母逝く

私事ですが、8年前父を亡くし、昨日87歳の母が他界し、送りました。
父の時はまだ私も兄も還暦や定年を迎えていませんでしたし、一応父母は商売をやっていました。その関係でいろいろ弔問や社交も多かったですが、今回は家族葬に近いものでその分悲しみは集約された感じです。
年齢も70、80と過ぎ、勤めも止めれば、知り合いも減っていきます。そんな中で高齢化社会とはいえ晩年は寂しいものもあったでしょう。
父の時も真夜中に起こされましたが、正確に言えば病院に駆け付けた時は時すでに遅く、見とれませんでした。今回はギリギリに、間に合いました。そして式や火葬も比較的空いている日で、待ち時間も少なく滞りなく進みました。
晩年はワガママも多かった母が最期に楽をさせてくれました。
8年の歳月で周りも世相も随分変わりました。変わらない火葬場の情景もあります。告別式、通夜等の弔問慣習では、香典や供花等の辞退、省略が進みました。
葬儀屋さんも大筋では変わりません。仏教曹洞宗しか基本詳しくは知りません。葬儀のやり方は、葬儀会社、お寺とも分かり易くし簡略したりして進化していると感じました。曹洞宗はお寺で本格的に法事をやるときはかなり賑やかに動いたり、音を出したりします。
いろんなことがやはり心を巡ります。
自分自身も母との思い出は想起し、頭をよぎりました。それでも一度もう少し若い頃に胆嚢がんで手術した時ほどは動揺はなかったです。暗黙の寿命という諦観が分かっていたのか、もう今の母はほぼまともにしゃべることもなかったです。
もうしばらく私達を見守った後、どこかで若い頃の母に戻って、清らかにまた生きていくのでしょうか。

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