戦は人間の業(ごう)宿痾(しゅくあ)

【宿痾】長くなおらない病気。持病。

【業】仏教用語 

仏教身・口(く)・意が行う善悪の行為。特に悪業。また、前世の悪行の報い。

 前年ながら人間は戦争というものを断ち切ることはできないと思われます。ロシア侵攻以前から、世界の各地で紛争は絶えていないのです。
 各国は他の国を信じるわけではなく、徒党ともいえる同盟を組み戦争のための兵器を調達し、競い合うように戦力を誇示して戦うことを止めるわけではありません。
 戦争を始めた人間が特殊な狂人やならず者、あるいは戦争を支持していた国民は騙されていただけで支配層や時代背景が悪いという方もおられます。自己正当化して戦争を非難する層は戦争の忌避はあっても立場が変わればはたしてどうでしょう。
 自分が安全で自国とそのグループが勝ち続け利益が拡大すれば、戦争は対岸の火事です。むしろ遠く離れた他国、他人の不幸は大ぴらでなくとも蜜の味です。同情をしなながら、正義を語りながら日常の贅沢を愉しんで離したくない心理です。
 戦争批判の多くは自分に降りかかってきたときの怖さ、面倒くささが多くを占めます。
 結局は人種や貧富、格差、産まれながらの理不尽が支配層や富裕層への不満への爆発であり、次の支配と富を狙った争いを産むわけです。

 残念ながらそれが歴史であり、世界中の不変のもののようです。片方から見れば「悪」に見え、俯瞰してみれば「対立」に見える問題というものは消えそうになっても必ずどこかで発生していくものです。正義のヒーロー番組が最終回に悪を倒しても、次の週からまた悪の組織が新しく生まれる。悪役は正義を盛り立て憎まれるために存在するものです。昭和の特撮やプロレスと同じです。これが世界の構造であり、それが人間の宿痾なのです。

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