自民党総裁選挙で、いくつかの候補者のスタンス等の比較があり靖国神社の参拝も一つの項目になっています。
靖国神社参拝というと、保守や右翼の代表的シンボルのように言われてしまい、保守層の支持や中韓のへの刺激、左翼の反発等と政争を起こすような材料になっています。しかし左右の論争とか以前にここには大きな誤解や、無知があります。
ここから、左右や保守革新、隣国対応で大きく論争になる防衛や天皇制、領土問題、慰安婦問題、植民地支配の問題までいくときりがないです。
個々総裁候補並みに論争はできますが、論争にもならない事実誤認が多いのが、靖国とA級戦犯の問題です。
靖国に絞って、冷静に考え、少し事実関係を整理します。左右に関係なく、戦争で国のために亡くなった人が祀られている神社に哀悼の意を捧げることに共感こそあり、異を唱えることはないと思います。
まして外国に気を使ったり、極端な愛国者だけに媚びることも本筋からはズレます。
関西に住む私ですが、優秀とされる国立大学や、マンモスの私立大学でも、伝統的に自虐歴史観と戦争忌避症に長年漬けられて、頭の良い卒業生でもとんでもない誤認をしたままの方が多いのには驚きます。
靖国神社がGHQに破壊されなかったのは何故かを考えてもらえらばいろんなことも見えてきます。事実を調べるのが面倒でも少し想像力を働かせ考えれば見えてくることも多いでしょう。
神道、神社は日本人にとって別格というと、憲法でどうのこうのと論争したがる人がいますが、日本人は仏教徒もクリスチャンも毎年初詣したり、クリスマスも祝います。そして神社や仏閣、教会に分け隔てなく敬意を払います。
毎年、8月の初め15日が近づくと、テレビも新聞も戦争を特集します。特攻や空襲、戦地や原爆で亡くなった人の命の尊さに想いを馳せ、戦争の犠牲者を追悼します。そのことはどんな立場の人も非難なしないでしょう。
靖国には、明治以来の戦争での戦没者、大東亜戦争今の表現だとアジア太平洋戦争で犠牲者となった214万人の英霊を祀っています。その中には朝鮮、台湾の戦没日本兵約5万人も含まれます。
この時期に戦争のことを考え、日本人として靖国を参拝することに何の異議もありえません。そこで不戦を誓うか、もっとしたたかに防衛するとか、次は勝つように戦争するとかの方向へいこうが、そこから右左にどう向こうがそれは別問題です。まずしっかりと、8月になったら日本人が英霊の魂に向き合う機会だということなのです。
靖国神社首相の公式参拝に反対する人に理由は、前記の「宗教の問題が憲法違反」と「A級戦犯等が合祀されていて、戦争責任が免罪される」というものが多いようです。
なのに極東裁判の内容、A級戦犯とは誰で何をした人なのか、きちんと応えられる人は意外なほど少ないです。誤って理解している方も多いです。
戦犯という言葉だけで、いかにもいろいろなことが考えられます。戦争の責任も戦犯も勝った側が勝手に歴史を作り押し付けます。
戦争の責任とは負けた戦略戦術の責任なのか、侵略や民間人への略奪など暴走した責任なのか、はたまた戦勝国に善戦して苦しめたことなのでしょうか。
かの戦争は一部の独裁者や、戦争責任者と呼べる人々の暴走的犯罪ではありません。
戦勝国も敗戦国も戦い傷つけあったことに替わりはありません。民間人を巻き込んだ罪があるとしたら最大は南京でもホロコーストでもなく、原爆投下です。
日本の起こした戦争が長期にわたって侵略や略奪をして他国を苦しめる企図をした人間がいたという幻想が作り上げられています。
ところがそんな特定の侵略構想が国家や軍上層部で前もって計画されたわけではありません。
それはたとえ全体主義の流れがあったとても司令官から中堅幹部、下士官、上等兵までお国のためにみんな頑張り、国民も一丸で戦勝を祈り、新聞も戦争を煽り、兵士をバンザイで送り込みました。
あえて言えば戦争を止められなかったのは国民全体です。
どこの段階で戦争に反対できたか、どこまでの層に戦争責任があったのか分別などはできませんし、誰しも責任のない方に分別されたいのです。
軍の上層部だけが狂信的に戦争を推進したと思いたいのは、戦後になって責任を逃れたい良心の呵責がある人らが作り上げたのだということは、戦勝国裁判の性格を考えれば分かります。
A級戦犯に関しては、詳しくはもう長くなるので別の機会としましょう。
靖国に関してもし反対の気持ちがある方は、普通に靖国神社に拝観するか神社に関して一冊でも本を読めば気持ちが変わります。
政争の材料ではなく、戦争で亡くなった方の魂を鎮める場所です。愛国の方も、戦争反対の方もすべての日本人が哀悼しておかしくないはずです。