本格的に夏が始まります

九州から梅雨が明けだしました。
本格的な夏です。
星空を眺めることもやっとできます。
流星雨が見れるでしょうか。
コロナ感染症の早い終息を祈りたいです。
夏は情熱的な季節ともとらえられますが、感傷的になる人もいるでしょう。西洋占星術には夏の季節の概念はありません。夏の黄道星座は現在の蟹座、盛夏の獅子座、その後残暑から秋につながる乙女座ぐらいまでです。
個性もそれぞれ、捉え方も違いますが、身体的にも夏が苦手、冬が苦手はあるでしょう。それぞれ体力を失ったり、冒険で危険な目にあうこともあります。気を付けながらも、自分の目標に向かってまっすぐ進むような季節として欲しいです。

ワクチン不足?忖度はどこにでもありそう #人間の性#ワクチン

もう忘れかけられていますが、ワクチン接種の順番について自治体に忖度されたとか、あるいは秘書が優先を強要したとして少し前に愛知県のドラッグストア大手の経営者が非難を受けたニュースがありました。
結局は辞退に追い込まれたのですが、私はこの時この程度のことは日本中でしょっちゅう起こっていることで、いちいち義憤を煽るような報道をしても、立場変われば結局、人間同じような行動をとるのではないかと思いました。
60代以下にも接種券か配られ、いざみんなにワクチン接種の機会がとなると何だかワクチンが無くて予約できないとのニュースが流れました。
政府の管理、スキーム運用の拙さは別の機会に書きましたが、ここでチラチラ聞こえてくるのは、あちこちで病院の伝手や、議員さんのコネとかで早めに接種できたとの話です。
端数の破棄をしないために急遽入れ込む場合等いろいろなのでしょうが、結局予備としてVIP忖度用に抑えている分等もあり、全体で見ればワクチンの不足の原因になっているのではないでしょうか。
ドラッグストアの経営者への忖度を非難した人々も、いざ自分の番となると何とかしたくなる。そんな心理って誰にもあります。
政治家や官僚が何がしか不適切に思える横入りをしたら一斉非難する人が、いざ自分の子供が罪を犯したので見逃して欲しいとか、大学や会社に無理でも入りたい等、藁をもつかみたいときに議員さんや権力者を知っていれば頼むことになるのはよくあるケースです。そのために議員はいると思っている人もいます。
偉い人や金持ちが忖度されるのって、たまにスケープゴートとなり批判を受けても実際には表に出ない甘受されているケースはいっぱいあるでしょう。誰もがそう思っているし、立場が変われば気にもせず受けているのではと思います。
マスク騒動の時も、私も近所のドラックストアに早朝並んだ時もありますが、文句は言われてもいろんな事情で出し惜しみする店側、本当に明日からのマスクが無く本来使い捨てのものを毎日洗う人もいれば、暇なので家族知人用に毎朝何度も並ぶ人、転売目当てで並ぶ人、人間模様はさまざまでした。何か朝から醜いものを垣間見ました。
【新型コロナのワクチン】これもそんなに品性を落としてまで焦って打つ必要はないと思います。
かかりつけか、大会場に登録ぐらいはしておいて、順番が回ってくればうければいいでしょう。打たないという選択肢を貫く人もあります。
何せ、ワクチン打つか打たないで白か黒か、そんなに劇的に効果があるものでもありません。
逆に打たない間は血栓もアナフィラキシーショック等の副反応の恐怖に会う可能性もあり得ません。
コロナに罹患して重症化という可能性も60歳以下だと元々かなり少なく、しっかりマスク手洗い等予防して体調を維持していれば全然問題はないです。

それよりも、マスクやイソジンの争奪に始まり、コロナウィルスごときのワクチンなどで人間の焦る品性、国家や自治体の醜い面が見えることが悲しいです。
人間生きている間、衛生的にやるべき習慣は身につけとくべきですが、醜い性、落ちた品性のまま生き続けることもまた悲しいものです。
たとえ1週間あまりでも、悔いなく鳴き続けるセミの潔さにも見習うべきものもあるかもしれません。

