〇年に一度の天才は実はどこにでもいる?

 大谷さんのグローブが各地の小学校に配られて、子供たちが喜んでいるようです。
 大谷翔平が二刀流の驚異的な活躍でアメリカメジャーを席捲し、藤井聡太が将棋の世界で八冠という、昨年は何年かに一度の記録で二人の若者が世の中を明るくしました。

 言葉尻をとるようですが、不世出とか、何十年に一度しか現れない天才というようなアスリートやアーティスト、偉人への表現には少しひっかります。。
 また、本人らは謙遜もこめてか、周りのおかげとか、人一倍努力した賜物とも言います。
 確かに同じような才能でも、環境によって埋もれてしまう場合もあります。時代がかぶってしまうと、ライバルにはなれても圧倒的な1位にはなれない確率的な問題もあります。環境という面では、子供のころから、取り組める恵まれた環境がなければ、立派な身体能力や、音楽の才能があったとしても世に出ることなく、平凡な生涯におわっているかもしれません。
 大器晩成型で、才能を発揮する場合もありますし、カリスマ的、天才のいない時代に泥臭く時代のトップをとった感じの人もいます。
 競争の激しいやや薄汚い面も社会にはあります。一度トップをとった人間は追い上げてくる人間を潰しあるいはとりこみ自分のカリスマをさらに輝かせる場合もあります。
 必ずしも天才が、社会的栄光をつかむとは限らない世の中でもあります。
 天真爛漫に見える若い二人の活躍は爽やかに思えます。だからこそ、過剰な煽りや忖度めいたことはやめて、次の世代が来ればまた別の人が輝く社会が良いのです。

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