ごく当たり前に、世代交代すること

 昨日のブログの中で若い方の政治参加のため、投票の比重、一票の価値を余命を基準に変えたらというと、それに対してだいぶいろんなご意見をいただきました。
 一票の重みも変え選挙制度を変えるのは憲法まで当然変えなくてはならないでしょう。私の趣旨はそこまでの覚悟と優先順位をもって若者に政治を志してもらう体制を作ることで、これからの少子高齢化対策に向かってもらわないといけないのです。
 確かに年齢を重ねた人の方が政治に対する知識、それ以前の常識様々な経験もお持ちであり、逆に若者の中に思慮もなく無知な人も多いでしょう。まして長年勤続し、税金を納めて国家に貢献した人にとっては一票が軽くされるのは屈辱と憤慨される場合もあるでしょう。
 政策や施策個々の判断においては納税の割合で意見をお聞きした方がいいケースもあります。
 しかし、これからの日本の大きな課題であるところの少子高齢化に対して大きく舵をきるのには、高齢者にウエイトが高すぎる今の制度ではなかなか利害と、現状維持バイアスがかかって新しいことは決められないと思われます。老人にとって20年30年まして50年先の現実的想像は、いくら経験があっても難しいことです。
 たまたま同年配の方、すでに現役としてはセミリタイアした方と話していました。「税金もガソリンも上がり、年金が先細りしそうな状況で子育て世代だけに10万円給付するのは不公平だ。俺らが子育てした時そんなの貰ってなかった」との意見でした。目の前のことを考え、自分のことを見ていれば確かにそうです。しかし子育てをとうに終えた我々世代が税金を払う期間ももうそう長くはないのです。
 私がイメージする、本格的に少子化対策では、学校や保育園などの支援や、子供一人当たり何百万、第3子以降は800万とか1000万とか振舞わないと状況は打破できません。
 我々の世代やそれまでの世代にとっては、確かに不公平感は生まれますし、財源のためには多くの切り捨てや我慢が発生するでしょう。こんな制度を高齢者主体の投票とその代議員で決めきれるのは無理です。
 しかし高齢者の多くが30年後、50年後にも日本という国がほぼ現状に形で存続すると保守的に望んでいるとするなら、少子を止めないとどうにもなりません。
 国土(領土)があり、国民がいて、統治機構があって国が成り立ちます。国民が激減したら、離島がの国境が日本と認められようが、もう守りに就く人間がいません。介護も多くの治安や土木も日本人だけでできなくなります。多くの過疎地域は限界を超えて手放すことになります。これでは国家ではなくなります。国民があっての統治機構であり、領土なのです。

 いつまでも老人がわがままを言い、意見してでしゃばるのでなく、自然に隠居して譲ることは当たり前のことです。

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