頭の良い人は人生何周目か?天命か

 大手化粧品メーカーを定年まで勤め、その後は年金事務所を中心に社会保障、厚生労働の公務を4年、その後現在は裁判所で司法系と方向の違う仕事をしています。こうやっていろいろSNSでノマドもやっていると「器用ですね」「私は今の仕事以外、他のことはできない」と言われる人もいます。
 今、ドラマなどで流行りのタイムリープものだと、「人生何周目?」みたいに言われますが、自分では不器用というかとてもそんな偉いものではありません。
 医者や学者になったとか、大会社の社長になったとか、司法試験やら難関資格を突破した人を見ると、その記憶の良さとか理解力こそ「前世の記憶」「天命」でもあるのかと思います。あるいは企業勤めから、自営に転じて家業を拡張とか、議員やアーティストに転じている人もおり異能に関心するばかりです。
 私の場合、集中力が長続きせず、記憶容量も小さく、意識が散乱・発散するのでケアレスミスは多いでし、飽きっぽいので2級ぐらいまでの資格が精いっぱいでした。今身近におられる裁判官の方など、日本でも最難関の司法試験に受かり、その中でも難易度の高い裁判官に就かれていることにはただ感心するのみです。もちろん見かけも含めてある意味では普通の人なんですが、やはり「天命」を背負ってなのでしょう。

 私に関しては60歳過ぎての働き方に関しては、特に志が強かったものではありません。ただ、興味があった新しいことに機会があればチャレンジしたかっただけです。その世界に何十年もいる人にとっは新参者でわきまえも常識もないアウトサイダーです。
 それでも新卒からの勤めと違い、ある意味「絶対辞められない」というプレッシャーのようなものは減って、慣れない仕事そのものは大変ですけれども、肩の力は少し抜けた感じの気楽さにはなってきています。
「社畜」とか「仕事中毒」というのは、本当に立場変われば抜け出せないのも良く分かります。私も若い頃、長いこと、クソみたいにブラックな会社で、さらにそんな中でも汚い上司にこきつかわれました。
 時間が限られているのだから、若いうちにもっとうまくやれたこと、主張したり、要領よく立ち回れたのではと思うことはあります。
 お酒の付き合い、ゴルフやギャンブなどの遊びの付き合いも本当に下手で不器用でした。50歳過ぎてから、ようやく美味しい店を見つけることは上手くなりました。
 60歳を過ぎ、転職して全く知らない人の中で、知らない仕事をするのに関しては「面白い」とだけ無邪気に妙にポジティブに進みました。最初は特に失敗ばかりでしたが、それもまた新入社員、雑巾がけを味わう、マゾではないけど、真新しい自分の能力を発見できる楽しみのようなものがあります。
 学生とか、まあ社会人になってもですが、英語とか簿記とかパソコンとか勉強したものを職場で役立てる機会とかシチュエーションは限られます。あっても競争が激しく他の人がやっているとそれ以下のスキルだとか、その組織では永遠にその勉強は無駄になりかねません。簡単に異動なんて無理な場合もあります。
 2周目の人生とか器用と言われるのは私の場合、何となく好きで勉強したり、いつかは役立つと信じ資格をとったり一見「無駄」をしてました。経験して引き出しを多くしていたものが、ここへ来て回収されるように役立っているような気がします。
 取れなった資格の中に「図書館司書」というのがあります。本が好きなので図書館への転職も考えてチャレンジしました。ところが、この資格は簿記や宅建などに比べ合格率は高いのですが、学生時代には取っておかないと、再入学して講義を受けないと取れずお金と時間が必要です。私は本は好きですが、図書館の中の仕事をずっとするのは合ってなかったとは思います。
 これはまあ、運命というのかやはり私にとって図書館は、趣味と勉強、癒しの空間で仕事場ではないという「天命」なのではと思います。

 勉強とか経験、失敗っていいよなあと今になって思えるのです。2周目なのか1周目かそれとも3周目以降かは知りませんが、一度の人生でガチャガチャいろいろできることを辛さも含めて楽しんでいます。
 
