今年は関西万博の年でした。万博を歴史も含めて書くと長くなりますので、主に鉄道に絡んだお話とします。
1970年吹田千里で開催された日本で初めての万博、当時私は小学生でした。
当時のメイン輸送は大阪地下鉄(現大阪メトロ)御堂筋線に直結した北大阪急行で、太陽の広場などメイン会場のすぐそば万国博中央口駅を結んでいました。御堂筋線は難波や梅田のターミナル、新幹線の新大阪にも接続していて、大量輸送に応えていました。
この北大阪急行は千里に向かう途中から分岐する専用の臨時の支線で、なんと会期中限りの営業でした。
32もの改札、券売機を備えた巨大駅がわすが1年足らずの設置だったのには驚きます。現在中国自動車道の施設になっています。
短い期間で線路や駅は所有が原則ですが、土地を買うわけにいかずこの期間だけ、北大阪急行が道路公団に頼み込んで貸してもらったそうです。国家プロジェクトの凄さを感じるエピソードです。
1970年の万博は目標をはるかに超える6400万人の動員は、今も破られない史上空前の記録で、日本中の人が大阪に来たような数字です。
会期終了がせまった9月5日の土曜日には835832人もの入場があり、迷子や尋ね人が2000人以上、閉門時間にも帰れない人が17万人も出て、北大阪急行は付けを超えても深夜輸送をしましたが、ビジネスホテルすらない当時に難波や梅田に送られても結局夜をそこで過ごす人が数万人いたそうです。
連合赤軍が太陽の塔の目の部分に立てこもる事件もあり、安保の年で中国との国交正常化はまだ2年後の時代。
それに比べますと、時代が違うとはいえ55年後の今回の万博はトラブルにしろ、スケールは小さいものです。猛暑で行列もでき、目標をクリアしたとはいえ入場者は2900万人で、1970年の半分以下、関西に住む還暦超え世代は懐かしくて何度も訪れている人もいましたが、全国的に見るとわざわざホテルまでとって大阪まで来る人は少なく関西ローカルのイベントに過ぎない感は否めません。
1970万博の20年後、大阪市鶴見緑地で国際花と緑の博覧会が開かれました。こちらも関西で開かれた博覧会協会公式の認定博覧会です。入場者は2300万人とテーマが絞られた認定博覧会では1985年つくばの科学博覧会の2000万人を上回る動員で、今回の関西万博に劣らない賑わいでした。
この時のアクセス鉄道は、大阪地下鉄の鶴見緑地線のいう新しい路線で、リニアメトロと呼ばれる新しい技術の地下鉄でした。従来の車両よりコンパクトで地下トンネル断面も小さく低コストで建設できました。当時の次世代技術で今も走り続け、全国の地下鉄線、私鉄線にも継承されています。
今回の関西万博では大阪メトロ中央線を夢洲まで延伸して400系という宇宙船をイメージした未来型の車両が導入されました。クロスシート、WifiやUSB電源、大型液晶モニターを備えた車内で、自動運転にも対応できる車両です。
桜島、舞洲方面からのバスは一部自動運転が導入されていました。博覧会の目玉に、空飛ぶ車や、ライオン型のパーソナルモビリティ「コルレオ」、住空間のようなキャビンごと移動する「アリスシステム」など未来の交通機関の展示もありました。
大阪の鉄道駅にはQRコード対応の改札口がほとんど設置できており、ペイペイなどで入場できます。メトロの駅には顔認証の改札もできており、自動改札ができた55年前から、確実に未来に来ているのです。
なぜか、博覧会開催は関西に多く、鉄道の新しいシステムも関西から生まれるのが多いのは少し嬉しいです。
いずれにせよ、これからの未来の発展を楽しみにしています。