日本最大の企業の栄光と崩壊 【カネボウ18】#カネボウ破綻 #カネボウ高砂工場跡

白砂に寄せる小波や  若き想いの高砂に

希望の星を見つめつつ  明日の技術を究むなり

ああ、若き我等の  鐘紡技術学校

日本最大の民間企業だった鐘紡(カネボウ)は全国に工場を持ち、街の中心の産業となって雇用を支え、雇用を生み、鉄道を誘致したり地名にもなっていたりします。
兵庫県中部の瀬戸内寄りの街にある高砂工場は私が入社する5年前の昭和52年に閉鎖されているので、名のみ知るだけです。
昭和11年に人絹工場として建設され、戦後は鐘ヶ淵化学(カネカ)と分離されて縮小し、技術学校等が残っていたようです。ここには当時ファッションや化粧品の経営や営業のノウハウを学ばせるための幹部教育の施設もあったようです。
私が入社した時は、横浜に研修センター、小田原工場に幹部教育のマネジメントスクール、神戸須磨に関西教育センターという体制になっていました。幹部や管理職の経歴の中に高砂セールスマンスクールという文言があり、マネジメントスクールをセールスマンスクールと言い間違える方が多かったので私の入社前の5年に教育の体系も施設も変わったのだと思います。
鉄道廃線跡をたどると、高砂という街の湾岸部が全て工場となり、名だたる企業が引き込み線を持って輸送をしていたのが分かります。播磨臨海工業地帯の一角です。
高砂という名前からは白砂青松の海岸がイメージされますが、この市の全ての海岸が埋め立てられ、工場に占められています。

ここから巣立った幹部は多くのカネボウの拠点で中枢を担ったのでしょうが、残念ながら粉飾まみれとなった企業を支え切るまでには至らなかったようです。

私が入社した時、最新の研修体制の施設も、今は残っていません。
神戸の須磨センターは阪神大震災で倒壊後再建されませんでした。
最新鋭の建物だった横浜の山の手にあった研修センターも早い段階で土地は売却、東日本大震災の避難には使われましたが、その後完全に閉鎖され廃墟になっています。
小田原工場内は花王主導での化粧品研究施設として解体、リニュアルされています。
高砂、須磨、横浜、小田原どの施設からも海は見えましたが、希望の星は見えたのでしょうか。当時の全ての若き社員を呑み込んで運命は激しい波に揉まれていったのでしょう。

吉田 登さんはじめ何人かの鐘紡、高砂市関係、廃線ブログ引用、参照させていただきました。

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