表現の不自由な時代

マグマ大使 ピープロ 21話

 昭和41年「ウルトラマン」に先駆けオールカラーの特撮巨大ヒーロー番組「マグマ大使」が放送されました。21話に不気味な人間モドキという人間に擬態するゴアの手下の怪人が怪獣とともに暗躍する話の中に、とんでもない映像があります。何と空港でその人間モドキは乞食に扮し、首から札をぶら下げて、何と「めくら」「つんぼ」「おし」と書かれていました。現代では放送することはもちろん、日常でも死語となり「盲滅法」とか熟語ですら使用禁止となっておりドラマなどには考えられないことです。

「唖(おし)」などという言葉自体知らない世代も増えているでしょう。
 しかし、この「マグマ大使」の21話は今動画配信サイトでは視聴することができます。「おし」や「めくら」「キチガイ」「おかま」と言った言葉は、同時期の時代劇特撮「仮面の忍者赤影」などにも頻繁に使われ、これも動画サイトで視聴可能です。
 言葉狩りとも言われ、最近制作される映画やテレビでは使われることはありません。小説でさえも消えていっています。しかし、地上波のテレビで制限されていて、インターネットではオッケーなのも妙な話です。

 地上波の時代が終わり、オワコンとも言われます。地上波テレビで放送禁止で、ネットでは無料視聴でき閲覧者が多くいるなら、どんどん視聴率が下がる地上波での言葉狩りはどういう意味があるののです。

 
 意味は少し違いますが、政治や社会、芸能の討論などでも地上波では、出せない言葉や実名が多くてちっとも面白くなく、ネットの方が自由な表現が多くスポンサーの制限もなく面白いのです。これもおかしな現象です。イニュシャルや音消しでカバーされた人権がネットで晒されるのもあるあるです。

 時代劇、あるいは昭和の近現代を描く際は、方言も含め、リアリティなどないのが当たり前です。時代劇は字幕でもつけないと意味を伝えるのが無理でしょうから、それっぽい言葉で「御意に」「恭悦至極です」とかいれて雰囲気をだすだけです。正直、東北弁や薩摩弁で、幕末維新のドラマをやってもリアルにやれば字幕必要です。
高度経済成長期でも、まさに死語になったような差別用語がザラに使われていたので、それらしくするには放送禁止用語も欠かせないはずです。それを変換して、オブラートに包んだ言葉にすれば変なものになります。

 障害者やLGBTが差別を受けず受け入れやすい社会に本当になっているのなら、差別的に感じられる言葉が残ることは問題で消えていけば良いです。ただ国際社会に合わせ、オブラートに包んで蓋をしただけなら全く意味はありません。むしろ不自由で弊害が多いくらいです。取り巻く環境、組織をリードする人に理解が大きく変わらないと、差別される側も周りも忍耐と努力を重ね疲弊するだけです。
 言葉を消す、狩る、お金で解決するだけでなく、もっと踏み込んだものが必要なのです。

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