 

追悼:伊藤淳二元カネボウ会長  書評『天命』

 

 先日99歳で亡くなられていたという報道があった伊藤淳二(いとう じゅんじ)氏は、私が入社した時の鐘紡の社長でした。1922年(大正12年)中国青島生まれで、戦後すぐの1947(昭和23)年、慶應大学卒業後に鐘淵紡績(カネボウ)に入社され当時のオーナー社長・武藤絲治(むとう いとじ / 1903〜1970)の後継者指名を受け、1968(昭和43)年、45歳の若さで大逆転、クーデター人事で社長となった人物です。カネボウは経営多角化を推し進め、1984(昭和59)年、会長に就任、社長就任のストーリーは城山三郎のビジネス小説『役員室午後三時』 主人公藤堂のモデルとなりました。
 

 1985(昭和60)年の御巣鷹山の日航機事故後、政府(中曽根康弘首相)からの強い要請で日本航空副会長(翌年に会長)に招聘される。わずか1年で辞任しました。この経緯が山崎豊子『沈まぬ太陽』- 登場人物の国見会長のモデルとなりました。だいぶ美化されて、映画では石坂浩二が演じ繊維工場でを自ら糸を扱い差配している場面がありましたが、この当時すでに現場にいるような人ではなく、随分とデフォルメというか男前に描かれ映像化されていました。

 伊藤氏も今ではすっかり過去の経営者扱いですが、著名な作家の小説のモデルに二度もなった人物はそういないでしょう。 屈辱的失敗で日航会長を解任され、カネボウ専任に戻られるのですが、その後も会長として院政をはり、過去の成功にとらわれ傀儡的社長がコロコロ変わるだけで改革が進まぬまま、坂道を転がるように、事実上の経営破綻に落ちます。

「天命」は論語をはじめ彼が出会った様々な含蓄ある言葉を中心に生き方を著しています。多く方の書評や最近のコメントではその中身は古臭いという、褒めていても古き良き時代的なものです。時代としては少しあとになる稲盛和夫の著作に比べても、難解で衒学、知的顕示欲の強さが垣間見れます。
 ちなみに伊藤淳二は、社内で「知命教室」という幹部勉強会のようなもの、論語プラス経営という頭の痛くなるようなのをやっていて、それも社内で冊子が出回ってきて、ヨイショ的な内容が多いのですが、やはり博学であり衒学趣味でした。


「美しい人生とは美しい晩年を送り得る人、人生の一瞬一瞬をかみしめ「今」に燃え、毎日毎日を精いっぱい送る人であろう」という言葉には、大いに共感する部分もあります。

 しかし彼の晩年はどうだったのでしょう。博学でもありますが、稲盛和夫のフィロソフィーに比べると点が線につながらないような少し現実と合わなくなって、経営者としての評価は随分下がりました。
 自己顕示欲が強すぎ、後輩などの意見を受け容れての修正が難しいところがやがて綻びにつながったのではと思います。
 現実の社会は論語に心酔する一流大学出の向学心溢れた人間ばかりではなく、礼節や忠誠よりも私欲が優先するのが通例です。伊藤の思い、考えは本当の意味で浸透するわけではなく、権力者への盲従に支えられていたのかもしれません。

 そして、「未完の如くして完結して居る。果たされない様で果たされて居る。大切なことは、その時、自分の可能性の全てを尽くしたか否かであるように思う」という言葉で『天命』の最後を締めくくっています。
 日航会長時代でミゾをつけ、結局は鐘紡の栄華さえ砂上の楼閣のように崩れ去り、最後は大株主として元経営者として情けないような泥仕合も見せてしまいました。それでも未完と言っている以上矛盾ではないのかもしれません。
 未完であるが一時代を築き、実はそれなりの完結をしている。99歳まで永らえ、目的を果たし得なかったそういう生涯がありかもしれないです。

伊藤淳二と稲盛和夫 日航改革二人の明暗 – 天使の星座 (seizafpkotodama.com)