中国アメリカを復興で追いかけろ  #ワクチン#アフターコロナ

世界経済は米中を中心に回っています。この二大国はすでにコロナ禍からほぼ脱却しています。
毎日、放映される大谷翔平のMJBの画像の観客は、マスク無しで酒も飲み叫んでいます。
中国はともかく、欧米は日本なみの感染者の割合ですが、ワクチン接種も済み重症化が減ったためコロナの感染症としての危険度合いの「格」が下がっている感じです。
日本はワクチン接種は遅いですが元々民族として清潔な習慣を持ち、免疫力も高いため、ワクチン接種をした欧米がやっと追いついた程度です。それでも未だにニュースネタを欲し政府批判したいマスコミ系が恐怖を煽り洗脳を解きません。
元々しっかり感染対策をすればそうそう感染し重症化に至る割合は著しく少ない上、さらにワクチンで免疫力が上がればほぼ影響のないものになり下がるはずですが、なかなか安心の報道はなされません。
最悪のリスクの情報も必要ですが、全体的な説明が必要です。【変異株】という新語も良く出ますが、なぜ【種】や【型】でなく【株】かというとコロナウィルス自体が著しく変異するウィルスではなく表面のスパイクというトゲトゲが少しだけ変わり特性が少し変わる。マイナーな変異を繰り返しているだけです。【新型】とまで変異するには前の旧型からと同じく15年くらいかかるそうです。毎年流行の型の予測のつかないインフルエンザに比べると、しごくワンパターンで旧型を一度罹患した人でさえかなりの免疫力があるという説があるくらいです。(いわゆる東アジア人のファクターX)
ワクチンにもいろいろ玉石混合の情報があり次のデルタ株にはあまり効かないとか言われてもいます。
しかしコロナのマイナーな変異程度では全く効果がないとは考えにくく、ある程度効くワクチンであり続けるようです。
ワクチンの接種回数や頻度の問題も長い治験は無く、実はまだよくわかっていません。
専門家が読み取る1回~複数回の治験データからも、1回接種でかなりの効果があるのと免疫の低下の時間がそれほど短くは無いのではないかと言われています。
1回より2回のが良いのと、毎年2回受けるのが良いのは良いでしょうが、費用対効果やリスクを考えると1回でもかなりの効果はあります。
効果を言い出すとインフルエンザの予防接種等は年により大外れに近いものが多いです。それでもインフルエンザに感染した時、「重症化を避ける。記憶免疫を強くしている」と言われています。
記憶免疫、そこまで言うならコロナのワクチン1回でかなりの効果が残るはずです。
ワクチンを作る薬品メーカーや医療行政は、感染後の特効薬よりも毎年複数回の接種を勧めるデータの提供に拘ります。彼らは、使命感もありますがビジネスでもあります。
今いきなり日本はワクチン不足と言いだされましたが、これも1回接種を先に進めていれば局面は変わっていたかもしれません。7月中ぐらいには成人人口の半分、希望者のほとんどにワクチン接種ができることになっていました。元々感染の少ない日本で、これで収まれば一気にワクチンは1回で十分とも言われだしかねない対応なので、結構慌てて2回接種をメーカーは強要しました。少し胡散臭い感じのするところです。

また緊急事態宣言出した東京、日本はまだ企業も個人、国家財政もまだ立て直しがきかない状況です。オリンピックの無観客も痛手。これからコロナ関連で税や保険料の引き上げの痛いところであり、財政もますます厳しいところです。
日本の消費が止まり、日本への輸出が減っても二大国はびくともしません。逆に貿易相手としての格が下がり、インセンティブ等の条件が悪くなる一方です。
アメリカ、中国との経済力の差は広がるばかりです。
既に食糧の輸入等どんどん足元見られています。有利な先物での買い付けが、消費低迷でできないと国内調達のできない日本は致命的です。
そして日本は今少子高齢で、国内の産業、輸出できるようなモノがどんどんなくなっています。
コロナの国内世論も大事で、命も大事ですが、本腰を入れて経済の復興をしていかないと、日本のプレゼンスは決定的に下がります。
テレワークと些末なことにとらわれず、【経済復興】日本のビジネス、教育これから必死に頑張らないと日本は中等から下のマイナーな老人国に落ちていきます。
若者たちを中心にもう一度【坂の上の雲】を必死に追いかけるよう、教育もしっかりしないといけないでしょう。

