昨日の天気予報や株予想

 マスコミは政府や著名人の広報だけではいけない。幾度か失敗を重ねても、それは繰り替えします。

 求められるのは今日これから明日の天気予報であって、昨日の天気予報を知らされても意味はないとは先人の言葉です。

大寒、それでも春に近づいている

 

 2023年1月20日大寒(だいかん)に入ります。大寒は、二十四節気の第24。次は立春となりますからまさに大ラス、季節のラスボスです。寒さが最も厳しくなるころ。「冷ゆることの至りて甚だしきときなれば也」と暦便覧に説明されています。二十四節気は季節を先取りしてやや実感とズレている場合もありますが、大寒は寒さのピークになる年が多く、今年も大寒の大寒波が来そうな予報も出ています。

 現在広まっている定気法では太陽黄経が300度のとき(黄道十二宮では宝瓶宮の原点に相当)で1月20日ごろ。
 西洋占星術は立春ではなく、春分がスタートです、1月20日ごろから宝瓶宮(ほうへいきゅう)みずがめ座の月に入ります。自由で活気のある寒さをものともしないような風のエレメントです。知性もあり、ひらめきをアクションの変えるような面もあり、是非この時期に取り込みたいパワーです。立冬を過ぎて、じわじわと春へ向かって力は蓄えられている時期です。

 実際に2月まで雪も多く、気温も低いですが寒くて顔も突っ張る朝でさえ、晴れるとふと感じる日差しは春の訪れを期待させます。

 日の出時刻はまだ7時過ぎでそんなに変わらずなのですが、日の入り時刻はだいぶ遅くなりました。地域差もありますが、冬至よりだいぶ前の12月20日ぐらいに4時45分ぐらいの日の入りが一番早く、年明け以降少しずつ遅くなっています。

 どんなに厳しい冬でも、やがて春は来ます。北国は本当に雪の被害が増えるシーズンですが、踏ん張って欲しいものです。

熟年結婚と離婚

 もう十年以上前の話で、不倫とかではなく、何となく通勤帰りでよく一緒になった大阪時代の既婚女性がいました。事務系の女性だったとしか、記憶がなく今はもう名前はおろか顔もうっすらしか思い出せません。

 ホンの数回、電車のつり革を掴み横に並んでお互いの仕事や家庭の愚痴を話しただけの仲の人でした。ただ気が付けば話が弾む、お互い既婚ながら、まあそこそこ好意は持っていたような雰囲気はありました。

 ある時、熟年離婚の話になりました。なぜそんな話が出たのかというと、たぶん仲間の誰かがそうなったからだと思います。その時、彼女がしゃべった話は、『それはもう離婚は誰でも考えたことがあると思う。お互い結婚生活にはマンネリし、幻滅し、失望していると思うけど、いざ離婚となると、お金も手続きも世間体も、ただ面倒臭いし、パワーもいるし、お金もいるからしない方がラクですよね』というような内容でした。『犯罪的な暴力や勝手に大きな借金したとかでもない限り離婚はないでしょうね。普通は』
 比較的、清楚で良妻賢母的なタイプに見えるその人から出た本音なので、頷き共感しながらも少し驚きました。

 最近の熟年の同年代の話を聞いてるとまさにそうです。しっかりした家同志で結びついた我々の年代の結婚だととくにそうです。お金持ちで良く働いた亭主がそうそう捨てられることも離婚を切り出すこともないでしょう。やはり遊びすぎで、金や他の女、暴力がちょっと度が過ぎると離婚に近い状況に行くケースを知っていますが、芸能界なみには高校、大学の友人や同期入社の同僚など一般には離婚をそれほど見かけませんでした。
 ただ芸能人なみの『美』の世界の化粧品会社の美容部員さんは、若気の至りで結婚してすぐわかれるという、違うパターンもありました。職場的な差別になるといけないですが、ある意味美しいということはそれで人生勝負かけてるわけで、素晴らしい反面、家庭的ではない人もおられ、またその美が年齢を重ねると微妙に変化するのが、芸能界と似ていました。美だけで相手を好きになり、末永く家庭を持とうとする夫もまたどこか幼稚で身勝手だったからです。

