自分がいなくても世の中は回るのか

 世の人々の中には、自分がいないと組織は回らないと思う人と、自分なんかいなくても何とかなると思っている人がいます。完全に2つに分類できるわけではなく、度合いの大きさではあると思います。前者の方が向上心は強いような気もしますが、はた迷惑な自己中心のマウントとりたがりの場合もあります。

 官僚とか会社、組織のリーダーを目指し、あるいは業務の中心となり次々野心に燃え仕事を任されていく人は、自分が休んだら大変なことになると、体調が悪かろう家族になりかあろうが休みたがりません。
 責任のあるポジションにいればいるほど、そういう思い込みに陥りがちですが、概ね組織においてい絶対に必要な人物などそうはいないものです。
 人脈的つながりなら、その人の顔、人物がコネクションにはなっていますが、組織が大きくしっかりしてガバナンスなどのルールが決まって入れば、個人のカリスマに頼ることは少なくなります。

 積極的で必要不可欠と、自ら思い込みながら、結局はマウントをとってエエかっこしたい自己満足というケースが多いようです。初期の段階では、積極的で自己研鑽に励んだようなタイプで、向上心の無い人より仕事をしていたのでしょうが、いつしかそれは組織の癌になります。そしてその成立過程から根強く取り除きにくい浸潤の深い癌になっているケースが多いのです。

 硬直して融通の利かない官僚や役員、現場に長く巣食う長老、ご意見番、お局的な人員がまさにそうなってきます。

 組織の硬直化は、トップが見つけて、癌をよく理解させ取り除くことしかないのです。自分が癌になっていないか、コンプライアンスなどが進んだ中よく理解しないと、この時代ではだんだん淘汰されます。無理しなくとも自分がいなくとも会社も世の中も回ります。

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください