組織にカリスマは必要か

 カリスマシェフとかカリスマ美容師などの言葉が一時流行りました。個人経営ならどんどん他をよせつけない個性を磨き、至高の自分をアピールすることが尊ばれ、自分の利益につながりました。
 カリスマ営業やカリスマバイヤーとかいう感じのビジネスマンもいました。たたき上げの営業から社長に上り詰めた今太閤のような人も元勤めていた会社にいました。しかしシステム禍が進み、コンプライアンスやサステナビリティが重視される時代になり、その会社も別の大手に資本が移り、カリスマよりもマニュアルや普遍性の仕事が評価されるようになりました。
 販売や営業でカリスマ的努力は必要な面もあるのですが、ともすれば過剰なサービスやルール違反に陥りがちです。
 その人が担当しているうちはいいが、転勤などすると後はぺんぺん草も生えない前年比お幅ダウンなどで均して考えればカリスマの貢献は一時的なもので評価は下がる訳です。
 持続可能な営業努力なら認めるけれども、それ以上は個人の範疇での無理は認めないということでしょう。これがなかなか営業成績などがあると難しいも問題です。実際にまだ多く存在するノルマ営業のブラックな部分は個人のがむしゃらでも非合法でなければ売り上げを上げれるカリスマ的な人を評価するしかないのでしょう。
 それでも普遍的なことをルーティンで誰でもできるようにして、サービスなどの業務効率を一定レベルにして、個性を活かしながら社員が意欲をもって働けるような仕組みは必要です。

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