 結婚はある面、他人との共同生活で、根競べです。

 情熱的な恋愛と、プロポーズから、華やかな結婚式で誓ったはずです。しかし恋愛はいつか冷めるものです。病める時も健やかな時も相手の気持ちを考え、自分を少し我慢する忍耐を覚えないと長くは持ちません。

 ある日、件の女性、電車の中で、夫の仕事で島根に引っ越すから会社は辞めると突然話してくれました。またねと降りる駅で挨拶しようとした別れ際でした。『もう井上さんとおしゃべるすることはないですね。またどこかで会えたらいいですね』
 まだLINEとかが一般的っではない時代なので、通勤電車の彼女とは、本当にそれきりでした。熟年離婚の話を、もっと書こうと思ったのに、何かその人のことが急に思い出されて、今どうしているか島根のどこだか、名前すら思い出せないので、何だかもどかしいものです。一期一会がほんの数回で揺られる電車の中での会話で、幸せにしておられることを祈るだけです。

SNSストックホルム症候群 子育て支援の前の交際結婚の支援を                          #少子化対策#ストックホルム症候群

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 ストックホルム症候群とは精神医学用語のひとつとされ、『誘拐や監禁などによって拘束下にある被害者が、加害者と時間や場所を共有することによって、加害者に好意や共感、信頼や結束の感情まで抱くようになる現象のこと』とされています。

 スウェーデンの首都ストックホルムで際にあった銀行強盗の立てこもり事件で、極限的な状況の中に沸き起こった感情がその名前の由来だそうです。

 かつて、女好きの同僚がストイックな環境での研修で、『まるでストックホルム症候群みたいに同僚の女の子を好きになりそうです』とか、漏らしていました。まあ彼の性癖はさておき、男女の愛の生まれ方はさまざまな状況が関係しています。

 修学旅行や合宿、グループの旅行など、日常と違った環境で、限定された男女がやがて恋人になっていくこともよくあります。監禁ではありませんが、ある意味特別な状況になるときです

 世の中を広く見渡せば、自分の理想に近い異性はもっとたくさんいるはずなのに、狭いクラスや部活とか、社会に出ても職場の部署の中で恋愛は生まれます。
 日常的にも、例えば狭い職場と家の往復だけで、会えるのは営業独身男子と、内勤独身女子ひとりずつだと、開かれたストックホルムかもしれません。

 しかし、今の日本ではそこまで異性に欲望を抱き行動に出る人は減っています。

 昔は日本の結婚手段は親が決めたり、親が主導してお見合いというもので決めていました。結婚相談所などという組織もやがてでき、その後恋愛結婚が中心になりましたが、合コンや友達の紹介の時代を経て、今はマッチングアプリなどで交際を開始する時代になりました。

 ところがSNSで自由に異性を選べる極めて恋愛への道がラクになったはずの時代で、結婚しない男女が増えて、少子化につながっています。人口が減っていることもありますが、結婚したいのに相手がいないという人が男性だと3割以上いるそうです。
 子育て支援予算増とか、うんぬんよりもここを何とかしないと少子化対策になりません。
 SNSのアプリがあってマッチングや友達はできるはずでも結局は狭い自分のエリアにとどまってしまい、自らがストックホルム症候群の状況で広く開放された社会を見れない。その上、限られた自分の周りの異性すら見えない、インターネット時代の知識や技術が逆に弊害になっているのでしょうか。完全な孤独で監禁された状態ではないので、追いつめられないため、生存の欲求も子孫を作る欲望も代替され薄められているのです。