やはりみんな世間は言いたいことが言えない

  半沢直樹も日曜日夜に、サラリーマンにとっては明日の仕事を思い出しながらもスカッとする爽快なドラマでした。同じ原作者とは言え、女性版半沢直樹で二番煎じのさらにリメイク版で先週から「花咲舞が黙ってない」が放送されています。
 同じパターンで銀行の不正を追及し、主人公は過去の慣習も「できないと思いこまず、誰かが声を上げないと変わらない」とポジティブ名言をし、今流行り「キックバック」も追及します。
 こんなに言えるのは、本当の会社じゃない荒唐無稽すぎるとも言われそうですが、やはり一つ一つのことに、一人一人が「黙ってない」で変えていく速度は鈍り、もしくは止まったままです。
 不正発覚で瀕死の業績にある会社や某国政政党も、何人も出てきた「半沢直樹」や「花咲舞」の話を聞かず握り潰してきた報いでしょうか。
 それを言い出すと、いろんなところで古い慣習を打破できず老害とも呼べる人が禅譲して優待しないで権力にしがみつくことにより、若い人が生き生きと力を発揮できないようになった日本という国の病巣さえ見えてきそうです。
 テレビを見てキャラを楽しむだけでなく、それぞれの立場で正しいことを「お言葉ですが、、」と前置きしても言いやすい場所にしないとと思います。
 

西武大津店の思い出

 西武グループの創業者・故堤康次郎氏の出身地である滋賀県に、県下初の百貨店として1976年にオープン。開業初日は約13万もの人が詰めかけたことからも、県民からの期待がいかに大きかったかがうかがえます。
 先日びわこ博が小学校3年生の時、大阪万博1970年が小学校の5年生でしたから、私はオープン当時は高校生だったのです。
 当時は京都の大丸、高島屋、藤井大丸、丸物といったデパートしか知らず、多層建ての繁華街にある形態ではない西武は新鮮でした。
 高島屋や大丸といった老舗が高級品も扱いながらも、子供向けの玩具売り場や食堂、遊具が充実していたためか、売り場としての西武百貨店はやや物足りない感じもありました。その後トレンディとか言われるブランドが席捲する少し前の話です。
 その後、会社に入り滋賀県で営業にも周り、30歳てま頃、平和堂や当時でき始めたダイエーや西友なども担当した後西武百貨店も担当することになりました。
 今思うと、バンカラな野暮ったい独身でしたが、滋賀で最も垢抜けた商業施設を背伸びして担当させていただきました。
 当時、カネボウ化粧品としても初めてHF(アシェフ)という百貨店ブランドを作りようやくチャネル別流通に力を入れだした時でした。全国的にも百貨店ではそこにしかない外資が強く、そこら中の店にあるカネボウや資生堂は差別化に苦戦していたのです。今では考えられない強引な販売方法のアプローチデモというのが頻繁に行われ、普段は2名体制の派遣でしたが、デモやイベントだと各課の美容部員が動員され、ノルマがかかり大変いキツイ仕事でした。会場の設営、撤去、毎日の朝夕礼もあり休日フル出勤となり、当時会社の拠点は彦根になったため彦根と大津を何度も往復しました。実家が京都なので実家に戻って通えばといわれましたが、大津~京都もハンパな距離で携帯もパソコンもない当時は家に帰ると連絡などが厄介でうまくいかないものです。
 それで実家の電話で長話して、また返信があると取り次いだ母が、「彼女」かと期待した子もいますが、それは全くの誤解でした。