無観客でも競技、発表の場は意味がある

オリンピックの無観客開催が検討されています。
チケットプレゼント等やってたスポンサーはどうするのか心配です。それはさておきオリンピックや有名アーティストのライブ、メジャーなイベントとは比べるレベルではない身近な家族的行事の話です。
子供のピアノ発表会。先生単位ごとでいくつか集まって小さな会場を借りたせいぜい100人までのイベントです。
昨年来コロナの影響で中止でしたが、今年は無観客で開催するそうです。
やはり小さな音楽家といえど、発表会という正式の場を設けるのと、練習だけとでは違うようです。練習試合や模擬試験と本番が違うのと同じ理屈でしょうか。
大学時代小演劇をやっていました。観劇としては何千人の大劇場も見てますが、緊張のレベルは百倍になるとかはないでしょう。人前、オンライン等でも本番となると緊張するはずです。
無観客の競技や芸術のイベントには意味はあります。

花火大会も変革か、夏は花火 今年もリアルでは見れないかな

花火イベントは、普段は集まらないところに大観衆が集まりますので「密」になりやすいです。
明石の大事故もありました。私自身、花火の帰りはかなり不快なほどの密での帰路を経験しています。
コロナは関係なくとも、花火の観賞の仕方は今後変わってくるかもしれません。
コロナ以後、祭りも似た面があり、劇場やスポーツ施設に比べ、特に大規模で人気のあるものは、やはりイレギュラーな密になり、管理も難しいため中止になっているケースが多いです。
ただ、囃子等の楽器演奏や、鉾や神輿、山車等ある程度やっておかないと、伝承が途絶えてしまいます。1年以上、外に出さないとカビ等で劣化する問題もあります。
花火の一過性の技なども、やはり空に上げてその美しさを確かめ、競い合うことでしのぎを削っていかないと技量は進歩しません。
無観客で、告知や予告なしの花火大会も、復興やコロナ封じを願って行われます。
花火や祭りは町衆のものなので、高い料金の払える金持ちの有料観客だけというのもやや問題です。何か、「密」にならず見れる良い方法はないでしょうか。
人々はみんな、花火も祭りも大好きなのですから、考えましょう。

ワクチンが足りないのか?     #コロナ#ワクチン

批判的には言いたくはないのですが、65歳未満のワクチン接種が予想通りの混乱です。
大規模接種準備した、自治体、企業、医療関係者は呆れるほど困惑していますし、大臣からは申し訳ないという感じも一切ないのいかがなものかとは思いますね。
ロジスティクスとかマーケティングのアタマのいい人が回りに必要だったのではと思いますが?
京都府だと、もう小学生まで打ち出す小さな町と、基礎疾患があっても予約もできない京都市に別れます。
もっと深い隠蔽があるのかなとも勘繰りたくなります。
アストラゼネカは、台湾や島嶼国に回すしかないというファイザーやモデルナに比べて血栓の問題で安全性が低いのも大変なロスだと思われます。個人的にはこの問題は正直に語ってもらった方が誠実さが伝わります。

供給量は3分の1になり在庫での対応を強いるとの発言もありました。供給数からすると正論でも後手に回ると在庫把握はなかなか大変な問題で、接種希望の確認も含めたら「余ってます」とはどこも言わないでしょう。前世代への2回の接種が終わった自治体はさすがにないのでそういう面では永遠に余っているとはなかなか言わないのです。
ところが確かにどこかには余ってるのも確かです。
こういうのは、現場の希望とホンネを引き出し、縦横の組織それぞれの違いの調整をしていく非常に難しい判断とテクニックのいるところです。
メーカー時代に新商品やヒット商品、限定品のロジスティックをエリア軸、取引企業軸、時系列でギリギリで回した経験から言うと失礼ながら、これを初めてでやると絶対にうまくいかないね。

成人人口の5割、5000万人に2回打つとしたら、1億の供給で足りると思われると大変な誤算です。1億回分ではなく、最低2割増しか下手すると倍近くのワクチン準備がないと、必要な所にはたぶん行き渡らないと考えられます。
賞味期限切れた頃にナントカマスクみたいにワクチンが沢山出てくるのがオチのような予想がつきます。

