2019年の7月暑い日の伏見での惨劇が、雪降る4年以上を経た今年今月25日に判決します。
京アニ事件の判決が出るということで、このところの被害者家族の恨んでも恨みきれない思いが報道され続けられていました。
そして、今日裁判員裁判に判決は出ました。
青葉真司被告、哀しい人生だと感じる。救う術がすぐには思い浮かばない。
心身喪失とは認められないとしても、何がそこまでと思います。
どんなに極刑が出ても、被害者家族の思いが晴れるわけではないし、殺された人びとの笑顔、未来、人生が戻るわけではないのです。
被告が虐待を受け、どんな哀しい境遇であろうと、同じような境遇でも闇落ちせず犯罪に手を染めずまっとうに生きている人は大勢いる。だから、庇うことも同情することもないと言う人は多いでしょう。それでも瀕死の火傷から生かされ、罪を償うために法廷に立たされたのです・
恨みの感情は別にして、こんなモンスターを産む育てたのは、どうしようもない母と父、そして救うことのできなかった教師、友人、周りの人びと、行政、社会です。
一人、恨みを背負って許されることもなく、大やけどから治癒して再び刑を受ける青葉真司。彼は罰を受けて当然かもしれないが、罰を受けることも責任を問われることもない人は実は周りに沢山いる気がします。
社会の底辺に、いつ救いようのない事件が起こってもしかたない闇の芽のようなものが沢山あります。そして、それを摘むには、みんな優しさも余裕もなさ過ぎます。犯罪の元は実はそこではないのかと思います。
追い詰められれば、あるいはとんでもない環境にいれば、人は何だってやってしまう可能性は誰にもあります。そんな不幸を作らないよう、一人でも多くの人に手を差し伸べる。あるいは分配、福祉の制度の「精度」を上げることが求められます。
政治家しかり、警察官、意思、アスリート、ミュージシャン、芸人、実業家たちも恵まれているようで、不祥事が現われます。不幸のどん底にいる者が少々悪いことをして、他人に迷惑かけてもいい、むしろ不幸を広めたいと思うかもしれません。
救いのないそんな社会では、悪い方ばかり見ていてるのが楽に思われますが、それでも決してそうではないのです。社会のあちこちに正義も優しさもあります。
法を守り、優しく生きていくことです。周りの誰かが助けてくれ、幸福になるきっかけヲいつかはつかめる、人生のどこかで天使が舞い降りる瞬間がぉっと来ます。