コイバナ? 仕事のパートナーはスーパーモデル 大阪時代

 本人も日本人離れした体格の大谷翔平選手、奥さんも元アスリートで高身長の美人でした。
あそこまでの体格のお相手だとさすがに150㎝ぐらいの女性だと釣り合わないように思います。
 もちろん、身長差のカップルも世の中にはあります。女性の方が背が高い場合もあります。
 私自身の好みとか言っても始まりませんが、170㎝ちょっとなので、横に並ぶのは160ぐらいまでがやはりいいように思います。今までお付き合いした女性も全て150センチ前半で、まあ平均的な日本人女性か、少し低いぐらいでしょうか。
 時代が移るにしたがい、同じ身長でも足が長くスタイルの良い方が増えだしました。
 初恋をしたような時代、同年代の女性たち昭和の女子は、みんな当たり前に小さく丸っこい感じでしたが、今の女優さんやアナウンサーの人や、大卒の子らは本当に細くてスタイルもいい。
 私はあんまり背が高くてスタイルの良い美人系は苦手で、化粧品会社でもそういう人は「ああキレイだな」ぐらいで全くつき合えるとか思いいたらず、かえって落ち着いてそっけない態度になってしまうようでした。その態度が結構、冷静で安心感を与えて好感を持たれた時があります。
 ある時、大阪で勤務しているとき、当時でいうと伊東美咲さんや武井咲さん、今はキャスターになられた膳場貴子さんのような本当に女優さんやモデルさんのような女性Iさんという方がおられました。私が少しお茶ら気を淹れながら毎月企業対策のプレゼンをするのをとても熱心に聞いておられ、上司を通じてその伊東美咲さん(仮)が「とても楽しみにしている。井上課長(当時)が大好き」と伝わってきました。
 確かに、当時企業としても自主回収白斑の対応もあり厳しい仕事が続いていて、私のプレゼンは一服の癒しだったようです。それでも、男女の「好き」である年齢ではありませんし、お互いに結婚もして子供もいるのでそういう意識は全くありませんでした。
 顧客や部下の対応に北大阪地区を同行して回る機会もあったのですが、気楽に打ち合わせがてら食事にも行き、送って帰るような時もありました。
 しかし、どうも社内では変な噂が立ちました。困ったことに伊東美咲さんは、ビジネスネームこそ変えていないのですが。中学生のお子さんはいらっしゃるものの離婚されて、バツイチのシングルマザーだという話なのです。
 確かにスタイルも良く美しい人ですし、あざとい裏の顔があるとも思えないタイプなのですが、このまま沼に落ちてしまうのは悩むところでした。
 結構多くの男性はこっそりと不倫に入るような会社でしたが、そこはもうちょっと私には無理でした。身長は私と釣り合わないくらい高くはなくて160㎝ぐらいまでですが、やはり私には150㎝ちょっとの平凡なスタイルと容姿のお相手が分相応なのです。
 

年金より減り続ける退職金 大問題

 京都市を財政破綻寸前に追い込んだ門川大作市長だが、今般4期を満了して2億の退職金を貰い悠々退任します。リニア反対で注目され、職業差別発言で辞職した静岡県川勝知事も4期目途中なので1億近い退職金を貰って逃げ切るようです。
 優雅な話、首長は自治体トップで大変な激務だからと一般市民は納得するでしょうか。
確かに4期16年とは言え、世間では15年程度働いて自己都合で辞めれば500~600万がせいぜいの退職金相場です。
 国会議員や総理大臣に比べても、地方首長の退職金は自治体にもよりますが、改革の進んだ大阪など一部除き軒並み高額です。
 これは、戦前まで首長は公選ではなく、中央が任官していた名残を引き継ぎ改革されていないところからきているようです。
 一般の公務員や企業に働く人は大卒で37年働いても、20年前は平均3000万円もらえたものが現在では2000万円程度に落ち込んでいます。川勝氏や門川氏のような年齢で、第二の就職をしたら、1億どころかゼロの場合も多いでしょう。60歳から再就職で退職金制度があったとしても10年勤めてもせいぜい100万にもならないでしょう。よほどオイシイ天下りで、理事や顧問、嘱託に就いても現役37年の2000万を超えるような退職金は民間ではあり得ません。
 しかし、彼らの減額や辞退をアピールしても、多少溜飲が下がっても庶民が貰える退職金が増える訳がないのです。
 前にも書きましたが、春闘の労使協議でベースアップや、ボーナスでは大きく騒がれ注目されますが、この20年間でひそかに退職金規定はどんどん改悪、減額されてきたののです。
 定年後のマネーライフの不安と言われる時代で、年金では足りないことが良く話題になりますが、年金給付の増額は年金財政、少子高齢化の構造で難しいのは誰でもわかるはずです。であれば大企業を中心に、給与や賞与とともに退職金も増額しなければ安心して働けないし、良い人材も集まりません。就職の情報に、給与や賞与、労働時間は書いてあっても退職金は制度ありとしか書かれていません。
 企業にとって負担ではありますが、確定給付企業年金、中小企業退職金共済は法人税非課税です。ここらの充実で若者も含めて働く人の不安を取り除かないと社会は殺伐と暗くなります。比較的若い段階でも、退職金と失業給付でしばらく休んでやリスキリングやリカレントで次の就職に備えられるようにできるのです。

