幼稚園児バス置き去り 国会で議論する問題か

写真アフロ

 1カ月ほど前、静岡県牧之原市静波の認定こども園「川崎幼稚園」の女児(3)が送迎バス内に置き去りにされて死亡した事件が今国会の代表質問でもいくつか与野党の質問の出ていました。
 政府側、首相、文科大臣などがソフトやハード面で予防対策を必ず講じていくと答弁していました。痛ましい事件でありあってはならない事故で、亡くなられた家族の感情はいくばくかと思いますが、責任の追及はあっても予防対策のハードまで国会で議論するのは感情論を利用した少し行き過ぎではないかと思います。逆ばりと言われる向きもありますが、このような事件に全国一律に幼稚園バスにハードの整備が必要なわけがありません。
 確かに、1年半前に福岡で5歳の幼稚園児が同様の事故で亡くなっておられ、未然に防止できたヒヤリハットの案件を加えるとそれなりの数でしょう。それでも事故の数としては、一般的に幼児が関わる交通事故や障害事故に比べるとものの数ではありません。
 

 私が長女、長男を預けた保育園もバスを使っていましたが、先生が同乗し、親も兄弟姉妹の顔もよく覚えていました。1年間毎日親と弟がお迎えに来て、卒園の日には弟にまで感謝のメッセージをいただきました。

 二つの事件をある程度詳しく見るとその背景にはそれぞれ固有の事情と、不運な偶然も重なっています。ある程度規模の大きいい施設で、運転手がそこまで見れないという状況になりがちなのでしょう。福岡のように中途半端なカードシステムはかえって責任感を無くしてしあmっています。
 痛ましい事故ではありますが、幼稚園の規模も千差万別であり一律のハードはおろか対策すらも難しいところです。今に人員と体勢で事故が起こる可能性がゼロの園も少なからずあるはずです。
 あくまでも運転手や、バスに関わる人の人的な面での問題です。介護の運転でもそうですが、運転免許があれば運転手ができるというものではなく、雇用とその継続には日々の状況をしっかり責任者がみないといけないでしょう。
 あえてハード面でいうなら、子供が小さいため座席の下に寝てしまうと見つけにくい、ここは高齢者と違う点でそういうバスがはたして特注できるかですが疑問です。

 高齢者も奇矯な乗り降りはやりかねません。介護施設のデイサービスなどである程度の人数を乗せるバスなどと同じで、乗るとき降りるときに簡単な認証のシステムを作り、最後は運転手を除いてゼロになった時に運転手が最終目視して降りる。決して高価なハードはいらない昔ながらのバス乗り降り計算(パズル)で十分なはずです。
 こんなところに莫大な税金と、御用業者へのお金をかけてハードを開発し、義務化して中小の幼稚園の経営を圧迫するような話を、国会でまともに議論する意味などありません。悲惨は事件を金儲けの具にされては被害者が浮かばれないのです。

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