回などでは、幻想的で威厳のあった兄たちがゾロゾロと非効率に戦い、敵の罠に落ちるというのも前番組のヒーローを雑に扱っているように感じ不評でした。当時の子供でもウルトラ兄弟が勢ぞろいしたというのに、強敵とはいえ惨敗するというのは、トラウマになったこともあり、失敗といってもいい展開です。その後のタロウやレオでも人間体を演じた俳優団次郎とともに帰ってきたウルトラマンはゲスト出演しますが、主人公のピンチを救うというよりは強敵のかませ役となり、いいととろは主人公にもっていかれます。
 今のヒーローを持ち上げるため、強い敵にしないと、兄弟がいる以上必要な設定です。しかし地球を守るのは一人だけでなくいざとなったら、兄弟や父さえ助けにくるというのはピンチのインフレを呼んでしまいました。かつて、ウルトラマンやウルトラセブンが敵にハリツケにされた時の絶望感は、兄弟ができることによって、大ピンチではなくなります。地球に怪獣が一頭現れたぐらいでは、深刻に感じられなくなります。
 元々が科学的に考えれば、たった一人のヒーローでは、いくら巨大な宇宙人でも近代兵器の防衛チームが頼りきりというのはおかしい話です。まして、マッハ5や7程度で、3分間しか活動できないのでは、本当は局地的なピンチにしか有効的戦力ではないはずです。
 新旧ヒーローの共演と功罪、そのジレンマというのは、ライバルの仮面ライダーシリーズでもありました。こちらはライダーの共演は連係プレーやアクションとしては見ごたえがあり、東映の戦隊ヒーローの誕生につながります。それでも前ヒーローの細かい設定や、得意技はうまく脚本に描かれず(ほぼ新しい脚本家は知らないか忘れられ)、再生怪人はゾロゾロ出ても以前よりも弱くワクワク感はありませんでした。
 ウルトラシリーズの怪獣の場合も、兄弟とともに過去の怪獣が出てくる回も人気はありました。過去の怪獣や怪人がまた再生されても弱いのです。初回登場の特性も忘れられて、着ぐるみプロレスのかませ役となってました。

 最後は宇宙人の巨大ヒーロー主人公の登場で解決する。防衛チームや過去のヒーローは脇役というのは決め事なのでしょう。
 いずれにせよ、日本でこれだけ巨大特撮ヒーローが人気なのは、潜在的には在日米軍や核の傘に守られているような、どこかにウルトラマン依存と似た心理があるとも言われます。自分たちが戦わなくとも、誰かが助けてくれるという都合の良い解釈です。
 地球人が変身するわけでウルトラマンも人間と一体で戦ってはいますが、最終局面で戦力依存には違いありません。
 長年、ウルトラマンなどの正義のヒーローを見るに、最初は孤独な戦いだったのが、いつのもにか味方も戦力も仲間も強化され、組織対組織の代理戦争になってきていたように思えます。その感覚と依存心は日本の社会にも受け継がれてしまったのかもしれません。


 

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