法を順守して選挙制度を現政治家が変えるべき

 派閥のパーティー券を裏金にまわしたり、政治資金収支報告書に届出しなかった問題に端を発し、再発防止を議論する「政治改革に関する特別委員会」が11日衆議院で、12日参議院で設置される見込みです。
 さすがに、この一連の報道は注目はされていますが、一部には氷山の一角とか目くらまし、スケープゴードとも言われ、本質的な変化が来るかは分かりません。国民はしょせん大きな期待も【不満】もなく、アスリートや芸人のゴシップと同じ目で見ている方も多いでしょう。かつて、政治への欲求、不満、選挙権の獲得に必死になり8割以上の選挙率だった時代からすれば、政治は人気の廃れた三文芝居の扱いです。政治家、国会議員は儲かる商売ではなく、使命感だけで成り立つ職業なのに、人一倍お金の執着することから歪みが始まりました。

 新たな法律を作っても守らなければ意味がない。現行の法律でも届け出義務は明記されている。問題が起きるたびに法律を改正しているが、今回の出来事でも法律を作る以前の問題で、順法意識がなく、かつ「知らなかった。秘書に任せていた」との言い訳、責任感のなさに国民は怒っているのです。
 クルマを運転していて、道路交通法違反で「そこが一時停止と知らなった」「時速80キロとは知らなかった」「免許が切れているの知らなった」で違反が許されません。「自動車税」「住民税」「固定資産税」税金や公共料金を支払うのを知らなかったでは通りません。会社法や税法などでは経営者はもっと複雑な法律を知らなかったでといっても、罰せられます。

 政治家というのは巨額ともいえる金銭を歳費や文通日費、政党助成金で税金から元々貰っています。その上パーティで集客しないと、選挙資金が充分でないというのはどこか構造がおかしいのです。自分だって、おかしい苦しいお金が必要だというなら、仮にも政権を担う与党議員なら、お金を集めるよりも、未来のため選挙の構造を変えることです。
 選挙に行って選ばれる人が一掃されたらいい、行かない人が文句言ってもしょうがないと言う人がいます。ただそれでは現実的には政権交代しかも、替わる政党がしっかりした政治家でないといけません。限りなく実現性は乏しく、現実味はありません。
 学者やアナリストにオワコンと言われる国会、選挙制度口惜しいなら、アイデアを今の政治家がアイデアを盗んででも変えていくことです。
 私は議員の歳費や政治資金も、二世議員も全面否定はしません。むしろお金を潤沢に持ち、名門に生まれた人が選挙に勝ちやすいならその人がしっかり政治の舵を切れば良いことです。
 
 国民から選ばれた国会議員が率先してルールを順守する意識改革と、現状を変えていく改革の発想が大事だと考えるのです。与野党の現役政治家の決意と覚悟を促したいところですし、市民もネットの時代ですからどんどん意見を発信すべきです。

書評:柳広司「南風に乗る」 沖縄の昭和史

 リーダビリティには定評のある作家柳広司ですが、やや重いテーマを掘り起こした作品でさすがに読むのには少し時間がかかりました。
 軽い筆致で、痛快でスリリングな戦中のスパイ小説を描いてきた作家が目をつむれない歴史の暗部を社会派的な視点に移行しつつあるところです。
 この物語の主人公は沖縄というキャッチコピーです。

