京都三条会商店街

京都の三条会商店街に実家がありました。
京都で最も長い約1キロ近い東西への広がりを誇る庶民的な商店街。
今は実家の店も人手に渡り、たまに訪れるだけです。近所だった友達や店の人たちを訪れる。
就職して他所の土地へいっても、里帰りで京都駅から市バスに乗り堀川三条のバス停で降りて両親の顔を見に行くのが楽しみでした。やはり実家でごろっとするのが一番気楽で落ち着きました。
私の小さい頃は食料品等の買い出しでにぎわう、京都市の北部や二条駅からの山陰線沿線まで商圏を持った地域最大の商店街でした。スーパー等の台頭が遅れる京都で長くアーケード型商店街は繁栄していました。それでも時代の波で昭和も後半にはジリ貧でした。寺町や錦のような繁華街ではなく、伏見大手筋のような集約性がない。ただ長いだけの商店街はやがてシャッターを閉めたままの店も増えだしました。
八年前に父がなくなりました。商店街の理事長を務めたこともあり、この街への愛着は誰よりもあったはずです。
世代がどんどん交代し、それでも若い世代が集客イベントをして活性化されました。
夏の夜店は関西に戻ったころ愚息らをはじめ子供たちみんなと大人も楽しむ大イベントでした。年を追うごとに拡大し人が増えました。地ビールやお化け屋敷、ジャズ等の音楽イベントなどもスゴイ人出だと聞きます。
生活必需品が大手量販に流れる中、スーパーやドラッグ、コンビニとも共存しながらこじゃれた飲食や雑貨が入ったりして独自色を強めています。
そんな変化を離れた場所で一人暮らす母に報告するように報告していたのも、母の急逝により終了しました。
街にはそれぞれ、昭和の時代から頑張った人たちの息遣いが残っています。

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