日本最大の企業の栄光と崩壊【カネボウ16】

カネボウ化粧品と歩んだ人生16 花王GカスタマーMKへ

昭和57年(1982年)カネボウ化粧品に採用された私は伊藤淳二社長の鐘紡株式会社に大卒統一採用として入社し、令和元年(2019年)花王グル―プカスタマーマーケティングでカネボウ化粧品社員として37年の勤めを終え定年退職しました。
最後の年は京都から姫路まで新幹線通勤等、化粧品と家庭品の融合した組織でのつなぎでの奮闘でした。
化粧品の分かない支店長ら上司にソフィーナを含めたカネボウの売上対策や管理を任される仕事でした。カネボウと30年以上名乗ったものが花王のと名乗るのは抵抗はなかったですが慣れるのには時間がかかりました。
カネボウ化粧品の入社した同期もだいぶバラバラに散りましたが、最後まで化粧品に勤めあげた人間家庭品中心に動いた人。この長いドタバタの間に途中で辞めた人。一部幹部含め、なおも再雇用で続ける人もおります。御多分にもれず再雇用の待遇は良くはなく、男性の大部分は家庭品、洗剤等も含めた店頭のメンテナンス作業要員です。デスクワークの閑職や営業もほぼないような扱いで、別の仕事を探す人、隠居した人も多いです。澤田社長からの感謝状を貰い、花王で辞めたのかカネボウで辞めたのが微妙な感じでした。
履歴書等の最後は花王の会社ですが、身分はどうなのか極めて複雑でした。
健康保険は花王健康保険組合
退職金は花王からの確定拠出金、慰労退職金(旅行券)がカネボウから、企業年金は花王G以前でカネボウ企業年金が解散する前の分が企業連合会からと複雑です。厚生年金はカネボウで入社以来、出向カネボウ販社から㈱カネボウ化粧品と一環してカネボウのままでした。
労働組合のままの方はカネボウ労働組合(花王は組合員層にも労働組合なし、花王ファミリー会というレジャーや福利厚生の互助会にようなものがありました)でした。
バブル以前の団塊以後入社の、カネボウ人生は2019年5月、多くのメッセージも頂きました。
今も化粧品ブランドを作り、陸上競技部、商品開発(花王と共同)海外事業を行うメーカー^としての㈱カネボウ化粧品は残ります。
コロナ禍の2020年には花王グループはいち早くテレワークに切り替え、カネボウとソフィーナの店頭美容部員の活動を止めました。
白斑事件以来の営業の危機を私は外から見ていました。

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