『ジョーカー・ゲーム』シリーズで知られるベストセラー作家が挑む「沖縄が主人公」の物語。沖縄からの風が「真」をはこんでくれる、戦後、日本は二つの国に分断されていた。
本土から切り離され、米軍支配下に取り残された沖縄は「独立」に向けた闘いを開始する。
遠く離れた故郷沖縄に思いを馳せる詩人・山之口貘、“アメリカが最も恐れた男”不屈の政治家・瀬長亀次郎、戦後の東京で私費を投じて米軍支配が続く沖縄との連帯を模索する中野好夫。


 返還までの沖縄の人々を襲った悲劇と苦闘の数々は、未だにやはり本土の人間が過去と割り切れるものではなく、語り継がれるべき近現代史です。
 私は沖縄の戦中、戦後の史実を掘り起こせば、平和世代がリゾート地として遊ぶためだけに沖縄に行くことは何となくためらわれます。

 沖縄の過去と現在をよく知らず、沖縄でたっぷりリゾートを楽しんだ後、日本人はウクライナの戦争になぜもっと主張し、支援しないというイギリスの友人がいました。
 おいおい、日本が主張すべきは、アメリカやイギリスに対してだと言いたくなります。アメリカはとうに世界の警察を辞めました。辞めたというか、化けの皮が剥がれたのです。日本人の中には戦後の占領政策のアメリカ人を紳士と全面的に感謝し親米となっている人も多くいるようですが、沖縄への戦後の「仕打ち」を見ると、アメリカ人は紳士でもなく蛮人です。
 もうベトナム戦争も中東戦争もイラクも飛ばして都合よく正義感になってウクライナウクライナと叫ぶなと反論したくなりました。

 日本の戦後は本当に終わっていないし、本当に独立はしていないのが、基地の偏在する現状と、その土地の背景、沖縄史を紐解けば良く分かります。
 ドキュメンタリー的な小説であり、今50代の柳氏の伝聞取材などの構築、創作もあるでしょう。
それを愛国、右翼系の方が、沖縄人が全て中国とつるんだ左翼のように批判するのもどうだかとは思います。
 基地や日本の中央とつながり、多くの沖縄人も日本のカオスと一体化した今、瀬長の生きた頃の投票率90%だった熱い時代と今では市民の感情も変わってきています。差別ともいえる賃金格差も昔ほどではないでしょう。
 それでも、基地があること、国境近くにある要塞の島であり、日本政府に半ば見捨てられ多くのリスクを背負う宿命の島に抗いながらも、なすすべなく無理やり替えられたことには違いはありません。
 
 柳氏の地の分に、現政権批判のようなところがあり、そのあたりはちょっと不要かなと思います。保守系の神経をあえて逆なでする必要はなく、日本人の愛国心に「親米一辺倒」は少し違うよと訴えれば良いことです。
 瀬長亀次郎については、少し別の視点と表現で、小林よしひろが「ゴーマニズム宣言沖縄論」でも詳しく熱く絶賛して描きあげています。
 沖縄人に関して暴言的な発言をした百田尚樹も、近現代の人物をモデルに小説を書いています。右と左に両極端とも思われがちですが、愛国者、親米保守、右翼といえども瀬長が傑物であることに間違いはないですし、アメリカの占領政策に、日本政府の吉田茂、佐藤栄作らが無力で弱腰だったのも否定はできないでしょう。
 歴史は、書く人の立場によって、右にも左にも動きます。しかし、歴史事実に右も左もありません。百田尚樹にしろ、採り上げる人物がゼロ戦の操縦士だというピックアップの仕方と技巧が右寄りであり、大きな歴史のうねりは変えられません。


