日本女性初の弁護士、裁判所長 法曹界の女性

 4月からの春のNHK朝ドラヒロインのモデル・三渕嘉子さん。日本初の女性弁護士の一人であり、日本初の女性裁判所長 になった人の果敢な生涯をたどるそうです。
 今でこそ、テレビでは女性の若くてきれいな女優さんが演じる弁護士や、検事、判事もよく見かけます。実際に私の働く地方裁判所の民事の一つの部に関わる裁判官でも半数近くの5名ほどが女性です。すでにお子さんを育てておられる方から、まだ学生に近い見栄えの司法修習を終えたばかりの若い方まで、男女の能力も分け隔てもなく活躍されています。その他、裁判に関わる書記官、事務官、関連する検察、弁護士会も女性の割合いが民間企業に比べても多いのではと思います。
 こんな働き方もこれから描かれる三渕さんのような嚆矢の方、先人のブレイクスルー、粘り強くネゴシエーションや努力があってこそかと思います。

 女性が働きやすい環境が整ってきたのは、戦後もごく最近ですし、戦後憲法が変わり、法律が変わっていっても、設備面や慣習的なものでなかなか「女だてらに」という壁はつきまとったものでしょう。
 昭和の終わり近く1982年(昭和57年)に社会人になった時、上場企業だった私の会社の同期になる大卒本社採用に女性はゼロでした。女性の仕事は事務職や派遣販売員として別枠のような感じでの採用の仕方で、4大卒の女性の就職は成績優秀でも就職は難しいものという時代でした。成績が優秀でも良家の卒業生は、婚約が半ば決まっていて本当に腰掛程度に働く人も多かったのです。そして、いくら有能で仕事ができても一度辞めると復帰は難しい社会でした。
 実際に女性がさまざまな職業を選び、結婚、出産、育児で仕事を捨てなくても良い仕組みが定着する時代というのは昭和が終わり平成が進んでからではないでしょうか。
 世界にはまだまだ、女性が働きづらい国もありますし、人種をはじめさまざまな差別もあります。
 大谷君らが何かと注目されるメジャーリーグのアメリカでも、ドジャースに全米で初めて黒人選手がデビューできたのは1947年日本の戦後です。
 明治、戦前の男尊女卑社会から、人権や職業の自由が開放されていくのはそんな時代の経緯なのでしょう。

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