 半ば強引にお見合いさせたり、交際や結婚を奨励する強い政策も必要な時代なのかもしれません。

1995年、壮絶だった世相 #阪神淡路大震災28年

 戦後、平和で太平の世の中が続いたのかと思われがちな日本ですが、10年や20年のスパンで見ると、そんなことはありません。世紀末とか戦後最大の危機とか壮絶で苦しい世相の年は何度か来ています。それは、職業や住んでいる地域、年齢によっても違うかもしれません、
 大きな自然災害、景気の低迷、凶悪な事件、不幸な事故、怪しげな宗教の流行と被害、感染症や病気、健康被害の拡大等、周期的に日本を襲っています。

 阪神淡路大震災は、比較的大きな地震の心配をしていなかった関西の人にも衝撃でした。すでにバブル経済ははじけ、景気も低迷しだした関西経済に大打撃でした。東京では地下鉄サリン事件も市民を震撼させ、波乱の1年でした。

 まだスマホはおろか、ネットも普通の人には縁遠い時代でした。

 21世紀は本当にバラ色の未来として、来るのだろうかと多くの人が思いました。
東北でも、北海道でも、熊本、新潟、地震だけでも身内や友達が死んだり、自身も死ぬかと思った人も多かったでしょう。

 それでも21世紀は訪れ、令和の世が来ています。

 生きていることの幸運と意義、28年の歳月を噛みしめ、悲劇的な世相も繰り返すことを思い出さないといけません。

環境問題は後付けでもウソを正しく            #SDGs#花王ケミカル#PETボトル再利用

 花王という日用品の会社には化学でケミカル部門、クエーカーという鋳物の部門まであります。一度会計の研修で一緒になった方がいて、私もそっちの部門に興味を持ち、異動を願いでましたが、関連会社の化粧品採用で文系のため実現しないで定年を迎えました。

 SDGsの掛け声がますます大きくなる中、花王がアスファルト舗装にペットボトルの廃材を加え、耐久性を3倍にするという開発を行ったことが正月の記事に載っていました。

 シェアは不明で、企業のプレス発表なので多少は盛ってあるとは思いますが、PETの廃材利用はとてもいい話です。
 せっかく分別しても大半利用できずに、外国にゴミとして廃棄依頼する自治体が多いという話です。環境問題はウソがまかり通る利権が多いとして武田邦彦さんあたりがよく著作などに書かれ、ある意味真実でしょう。環境問題は、悪役が決まり達成目標が決まってから、リサイクルやリユースなどが無理やり決められるようなところがあります。実際にリサイクルしますといって分別回収して、使えないで燃やすなら詐欺のようなもので、批判される通りです。

 大なり小なりタテマエの分別やSDGsの掛け声だけということはあったでしょう。実際にPETの再利用は駐車場の赤いコーンとかやたら思い防寒ジャケットぐらいしか見かけなかったのです。
 大量に毎日捨てられるペットボトルが見えないアスファルト塗装の中に改質剤として加えられ、耐久性を増しているなら素晴らしい事業です。

 遅ればせ後付けでも、SDGsは今や天下御免の金看板ですから、大きな宣伝にもなり、採算が取れシェアを拡大できれば面白い事業になりそうに思います。ペットボトルは日本人の嗜好にもよく合い、ガラス瓶を今さら洗って再利用して商品化するよりは安くつくでしょう。こういうアイデアの積み重ねが、環境問題の切り札になるでしょう。

各駅停車の人生でも良い

 昨日は、朝京都の自宅から大阪の日本橋、夕方に滋賀県へとややタイトな行程でした。往路は最寄の路面電車のような嵐電から阪急の準急(ほぼ各停)で日本橋まで大阪地下鉄堺筋線直通なので一度の乗り換えで乗り通しました。少し後発の特急に乗れば途中の茨木市で準急に追いつく案内も出ていましたが、そこまでほぼ各駅停車でもさほど変わらすゆったり行けました。

 青春18きっぷや、乗り放題の企画切符でついついタイトなスケジュールを組んでしまいます。快速から快速、ワープして新幹線などとすると、沢山進めるようで、駅間乗り継ぎでダッシュしたり、立って移動とハードにもなります。ゆっくりと普通電車で各駅停車の旅にも特急や新幹線にない醍醐味があります。

