いよいよ鉄道150年のその日が迫るのですが、いろいろ特集番組があったり、企画切符があるのですが、その日だからどうとか今年だからどうというものは感情としては沸かないです。
それはあまりにも日常であり、ふだんの日常の喧騒や倦怠を逃れるための鉄旅なのですから。
今年はコロナ禍も少し規制が緩まり、旅も再開し始め、イベントや祭りも開催されています。
鉄旅といのは自分にとってお祭りのようなものです。
お祭りというのも、熱心に主催して、支えているかたは、どこか日常のそういう退屈とかストレスのようなものを、年に一度思い切り発散しているように見えます。伝統的な祭りも、壮絶に暴れる祭も、手作りの地方のイベントも、やってる人の楽しそうな顔、自慢したい話しぶりが好きです。
また楽しみとか遊びだけでなく、それを支えるのには真摯で地味な日々の努力が必要です。
鉄道の150年の場合、本当に先駆からの努力がずっとっ積みあがっています。長年続く路線も車両も、引退した車両や廃線も、よく作ったなあと感心する文化遺産です。
鉄道100年の頃は意味の解らない子供でした、あと50年後には生きていないですが、どういう社会になるかの予想が固まる頃までは生きたいものです。