中学生の学徒勤労動員で作られていた風船爆弾

 戦中の古い記述をたまたま読んでいると、今中国と米国でもめている気球の原点ともいうべき、旧日本軍の風船爆弾を、勤労動員で作らされ記述がありました。

 実際に風船爆弾は放たれたのは、アメリカ側に近い、東日本の太平洋側に残る地点ですが、各地の紙や紡績、染色なのど工場で、こんにゃく糊を使い、中学生が男女一組で紙を貼り合わせて爆弾の制作に携わりました。60センチ×1メートルの和紙を幾重にも貼り合わせ今の厚手のビニールのような製品を作っていたと回顧されています。
 当時は何を作っているかは知らなったらしいですが、やがて、アメリカまで偏西風でたどり着き山火事などで死傷者も出し戦果をあげた風船爆弾だと知ったそうです。その年の8月にはすっかり制空権をなくした日本は、風船爆弾とは比べ物にならないとてつもない破壊力の新型爆弾を二つの都市に落されます。
 もう鬼籍の方の手記ですが、終戦の前年の2学期から京都の伏見でもこの学徒勤労動員はあったそうです。修学旅行も運動会もカーキ色一色で、英語の授業もない今生きていれば90歳以上の方の、青春を戦争が奪っていた時代が書き残されていました。

 昨日も戦争のことを書きましたが、国が疲弊しきり、子供命さえ危険にさせ、多くの生命を奪われる前もっとできることがあるはずです。
第二次世界大戦の書記、史料を読むとロシア(当時ソ連)の参戦、虐殺その後シベリア抑留など、今のロシアへの恨み骨髄と感じるものも多くあります。ロシア人は悪くないプーチンが悪いんだとはとても思えないような、残虐で非道な暴挙も綴られます。多少はアメリカの占領の影響があるにせよ、ロシアを殲滅したくなり、擁護する意見や助けたくなるなど論外に思えます。
 戦争の終結は難しいのです。相手国を憎む気持ちが強ければ強いほど戦争は終わりません。それでも戦争を始めてしまうと、このような悲劇を繰り返すということでしょうか。

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