結局オリンピックはやらない方が良かったのか

 明日の国葬問題で未だに反対とかもあるが、少し以前からマスコミが騒いでいる事案に今さらという感じだがオリンピックの不正な金銭疑惑があります。
 おそらく、日数や参加者規模、新たな施設の建設からロイヤリティなど、国葬よりも桁がいくつも違う金額が流れ、復興とか地元経済などには回ることなく、大企業や高等市民のみ潤った感じです。
 コロナ禍での開催が危ぶまれ、やってみれば日本がメダルを多く取り、感動したとか勇気や元気をもらったという声も多かった感じでした。しかし、東京都民はじめ多くの庶民の血税で借金を返し続けるようなものでしょう。
 もちろん、税金やらお金の流れは複雑ですが、国葬を血税で反対するなら、オリンピックを我慢して他所でやってもらえば、かなり福祉やインフラ、教育、経済に一部でも回せたはずです。
 復興五輪と言いながら、いまだに復興していない東北の街も数多くあり、国民も東日本大震災の増税分を払い続け、この先コロナのワクチン代や検査、隔離、診療など多くの関連国庫負担も増税にのしかかるでしょう。

 招致の時から裏金が使われているという話でした。正義、まっとうな世の中を貫くなら、政治家や組織委、関わった官僚、企業家、すべて連帯責任で厳罰にするという司法判断があってもいいぐらいです。
 そんなことをすればオリンピックは日本から遠い存在になり、日本の活気や元気がなくなるという意見もあるでしょう。しかし、日本のアマスポーツの金銭や政治にからんだ闇は底知れず深いです。多くの政治家が各スポーツの理事、役員となり、表向きの政治家としては受けられない献金や接待を受けている現実があります。
 比較的マイナーなスポーツも機会があれば、どんどん政治と電波にカネが使われメジャーになっていく。その過程で純粋だったアスリートもカネや遊びにまみれていく図があります。

 スポーツで身体を鍛えることや、厳しい修練をつむことは悪いことではないし、先輩後輩の礼儀や挨拶も体育会系の方がしっかりしているとも言われます。また国際社会における日本のプレゼンスを示し、秩序のある清潔な国で、素晴らしい伝統や文化も紹介できたでしょう。

 私も会社などで知る体育会系でそこそこ頑張ってきた人も表面悪い人はそういないです。しかし、経営陣となると、かつて六大学の慶応の野球部から閥ができ、そのイエスマン体質が粉飾での事実上倒産や不祥事に繋がりました。

 単純にいい悪いではない問題ですが、日本の財政を考えた場合、二年越しの体育大会は結論として要らなかった。こんな愚行を反省も総括もせず、繰りかえしていると本当に日本国は倒産します。

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