 特急や快速が通過する一駅一駅にできた背景があり、通学で利用する生徒や、高齢者、トイレがあり、改札があります。駅前があり、住宅やお店(営業しているかしていてないは別)があります。

 野村正樹さんという、サントリーの広告部におられビジネスや旅の著作を多数出されている著述家の2004年にだされた『嫌なことがあったら鉄道に乗ろう』という本があります。なかなか、人生の指南的部分もありビジネスマン時代から心のよりどころとしていました。

 世代交代、その引き渡す方の年齢になり、またその頃になって同年代や若い人、市井や公務員、いろんな人と会い、なるほどと再び感じることもありました。それぞれの人生は、鉄道車両や駅と一緒で新幹線もあり特急もあれば、快速や鈍行の普通も、路面電車や地下鉄もあります。

 人生のある時期は最速に駆け抜ける新幹線であっても、最高速度の世界記録を何年も続ける車両はありません。その時最新の車両でさえ5年も10年もしたら、最速の主力花形『のぞみ』などからは外され、二番手以下に格下げされ、やがて引退へ、速く多く長い距離を走った分リタイアも早いのです。

 在来線も特急や新快速車両は花形でもスポットを浴びる時期は短く、やがて普通や別の地方路線に転属もされます。鉄道車両は製造にお金もかかります。メンテナンスが良く、省エネで操作のしやすい車両は、保守点検や改造をしながら30年以上も地方の非電化区間やローカル私鉄で頑張っているものもいます。

 マイペースに、のびのびと、時に頑固なほどに淡々と毎日一つずつ駅を回っています。それを何十年とくりかえして、老いを迎える鉄道も車両もあります。

 鉄道の駅も、かつては町の中心や乗り換えの拠点、ジャンクションや大ターミナルだったものが何らかの事情で寂れて哀愁ただようローカル駅になっているところもあります。

 社会においても、花形とチヤホヤされる人もいれば、サポートに回りずっと影で支える仕事、外で汗水たらす仕事もあります。そして、どんなにエリートや花形だった人もいつか次世代に後を託す時は来るのです。長く走った、速く走った、地道に走った、多くのビジネスマンを乗せたか、ガラガラでも地元の高校生や高齢者に貢献した。それぞれの価値には優劣、何の違いもありません。

 引退する車両や廃止される路線、私のような廃線を巡るマニアも含め、そういうところに異様に人が集まるのはそういった惜別や哀愁の感情からでしょうか。

 もちろん、クルマや飛行機、夜行バスなども今は移動の手段で、路面電車や各駅停車の電車で揺られてなんてイヤ、グリーンやファーストクラスでないとという方もいます。好き好きでもあるでしょう。しかし、まあ知ってる路線でも知らない路線でも、一度ゆっくりと車窓を眺めながらの鉄道旅は非日常で心を癒します。

インフルエンサーのゴマカシ、ネットの危険さ

 テレビが出回る前、昔はラジオ、AM放送が報道や情報の迅速なソースであり、音楽やスポーツ、芸能などの娯楽も全てそこからでした。今もAM放送はありますし、いい番組も継続していますが、細々とと言う感じです。とんでもなく、年齢の高いリスナーがハガキやSNSでやり取りされています。ラジオが若者から蔑まれているように(「ラジオ聞くのが趣味?おじんかよwww」)うち「テレビを見る」ということが、時代遅れな、何か恥ずかしいことのように思われる時代が来るかもしれないです。
 近い将来、テレビも今のAM放送のようなポジションになるのでしょう。ネットやスマホの普及によって、テレビを手放す人も増えてきました。みんな次第にテレビを見なくなり、テレビ番組の広告収入も減少に転じて、ネット広告に金額でも少なくなりました。

 とはいえ、今の日本ではまだ、テレビのワイドショーなどの影響力もあり、ネットとテレビを併用したメディア戦略の時代と言えます。

 ある程度自由の発言できるネットの配信、SNSには、政府やスポンサーの圧力もなく、真実があると言う説もあります。それにも一面はありますが、ネットの情報は玉石混淆ですから、厄介なところです。リテラシィがかなり必要です。