元々あんなバラバラに自治体任せ、職場任せでワクチンを配って、接種も自治体、大規模、職場に委ね、あとになって上から管理するのは難易度大です。。
たださえ最初の入り口からボタンが掛け違っており、いくら自治体に政府が言っても後の祭りです。今の内閣閣僚では難しいところです。よほど誰かしっかりリーダーシップもってサポートできる人を見つけないといけないです。

出遅れた、職場と自治体の方、もうしばらく気長にお待ちくださいとしかいいようがない事態です。

日本最大の企業の栄光と崩壊 【カネボウ18】#カネボウ破綻 #カネボウ高砂工場跡

白砂に寄せる小波や  若き想いの高砂に

希望の星を見つめつつ  明日の技術を究むなり

ああ、若き我等の  鐘紡技術学校

日本最大の民間企業だった鐘紡(カネボウ)は全国に工場を持ち、街の中心の産業となって雇用を支え、雇用を生み、鉄道を誘致したり地名にもなっていたりします。
兵庫県中部の瀬戸内寄りの街にある高砂工場は私が入社する5年前の昭和52年に閉鎖されているので、名のみ知るだけです。
昭和11年に人絹工場として建設され、戦後は鐘ヶ淵化学(カネカ)と分離されて縮小し、技術学校等が残っていたようです。ここには当時ファッションや化粧品の経営や営業のノウハウを学ばせるための幹部教育の施設もあったようです。
私が入社した時は、横浜に研修センター、小田原工場に幹部教育のマネジメントスクール、神戸須磨に関西教育センターという体制になっていました。幹部や管理職の経歴の中に高砂セールスマンスクールという文言があり、マネジメントスクールをセールスマンスクールと言い間違える方が多かったので私の入社前の5年に教育の体系も施設も変わったのだと思います。
鉄道廃線跡をたどると、高砂という街の湾岸部が全て工場となり、名だたる企業が引き込み線を持って輸送をしていたのが分かります。播磨臨海工業地帯の一角です。
高砂という名前からは白砂青松の海岸がイメージされますが、この市の全ての海岸が埋め立てられ、工場に占められています。

ここから巣立った幹部は多くのカネボウの拠点で中枢を担ったのでしょうが、残念ながら粉飾まみれとなった企業を支え切るまでには至らなかったようです。

私が入社した時、最新の研修体制の施設も、今は残っていません。
神戸の須磨センターは阪神大震災で倒壊後再建されませんでした。
最新鋭の建物だった横浜の山の手にあった研修センターも早い段階で土地は売却、東日本大震災の避難には使われましたが、その後完全に閉鎖され廃墟になっています。
小田原工場内は花王主導での化粧品研究施設として解体、リニュアルされています。
高砂、須磨、横浜、小田原どの施設からも海は見えましたが、希望の星は見えたのでしょうか。当時の全ての若き社員を呑み込んで運命は激しい波に揉まれていったのでしょう。

吉田 登さんはじめ何人かの鐘紡、高砂市関係、廃線ブログ引用、参照させていただきました。

結婚 過ぎ行く時

梅雨の末期はやはり豪雨が来ます。ご自愛ください。

文字通り私は還暦過ぎて熟年夫婦です。夏は仕事から帰ると汗かきなので食事の前にお風呂が先に沸いていて、冷たいお茶がコップ1杯冷蔵庫に入っています。
暑い中、キッチンで火を使って毎日料理してくれている妻に感謝するしかないです。掃除、洗濯も私は苦手ですから、本当に申し分ないです。
恋愛とか新婚の時のときめきはもうテレビドラマでしか味わうことはないです。結婚は甘い時期を過ぎると、平凡な現実に飽きることなく耐える長い時間と言われます。
単身で別居の長い夫婦、いつまでも仲睦まじく外食、お出かけをアップされるペア、外からはどこまで仲が良いのか分かりません。もちろん独身の方々には、それも羨ましいと思うか、煩わしいと思うか分かりません。
過ぎ行く時間を、いろいろな思いが流れ、今を生きることにも何かと気忙しいものですが、ゆったりと楽しんでいきたいものです。

