かつて、私が所属した化粧品会社が、1980年代が『女性の時代』だということで、新世代的ブランドとしてレディ80という化粧品シリーズを大きなキャンペーンとともに発売しました。1970年代以降世界ではウーマンリブが社会活動となり、女性の平等な権利と社会進出の嚆矢となり、日本でも遅ればせながらも中ピ連が運動したり女性の活動が叫ばれ、男女雇用機会均等法も制定されました。本格的な女性の社会進出はこの法律が努力目標でなくなる1999年、世紀末近くを待たないといけません。
それまで、営業職等の一般職は男性がほとんどだったのが、徐々に女性が加わっていきます。2000年シドニー五輪では高橋尚子が女子マラソンで優勝するなどで、他に女子柔道なども活躍し、当時男子競技ではほとんど金メダルが取れていない時期で、まさに女性活躍の時代という人もいました。しかしウラを返せば女性の競技人口は多くの国には広がっておらず、男子とのレベル差は歴然でした。
女性が参加するだけで、注目され男性とは注目度も違う、今もあるような逆差別の問題も現れました。
とはいえ21世紀を迎えると社会全体の女性参画が企図されていきます。
女〇〇とか、女性初の〇〇、美人過ぎる〇〇など、女性が進出するたびに変に騒がれましたが、徐々に当たり前になっています。
実際にかつては、OLと言われ事務職に限られていた企業も、いつの間にか総合職で男女の新卒が均等に採用されるようになりました。
しかし、管理職、経営幹部となるとなかなか欧米基準には程遠い状態が、現代でも続いています。
女性だから、障害者だからとか、制度目標に拘り、数値目標に近づけるため無理に底上げするのは、女性に希望を与える時代は良かったのですが、新たな段階で女性をチヤホヤしたりしていることが公平に能力を磨くのにはかえって弊害になっているのかもしれません。
まだまだ職業により、階層により男女の棲み分けは存在しているよですし、女は家で家事育児という封建的家長制度の意識ですら現存します。LGBT問題でもそうですが、過剰に国際化に迎合することなく、日本の風土らしい闊達な自然のムーブメントに任せたいものです。