 デジタル担当大臣の河野太郎も、あのメールすら返せない老人だらけの政治家の中では多少のIT脳はありますが、イヤな意見の人はブロックする度量の無さ、変節の人格です。
 そしてワクチン担当大臣時代の自らを「ワクチンの運び屋」として責任逃れして、ネットで騒ぐワクチン反対派の言動を全てデマと決めつけるなど、ネット時代にはかえってそぐわない大臣です。
 真実を告げても、ネットなんてデマばかりと埋もれてしまうのも、ネット情報の難しさです。
 確かに、たとえばワクチン反対派の中には、反政府的な人のもいます。しかし共産党など野党系は元々ワクチンの遅れを非難していたほどで、ワクチンの被害、副作用を前から声高に訴える現場医師は決して左翼ではありません。
 
 テレビが政治のプロバガンダに使われ害が多かったと言われますが、ネットは無害だろうかというと「反体制派の全くのデマもあれば、体制派のプロバガンダもあります。テレビが持っていたリスク(「国民を洗脳する」)と同じ要素は当然あるでしょう。

 
 ネット上にはインフルエンサーと呼ばれる人たちがいます。(私なんぞはそこまで影響はないのでそういう存在には遠いです)ネットなどで影響力の強い人です。
 仮に政府や大手企業がインフルエンサーに接触し、巨額の報酬と引き換えに大衆先導の役割を依頼したとすれば怖い話です。
 私が大手メーカーに在職したまだ動画サイトのそれほど普及してない時代から、もうお金のかかって効果の知れているTⅤスポットより、誰か有名な影響のあるブロガーとかにお金を出して呟かせたらと言われてました。その頃から、今はお金の相場も費用対効果分析も進んでいるでしょう。
 昨年大ヒットして、今も品薄な「ヤクルト100」のマツコ・デラックスとの連携は典型的な例です。
 薬品でもないヤクルトに睡眠の改善までの効果があるのかと思うと疑問もありますが、あそこまで洗脳できると、もうメーカーとしては大成功です。乳酸菌飲料程度で目くじらは立てませんが、正直他のモノは値上げ値上げと文句は言う人がどうでもいい買い物で品薄というのは笑止ですね。

 やはり悪質なのは生命にかかわることや、生活に直結するところ、大きなお金が動くところです。原発や、防衛費、ワクチンに関してはかなりお金が動いて、政府も多くの大物インフルエンサーを抑えて不自然な発言になるほど囲い込んでいます。

 大物が変節したり、滑稽なほどヨイショする時は大きなお金、毒まんじゅうを食っているのに間違いはありません。

 普段の立ち位置や、言動のタイミングなどで、ウラで大きなお金来たなというのは想像がつきます。

 原発、防衛、経済、コロナ、ワクチンそれぞれ立ち位置を確認すると普段と向きが少し違うのが忖度や買収が成立したところです。それ以外のところの発言はぶれずにキレ味鋭いインフルエンサーも危ないスポークスマンです。
 生活保護の人に「ワクチン打ちましたか?」って聞くと、「いえ、危険そうなので打ってないです」と言う人が統計的にも多いそうです。
 逆に、セレブというか、億単位の年収を稼ぐような超有名インフルエンサーが、ワクチンに飛びついて喧伝しています。生活保護の人とは比較にならないほど多くの情報を持っているはずです。自分には知恵があり論説できる力があるからとか、実際にはもっと裏に汚い手段で情報の拡散策がいろいろあるのでしょう。
 生きるための直観という面でいうと、誰もが知るインフルエンサーよりも底辺の人の呟きが優れているわけです。
 過去に逮捕やスキャンダルがあり、小気味よい意見をズバズバ言って論破している人も、反体制的な立場だからと思って、何もかも共感してはすっかり騙されます。彼らは商売人ですし、ビジネスとして国の要請に逆らいません。
 まことしやかにつぶやかされる嘘や大げさな表現に騙されてはいけないのです。