戦後高度経済成長期はもっと格差があった

子供は純粋であったり、鈍感だったり残酷だったりします。昭和40年代に小学生だった私たちの学校、生徒たちの格差はある意味今より今より大きかったです。
給食や肝油で栄養を補い、その給食費の支払いもぎりぎりの家庭もありました。
高度成長期で、働けば働くだけ儲かりだした時代ですが、まだまだ戦後の厳しい中で苦しい生活の家庭もあったのです。
私は鈍感な方なので、他人がお金持ちか貧乏かというはあまりわからなくて、誰とでも遊びました。
少し大きくなるにつれ、あそこの家は✕✕だなどという情報が入ってきます。公立の小学校ですから、町内によってはいろいろな難しい地域や家もありました。今考えると昭和は個人情報保護も人権擁護もユルユルでした。
空地もなく、公園も狭いので駐車場などで遊んで怒られました。
洒落たお金持ちの家でもそんなにうらやましいとは思いませんでした。大手商社にお勤めの親の家でしたが、まあ狭いながら自分の部屋のある自分の家が誇りでした。
世の中にはお金持ちと庶民がいると本当の意味で実感するのは、大人になりずっと後でした。昭和40年というともう半世紀前、その20年前が終戦、焼け野原の時代からすると大きな格差があって当たり前。しかしやっかみ、妬みというマイナスの感情は格差が大きいから生まれるのではないのかもしれません。庶民から見れば一流の企業に勤めても、官僚になってもさらに上に高等な市民がいることに気付けば、嫉妬は生まれます。
気の持ちよう、心の在り方かもしれません。格差に妬み、自分の境遇を悩む時は誰でもあります。私もいくつかの場面で、居場所を失い悩んだ時があります。そんな時、子供の頃の無邪気さを思い出しましょう。
何かを得たら、次の何かを欲しがり、今の立場を守ることにも汲々とする。そんな時、何もなかった知らなった頃を思い出しましょう。



ワクチン徒然

つい一年前はマスクの供給で騒いでいましたが、今はワクチンの接種、予約や供給で相変わらず混乱、騒然としています。
オリンピックをめぐる議論も立場が変わればいろいろですが、ワクチンをめぐる議論はさらに複雑です。
どちらかというとアンチ政府の人は、ワクチンがコロナ対策の切り札と言いながら後手に回ったことを非難しています。裏を返せば早くワクチン接種をして安心を得たい人です。
このほかに、コロナワクチンそのものに懐疑的なグループがいます。
このグループは日本人の治験が不足しているという慎重派から、メッセンジャーDNAワクチンそのものを無理して身体に入れなくても良いというスタンスの方もいます。薬品メーカー陰謀説に近い論理もあります。
確かにワクチンには重症化を防ぐとか、発症をある程度防ぐという、国が進める目的であるメリット、ベネフィットと、これに相反するデメリットがあります。それはやはりアナフィラキシーショックや血栓等、副反応、最悪は死です。

いくらワクチンが引き金で死ぬ確率が低くてもゼロではありません。元々日本人が感染対策をちゃんとしておれば罹患する確率は低く、まして健康な基礎疾患のない人が重症化し、死に至る確率はかなり低いです。そうなるとワクチンをわざわざ打って血栓でもできて死ねば救いようがないとも言えます。
確率が低いとはいえ、重大な副反応が起きる人にとっては生きるか死ぬか1:1です。コロナそのものも、また確率は低いですが重症になってしまえば生きるか死ぬかあの時ワクチンを打っておけばということにもなります。

この判断が一般の人に委ねらると大変難しいです。
アンチワクチン派は専門家は薬品メーカーから研究費等お金をもらっているとか、大金で抑えたゼネガのワクチンが危険なので他国に譲った。結局ワクチンは危険、必要ないのではとディスります。そういう面もありますが、そこからもファクトを見つけないといけません。多くの国もワクチンによって爆発的感染は抑えているということと、重篤な副作用はほとんど現れていないというのもファクトです。
世界経済を大きく揺るがした新型コロナです。その裏にどれだけのものがあるか想像してもしょうがないです。
どっちに転んでも命まで取られる確率は低いと楽観するしかないでしょう。