 自民党政権が弱まり、日本もまた変化の時代、国際情勢も不透明な現代、沖縄がまた戦争の基地に使われる時期が来そうです。
 

ネット、SNSは怖い 早急で柔軟な法改正と適用必要

 XやMETAなど海外大手含め、SNSを運営する大手企業に対し、不適切な投稿の削除の申請があった場合に迅速な対応や削除基準の公表などを義務付けられるように今月26日にも召集される通常国会に改正案を提出される予定です。
 誹謗中傷や、詐欺広告、暴言など日本は自由放任というか野放し状態に近い感じで、苦労して訴訟を起こしても、時間もかかり海外大手企業は舐めて「屁の河童」のような状態が続いています。
 それでも厳しく規制をすると、発言の自由を奪い、逆に名誉の回復が遅れる場合も遅れます。

 そんな中、先日3日仙台高裁の岡口基一裁判官に対して裁判官弾劾裁判所が罷免判決を宣告しました。裁判官弾劾裁判所は「SNSによる中傷で自殺者も出ている中、悪質性が重い」と、8年ぶりの罷免、SNS起因では初めて同裁判官が法曹資格を失いました。
 女子高校生殺害事件に関してSNSで不適切な投稿を繰り返したということで、これだけを読むと酷い裁判官のようですが、当然犯人への被害者側からの感情やら裁判の判決の量刑だけでは晴らせない義憤のような感情のいら立ちとも想像されます。
 本当のところは分からないのですが、SNSでどこまでというものは難しい問題です。
 少し前では、人気の国際経済学者成田悠輔が、高齢者の老害に対し、「集団自決」「集団切腹」発言が切り取られ、ビールのCMから降板させられました。彼はこんなことは気にもしてなそうですが、その内容は「武士道」葉隠の精神から「やっぱり人間は引き際が重要」「別に物理的な切腹ではなくて、社会的な切腹でもいい。過去の功績を使って居座り続ける人がいろいろなレイヤー(階層)で多すぎるのがこの国の明らかな問題」「消えるべき人に消えてほしいと言い続けられるような状況をもっとつくらないといけないんじゃないか」と決して差別や排除が目的の提案ではなく、こんな発言を切り取ってプレッシャーをかけるようでは、地上波はダメです。
 静岡の川勝知事の県庁での職業差別発言も問題とは言われますが、リニアがらみで風当りも強い中で、かなり長い挨拶の中の切り取りなので、タイミングの速さには違和感を覚えます。『毎日野菜を売ったり、牛の世話をしたり物を作ったりとかと違って、基本的に皆さんは頭脳・知性の高い方たちです』
 その前にも「御殿場コシヒカリ」も問題にされた前科はありますが、今回はリニア開業が静岡の反対で延期が確実になったと発表されたばかりです。
 個人的には、私はどうせやることが決まっているリニアなら早く大阪まで開業させて、生きてるうちに乗りたいので川勝知事の態度は好きではなかったですが、この幕切れはスッキリしません。
 野菜を作るじゃなくて、売るというのも変ですが、牛の世話から、モノ作り全般というのも何だか妙な感じです。工場などの簡単な組み立て作業のようなイメージでしょうか。いずれにせよ、官僚はそれらの一般的な職業よりも知力が求められ、選ばれた優秀な人だから責任を持って頑張れと言いたかったのであり、決して「野菜を売る人」をバカにしているわけではないと思います。そう感じて批判した人の方にむしろ違和感を覚えます。少しわかりにくいかもしれませんが、批判した人こそが、「野菜を売る人」は頭使わない職業で馬鹿にされやすいから、差別的な「同情」をしているのです。
 役人より頭脳・知性が低いなどと言われたら差別だと突き上げるべきだという主張をする人も差別意識は変わりません。こんな発言が誰かのせいで大きく採り上げられて、むしろ傷つく人が増えたのです。
 ネットがない時代、切り取りもない時代には、官庁や企業、学校の式典でこの程度の発言が出ても広がることはなく、傷つく人も多くははずです。実際に「モノ作り」の人、「野菜売る人」「牛の世話人」の本人や家族もこの話を、聞いたところで役人や大学に入る人に比べ「差別」と感じる人はそんなに多くないでしょう。多少口惜しくとも、地頭はいいんだなとか容量よく勉強して公務員になったんだな、今に見てろと思ってもそれほど「職業差別」ではなく、笑い者にされたのでもありません。
 何か、つまらないことに躍起になり、肝心大きな犯罪や搾取には目をつむっているような体制を法律も含めてもっと変えないといけないでしょう。ネットの規制など、国会で法改正してもいたちごっごで変容します。
 「有名人を使った悪質な詐欺」、「ちょっとした発言で炎上してトラウマを産む」、「災害時にフェイク映像で煽ってデマを流してバズって大儲けする」被害に遭う人がいても、大手いわゆる旧GAFAは莫大な儲けと売上をしながらも何の弁償もまともな規制すらしない。立法をもっと、迅速に柔軟に適応しないと、警察など取り締まり裁く行政や司法は法律が無ければ動けないのです。立法、国会がまともでないからこの国はやりたい放題です。裏金の問題も早く終止符を打って、そもそもあんな件があろうとなかろうと、国会の立法機能が粛々と動くようでないとマトモではないのです。