新春スポーツ雑感 #W杯サッカー#高校サッカー#大学ラグビー#駅伝#WBC

 値上げとか増税や戦争の話が多いので、せめて爽やかになるかどうかは別にして、スポーツの話にしましょう。昨年は12月にかけてサッカーW杯があって、日本代表も活躍して大いに盛り上がりました。
 ただ、年配の方のスポーツ紙の見方などを観察していると、やはり年配の方は野球なのかなと思います。森保ジャパンが試合のない日にさえ1面だった頃は、巨人や(関西だと)阪神が1面に来ないので、ご老人が何人か寂しそうというか所在なさげでした。

 サッカーファンとしては、代表が注目されたので嬉しい面もありますが、Jリーグで活躍している選手がほとんどいなかったのは、これからJの人気につながるかは、ちょっと難しい面もあります。Jリーグの黎明期は、全員ほぼ国内組だし、その後も半分ぐらいに増えだした頃までは、代表がW杯で注目されると、その後あの選手を見にいくという感じでJリーグが注目されたものです。今は、サッカーそのものの地元やひいきを応援するか、将来ビッグクラブやW杯に行く有望株を見に行くという、ややコアな見方になります。
 高校サッカーもW杯ばりにPK戦も多くあり、戦術も優れていてなかなか楽しめました。

 個人的には、ラグビーは大学はおろか、高校も何だかあまり面白く見れません。底上げとか将来を期待するのは、サッカーと同じなのですし、W杯も盛り上がるのでしょうが、何だかそことつながりません。体格差というのか、実力差が大きすぎるのが興ざめの大きな要因です。
 大学で優勝した帝京大は、今や大学レベルで伝統の早明や関西の上位校も寄せ付けない強さです。帝京大に50点以上差をつけて負けた選手権出場大学が、1回戦ではさらに地方の大学に大勝しています。その地方の大学も地方リーグでは優勝しているわけで最下位の大学には圧倒的な差をつけているでしょう、さらに、その下に下部リーグがあるようです。そして大学の頂点、帝京大でもトップリーグでは歯が立たない。その日本のトップチームもNZ当りとは大きな差なのです。
 サッカーや後述する野球には連戦のコンデションなどにより番狂わせがあります。ラグビーは拮抗するレベルなら、スコアの動きも試合も面白いですが、実力差のある弱者が勝ち切る戦略がないこともあり、大差がついて興ざめしていしまう試合が多いのが難しいところです。
 野球でも、応援に行ったひいきのチームが、大差でいいとこなくボロ負けはあり、ラグビー並みの大差と揶揄されます。しかも野球は次は勝ったり負けたりしますが、ラグビーのシーズンでの序列は変わらないです。
 それとお金がらみもですが、国内のトップリーグチームもそう人気はなく、かといって世界に金満なメジャーやプレミアがある訳でもなく。ラグビーでプロになって大金という道は狭く若い人も大学あたりで「もういいか」になってしまうのかもしれません。
 これは未だに、大学が人気の頂点になってします駅伝にも言えます。正月の2日、3日に行われる箱根駅伝は物凄い視聴率ですが、そこから巣立った学生を受け入れる実業団の元旦の駅伝はそこまで人気がありません。マラソンこそ五輪で注目されますが、駅伝はそもそも世界的には存在しません。ここらあたりが、視聴率的にはキラーコンテンツながら、学生の多くがここで半分燃え尽きている原因かもしれません。人気がないと、お金が回っていかない悪循環です。

