被災地に神様は降りるか

 大災害の後、生き残ってもその後の避難で大事な家族を失い、劣悪な環境で患い死んでしまう災害関連死も報道されています。
 幸いにも命をとりとめたのに、結局死んでしまうのは悲しすぎます。学校の体育館などの避難所は、最近でこそようやく段ボールで間仕切りができたとはいえ、プライバシーがなく、水が十分でない中、食事やトイレなどの衛生面の不安、さまざまな不自由でストレスは溜まるでしょう。

 私の子供の頃、かつては、学校など外出に、ハンカチ、鼻紙忘れずには当たり前の習慣でした。ティッシュが出回るのはもう少し後の時代です。
 鼻をかむというだけではなく、万一出先で、大の方の用を足すとき、トイレットペーパーは必ず設置されているものではなく、公園などではまずない時代だったので絶対携行が必要だったのです。
 ここ十年ぐらいで、公共の施設、駅や公園でも随分トイレは改修され、洋式のシャワー温水付きの暖かい便座が当たり前になりつつあります。
 TOTOのウォシュレットの登場に驚いた時代からも30年以上経つそうですが、当初は一流ホテルぐらいでしたが、今ではコンビニや駅のトイレでも当たり前で、少し古い施設でシャワーがないとがっかりするぐらいです。
 かつては、人が腰かけたあとに座るのがイヤだと思っていた世代にも、今はペーパーで消毒する液も設置が多く、和式ができないという高齢者もいるほどです。
 コロナで一時停止していたジェットタオルも復活していますし、音を誤魔化してくれる装置も、炭などで消臭する設備もつういています。たいていの飲食店にはそれらがアメニティグッズとともに全て装備され至れり尽くせりです。
 自宅も含め、そんなトイレに慣れてしまうと、災害でのトイレ事情は昔以上に厳しいかもしれません。他人との狭い共同生活だけでも難しいのに、トイレが大勢で共同で悪臭も漂うような感じで、自分の匂いも十分に消せないなど、とても辛い人がいるでしょう。

 たかがトイレなのですが、命に関わるとなると昔の人のような逞しさがあった方が災害時には良いのでしょう。少々見栄えや味が悪くても何でも食べ、どこでも寝れて、快食快眠快便できるひとが、生き延びられるのはアウトドアや災害の時のサバイバルだけではないかもしれません。生きていくのに絶対必要なものは何か、やや過剰な装飾を必須と思わずに悟ることでしょうか。

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