「虎に翼」 寅子にも負けず 社会の変化

 このトシで家で六法を置いて勉強するとは、夢にも思わなかった私の机に今の現実です。朝ドラヒロインに負けずに勉強です。
 先週からの朝ドラ「虎に翼」ではヒロインの母親役石田ゆり子が娘の決意と「時期尚早」との言葉に逆切れし、振袖の替わりに六法を書店で購入する場面があり、今週から伊藤 沙莉演じる寅子が法曹界に進むのでしょうか。
 私自身は、今の時代なので職場でカンタンに六法はじめいろんな書籍を貰ったり、ネットで手に入れられる恵まれた時代です。そして、働く周りの半数は女性であり、昨年卒業した同じ大学の法学部出身という女性もすぐ横にいますし、今年裁判官になったピカピカの判事補、司法試験に受かった司法修習生もやはり半分女性の時代です。
 産休明けの若い女性の裁判官も限られた時間ですが、働いておられます。そういう面では戦前、昭和のはじめ、戦後直ぐぐらいとは時代が変わったとはつくづく思います。
 

 そして、女性の生き方、価値観、ドラマのネタバレになりますが、当初ヒロインの母親は娘が学問に秀で、成績も良く勉強熱心なのはわかっていながら、女性は馬鹿の振りをしてでも、お見合いをして結婚して家に入り子供を作っていかないと幸せになれないと譲らない。失敗すると、とてもみじめになる危険があるからと古い価値観、戒めを押し付けていました。
 

 ただ、一見古い考えにも思えますが、この考えがほぼ絶滅危惧種になった現代、子供を自由にさせ過ぎて育てて、結局は若い世代で仕事も家庭も子育ても十分にできないままの人間が増えているような気がします。人口が右肩上がりの時代では中途半端な人間が多くても良かったのですが、今はそれが少子化、人口減少に直結します。
 女性差別して、優秀な方だけをというと、今の時代はすぐ文句を言われ炎上しますが、女性の中にも、昔のように結婚して子供を産んで家庭を守っていくだけの生き方でいいと思っている人もいるはずです。いろんな職業の女性進出を描く朝ドラ的な考えが、逆に伝統的な考えを差別し追いやり結局は結婚し無い人が増え、少子化にもつながっていくのではとさえ思います。
 女性が能力もあり、ともすれば男性よりも優れている人は多くいます。それでも子供を産んで母親として育てることは女性にしかできないし、それがなくなると人類は減り続けることになります。この大前提を学んで、仕組みとして、産休、育休、保育園や手当があるということを男も女も肝に銘じないといけないのです。
 
 女性が働くこと、自立すること全てが少子化ということではありませんが、何かこのあたりに少子化対策のキーがあるのではとは考えます。

 他に勉強することも多すぎるので、これ以上は他の人、AIにでも考えてもらいましょう。