 野球は、その点はお金は潤沢すぎ汚くなるほど回っています。(そこは今回は書かないでおきましょう)大学こそ今は人気はないですが、高校野球があり、伝統と地元に定着したNPBがあって、そのはるか上に夢のような高年俸を貰えるMLBがあります。サッカーに比べ1強でシンプルな構造です。バスケ、アメフト、アイスホッケーも米国では人気でお金も稼げますが、やはり今だと大谷をはじめ多くの日本人メジャーリーガーが活躍している野球の構造は日本のアスリートにとって、サッカーと並んで憧れでしょう。
 サッカーファンは「野球なんか世界的にやってる国が少ない!WBCなんて、サッカーのW杯とは比べ物にならない」と言い野球ファンとよく争いにもなります。それは、まあ意味のない議論です。
 それぞれ、楽しめば良いのです。日本のNPBはMLBに次ぐリーグですが、アメリカとドミニカあたりはMLB現役のスター選手が多く、日本も優勝となるとそう簡単ではありません。五輪とはがらりと変わり準決勝あたりからは、勝敗はクロスしたゲームが増えそうで面白いとは思います。

 ただ予選リーグはまだ、無理やり寄せ集めたような国もあり、課題はありそうです。本当に野球人気があり力のあるのは数ヵ国です。
 ここは別に意地をはらず、上位国だけの大会でいいと思います。
一発勝負を排し、強豪国同志が2~3試合ずつ戦った方が、チーム力の優劣が分かるので、盛り上がる気がします。
 現状では予選リーグはまだ、無理やり寄せ集めたような国もあり、課題はありそうです。
WBCの強豪国はだいぶメンバーもMLBが入り面白そうですが、それだけに一発勝負のトーナメントは実力世界一といくかどうか。シーズン前なので、投手をはじめケガや疲労への配慮が難しいところです。エキジビション的な色合いでいいのではと思います。真剣勝負でないとと日本では何かといわれますが、オールスターだってさまざまな制約や配慮の中、セパは勝利を追求して真剣に勝負しています。
 例えばクローザーにしろ、キャッチャーにしろ一人に決めるのではなく、2~3人で回す方が良い気がします。好不調や相性も見極めながらですが、東京五輪の広島栗林のように一人に決めてしまい、連投でその後のシーズンをもし棒に振ることとかはあってはいけないです。大谷や、佐々木、山本にしろ万が一にもシーズンを大きく出遅れたり、長期欠場ではチームのファンも困ります。
 それと戦術面で、同一リーグのキャッチャーにピッチャーが全ての球種のクセを知らせるのは不公平でもあり、プロなら全部は委ねないでしょう。そこにも無理があります。かなり配慮が要ります。

 そこらあたりを、気取られないぐらいの層の厚さで、面白い野球を見せてくれればと代表いは期待はしています。
 大谷や村上、メジャーの野球を見ていると日本の野球もこれから大きく変わるかもしれないと期待はします。
 個人的には高校野球はいわゆる犠牲バントなども禁止にして、全員が大谷や村上、柳田、山川を目指せせるようにすればいいと思います。勝つための確率論でもなく、精神論の指導や教育のためになってしまっています。それがために野球が楽しくなくなることは、競技人口が減るこれからの世代の野球の大きな課題です。
 古い価値観での戦術に拘り、強行策でダブルプレイなどすると「あそこはバンドだ!監督は野球を知らない」と居酒屋でぼやく老人は日本中にいますが、それはボヤキは自由としても日本の野球もいつまでも「犠牲」や「スモール」ではいけません。大谷、村上あたりの世代が指導者になって大きく変わるところもみたいです。

人生100年?80代後半、お金と生命 

 最新の厚労省による平均寿命は、男性が81.47年、女性が87.57年とされています。

 私の父、母はほぼこの平均通りの範囲の年齢で他界しました。妻の両親は二人とも存命ですが、そろそろ80代後半という年齢にさしかかり、心身の衰えは顕著です。

 義父は銀行の定年後中高年登山、義母もスイミングに書道などをやって、高齢になっても旅も好きでした。しかし、ここへ来てコロナ禍、足腰をはじめ胃がんなども患い、さすがに出歩くこともなくなり、介護を受けています。65歳くらいからの、前期の比較的活発な充実した高齢から、心身の不自由と戦う後期高齢に入った感じです。

