情報リテラシー 報道自由度が低い国と自覚すること

 日本の報道自由度はG7国で最下位、世界でも自由主義国では下位の71位ということで、年々下がっているということです。
グローバル基準ということで、そんなものとの声もありそうですが、
1.政治的コンテキスト
2.法的枠組み
3.経済的コンテキスト
4.社会文化的コンテキスト
5.安全性
 を客観的に評価され、封建独裁国家は低くなります。
 

 かつては新聞を読んでいることが、社会人としての常識であり、話題を共有することが社交の肝でもありました。
 情報の主役が、テレビに移り、ネットなどに分散する中、国や大企業などによる巧な情報統制、報道側の忖度などで、だんだん日本の報道は劣化していったと思われます。

 ガバナンスのためには、反権力、反社会的な情報の流布を防ぎたいという範疇、あるいはパニックや自殺、差別につながるなどの社会不安を煽るものを防ぐ目的自体が、どんどん解釈が広がり、時の権力や権威の維持のために、本来伝えられるべき「真実」が隠され、捻じ曲げられ、違うものになっていることが多いということです。報道の自由度が低いというのは、あらかじめフィルターがかかり、消化されたものだけが国民の前に出るのです。この過程で、故意や悪意でバイアスがかかることは当然よくあると考られます。

 情報リテラシーが必要ということは、報道自由度の低い国では、そのバイアスのかかった歪んだ報道の中で、その背後にある真実は何かと見極める力です。自分や身の回りの家族を守り、賢く生きていくためには、振り回されないリテラシーが必要です。
 報道は、巧みで第一報は衝撃的なことも多く、騙されやすいです。常に逆張りを考えても、只のアマノジャク、ひねくれものですが、すべての一般大衆と同じようについていってもやはり騙されたということになります。株や投資などと一緒で、儲かるような一つの真実は誰もにわかりやすく転がっているわけではないのです。

 コロナ禍しかり、原発事故、ウクライナ問題、スポーツをとっても、日本の報道と世界の報道では、表現も扱いも違います。日本の報道がピックアップした外国の報道ではなく、直接海外メディアを見聴きすると日本の立ち位置が分かります。

 北欧など自由度が高い国でも、リテラシーは必要です。多くの何も考えない国民にとっては、勉強しなくてもいい不自由は楽なのです。権力者も国民の大多数はおろかな方が良いのです。

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