【1996年~1998年】住んだところの思い出。東下り、伊豆の国を含んだ静岡東部沼津市。新婚で3番目関西を離れるということで、子供も小さく妻は不安だったろうと思います。私はそういうことに今思えば鈍感でした。
しかし北の窓から富士山の見える。沼津市原という風光明媚で広いマンションに住めた。
仕事は御殿場、沼津、伊豆修善寺までにまたがるローカルなエリア。
長女に続き、二人目の懐妊が分かる。
日本の霊峰、富士山その雄姿を毎日眺められたのは圧巻、本当に貴重な2年間でした。今でも新幹線で東京へ行く時、やはり雪をかぶった富士山が見えると得した気分で嬉しくなります。世界中を旅する人も、新幹線などで静岡を通らない人も富士は日本人の心のよりどころです。
バブル崩壊後の平成不況が続く時代。仕事では大きな失敗は無かったけれども、自他ともに管理職登用の時期に関しては、今までのことや現在の内容では不足でした。平凡すぎて勝ちあがれないといいう厳しい現実を知りました。平凡でも順風満帆に出世している同期がほとんどの中、会社の中では諦めと無気力感に包まれた時期です。
厳しい取引先からは不満も寄せられたでしょうし、衝突した上司もあり両成敗の如く、やや不可解な早い転勤で詳しい内状は聞けずじまい。人身御供説もあり同情や、隠れファンがいたなどと、送別会ではねぎらわれましたが、二人目の子、男児誕生とはいえ、もうひと頑張りしていないといけなかった時代です。
中心部の商店街近隣にも平然と大手ドラックストアが値引き販売可で出店し始める時代になり、制度品化粧品による個人経営の専門店は難しい時代を迎えます。もっと地方ではシャッター商店街が増え、日本中も元気がなくなる時代。それでもバブルやその崩壊も私は、家族のこと以上には実感していませんでした。逆にいうといつの時代も、自分の周りのこと仕事などを一所懸命やれば、もっと報われ評価されたと思いました。