京アニの裁判、京都ではそれなりに断続的でも経過も報道されています。
私が定年して、令和の時代に再就職して伏見区で働いていいた時に発生した大きな事件であり、コロナと並ぶエポックでした。
内容に関して、とくに新たな証言や論理立てを書くつもりはないです。
報道でも流されている範囲の話です。改めて36人もの殺人が令和の時代に行われたことに震撼します。
そして、犯人もまた全身やけどを負い、瀕死の状態から、現代の最新医学と倫理によって生かされました。身体の9割以上をやけどが覆っていたところに、残り5%の皮膚を培養して移植をして、今証言ができるまでに身体は回復し法廷にきたのです。
医療ドラマなどで、正義感の医師が悩むような、こんな犯罪者を大金や医療技術を使いわざわざ生かして、結局死刑にすることに意味があるのかという命題でした。
被害者のためにも、真実をあきらかにしたいという考えもあります。
何がいい悪いかとかは別として、バイオテクノロジー、医学の進歩が招いた結果ではあります。
そして、同情とか庇うとかではなく、彼は貧しい底辺層の人間で、世の中の豊かで才能ある人を理不尽に妬み恨んでいたことは、報道にも出ている内容で明らかなようです。
検事に対しても、「恵まれているあなたに、気持ちが分かる訳がない」という意味の言葉を吐いたと伝わっています。
いろいろ支離滅裂な論理展開も証言しています。
ひとつ真実としては、彼の言う通り、司法試験に合格した検事や裁判官、弁護士もまた、一般的には普通の家に生まれた人より、頭脳にも恵まれ勉強する環境にも恵まれた人には間違いないです。
しかし、貧しい境遇、浮かび上がれ差別が、そこにあるのはやはり悲しい。そのために亡くなった人々に改めて、追悼の意を深くする。