1995年の大震災が促進したもの 兵庫県のローカル線

 先日、兵庫県の山陽線加古川からの加古川線に乗り、その中間駅、西脇市駅(当時野村)から分岐していた鍛冶屋線の廃線散策に行きました。
 JR西日本では昨年和田岬線から103系が引退したため加古川線と播但線、JR九州の筑肥線だけとなりました。
 鉄道好きでない人から103系ってなんだと言われると、国鉄が作った通勤型電車で山手線などを席捲した黄緑モノトーンの四角い電車で、過去現在通じ日本一の製造数を誇りました。国鉄車両を多く引き継ぎ改造延命で永らえさせていた西日本ですが、いよいよ残りわずかとなりました。電化されたとはいえ兵庫県中西部のローカル運用で1両もしくは2両の運用でほのぼのと田園や山間を走っています。
 この加古川線は西側の姫路から北に向かう播但線と並び、兵庫県を南北に結び、それぞれ但馬地方の山陰側に結んでいました。比較的人口の多い山陽側に比べ、北へ向かうほど賑わいはなくなり、車両も少なくなります。
 播但線が途中までしか電化していないのに対し、加古川線は2004年に全線電化されました。すでに支線の鍛冶屋線や三木鉄道(旧三木線)が廃止、粟生で連絡する北条線が三セク化して、神戸電鉄粟生線も乗客減で赤字に苦しむ加古川線もモータリゼーションの並で厳しい中でした。なぜ加古川線が、古い103系の1両で北部は2~3時間に1本の過疎ダイヤとはいえこの時期に電化されたのでしょうか。
 そのきっかけは1995年の阪神淡路大震災でした。分断された京阪神~山陽への山陽線はじめ私鉄の代替ルートとして、播但線、加古川線が迂回路の役割を果たしました。このように非常時の備えとしての意義が再認識された路線でもあるのですが、どちらも非電化で貧弱な輸送力で気動車も不足しており、単線とはいえ、トンネルの少ない架線の工事がしやすい加古川線は電化が進められたのでした。


 それでも、西脇市以北の福知山線谷川駅までの区間は、JR西日本の電化区間の営業系数ワーストで、大雨での遅延も多く、地元と廃止の協議も進み今や存亡の危機ではあります。103系の後継電車が颯爽と走る可能性は低いかもしれません。
 私も震災の時、このう回路で谷川駅を利用した時があります。その時は山間の谷川駅が大変な混雑で、福知山から乗り換える、京都に向かうディーゼル特急も指定がとれないほどでした。しかし、震災から数年経つと、谷川駅は乗換駅とは思えないほど閑散とした小駅に戻っていました。
 山陰線も城崎まで電化されましたが、整備が進む高速道路はそれ以上で新しいモータリゼーションの波が鉄道の存在を脅かします。
 バスやトラックの業者、乗用車のお客は道路を作り、維持する心配はないので、そもそも鉄道は公共交通としては不利です。
 西脇市という、小さな市も街中を貫いた鍛冶屋線が無くなり、代替のバスすら走っていない典型的なクルマだけが主となる移動手段の街です。
 加古川線の沿線の、社や、小野、瀧野はじめ、日本全国の多くの地方でこれからどんどんこういった廃線跡を遊歩道にするしかない街が増えていくのでしょう。

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