 私の父母は商店をやっていた自営業なので、ジジババストアでも定年なく細々と商売はして高齢でも働いていました。

 ある程度平均的な身体の寿命の中で、2つの典型的パターンの老夫婦と言えます。
 やはり年金額、や老後の備え面ではサラリーマンは強制的な厚生年金加入と企業負担分があり強いです。
 自営業は、同族会社社長も含め経済面だけでも60歳で定年引退はないでしょう。食っていくのに働き続けるのが多くの人の選択肢でした。
 それは徐々に体力は衰えはしますが、遣り甲斐もあり大きなリズムの変化もなく老いを迎えられます。
 逆にずっと、働いていた方は定年で仕事という使命を喪失して、生活リズムが変わり生き甲斐を失ったり、現役並みの浪費はできず、切り詰めないといけない生活を強いられたりということもあります。私の元会社の先輩たちの中にも、モーレツに働いた現役時代の反動で、年金を貰う前後でぽっくりとかあっさり亡くなってしまった方も多くおられます。

 ただ、義父の年代で長く厚生年金資格で定年を迎えていれば、退職金プラス年金でそれほど不自由ではない金額が貰え生活には困らないケースが多いです。退職金は企業にもよりますが、ここ20年くらいで激減しましたのでそれまでに定年を迎えていた人は、年金も早く多くもらえて所得代替率も高くラッキーです。
 義父でもそうですが、90代まで軍人恩給を貰い続けた伯父なども使い切れないぐらいの年金で優雅に暮らしていました。

 こういう経緯の話だと、ここ数年くらいから厚生年金を貰いだした人、今から貰う人は単純に厳しいです。退職金も1000万円代ぐらいになり、ここの1000万円以上下がった部分と、厚生年金の所得代替率の低下がいわゆる定年後充実した生活を過ごすのに2000万円くらい足りないよという「2000万円問題」が騒がれた元凶です。

 一つ抑えとかないといけないのは、これは国民年金の人は、申し訳ないですが元々この計算とは関係なく、所得代替ほどの年金は貰えなかったので、蚊帳の外です。小泉内閣時代の「年金は100年安心」というのは、年金財政の話なので、一緒になって煽られて不平や不満を言っても意味はないのです。年金の財政、給付財源は少子高齢化で厳しいですが、マクロ経済スライドである程度保たれているというのが日本の年金は「100年安心」ということです。この100年安心にするために、徐々に年金給付を物価水準より減らしていったということです。60前でお金を儲けて、悠々引退するのも自由ですし、80まで年金で足りない分を働くこともできますし、生活保護を受けることもあり得ます。

 閑話休題。伯父や義父義母のような人だけが全てではありあせんが、やはり80代後半ともなると、さすがに出歩くとか買い物をする消費も減っていきます。病気にはなるでしょうが、大きな手術や先端医療までは行えないと思われますから、後期高齢からの支出額は、それほど不安要素ではないのではと思われます。やはり、お金が貯まっていることそのものより、健康で長生きできることが一番でしょう。介護や施設に入るのに大金が要るのも確かですが、だからと言ってそれでもう若さを取り戻すわけではなく、幸福が買い取れるとも言えません。高級ホームでも、孤独な一人暮らし、大部屋であろうと、孤独は孤独です。身体が衰え、誰かに世話されていくことに大きな違いはないでしょう。

 人間、不自由な赤ん坊として小さなベッドで泣きながら世の中に生まれ、老いてはやはり小さな方丈の、庵の塒で誰もが生涯を終えるのです。

 戦中派と言える世代が亡くなり、今の80代後半は、かすかに子供の頃の戦争を覚えていて、戦後の貧しい日本を知っておられます。その最後の世代でもあります。そういう面ではこの世代の御老人、高齢者の方は、リスペクトされ厚遇されても何ら不公平ではありません。
 今の厳しい世相の中、戦中戦後の苦しみ、歴史の体験者にはまだ語り継いでもらうことは多くあります。

 それらに続く今の世代もまた、劇的な戦争や貧困はなくとも、自分の経験を次の世代に上手く伝えるのが一つの生き甲斐として老いを楽しまないと思います。