古い木造住宅はやはり怖い  #ホーロー看板#町屋

 ホラーではありませんが、年末に近所の木造長屋で痛ましい火事があり、お住まいの御老人が亡くなりました。
 今住んでいるマンション、新築で購入し14年目で大規模修繕を行ったので、周りの家も14年が経過したことになります。マンションの前の並びの家は廃業されたタバコ屋さんはじめ、一戸建ての古い家が十数件並んでいました。

 ところが、何年かすると、1軒また1軒と古い家は建て直されてゆき、今ではアクリル板にこじゃれた表札、カメラのついた玄関ホン装備、おしゃれな門扉、外壁の新築が見事に並んでいます。おそらく、防犯や耐震、火事など防災も現在の法律や基準とトレンドでしっかりしているでしょう。

 地域にもよりますが、建て替えの難しい町屋や、古い辻子、長屋もまだ随所にあります。私はニッチな趣味として、古い住居表示のホーロー看板を探し歩く散歩をしています。先達のブログを参考に歩くのですが、京都市内でも10年~15年前の記事と比べると、どんどん消滅して、新築一戸建てやマンションやホテル、駐車場に様変わりしています。市内だと、条例でやや無理くり管理地になっていたりします。

 文化というのが、看板などで古い物を残すのが良いとばかりは言えません。あの火事を見ると、木造のやわな家を無理に残すのもどうかなと思います。
 近年の住宅や街は基本的に災害に強くなって来ています。これは日本の素晴らしいところだと思います。かなりの地震や、それなりの台風が来ても戦前や戦後すぐなどの頃のような二次被害も含めた大きな死傷者は出ていません。
 もちろん、その中で、木造の古い家、多くは高齢者が被害を受けています。

 そういった住居から、全て出て行ってもらって、安全な施設とはいかないでしょうが、今回見た火事では長屋でもあるうえ、周りの家屋にも類焼して相当の迷惑も掛かっています。想像ですが、火災保険などにきちっと入って賠償できそうな感じでもありません。
 仕事で、時々個別にご自宅に訪問する際がありますが、まあネット世界でもインスタなどで上には上があり格差は見えますが、リアルの住宅の格差は最高から最貧の格差がスゴイです。
 豪邸というのはもちろん随所にありますし、またべニアのような合板1枚に壊れた南京錠のようなアパートもあれば、異臭のする震度4か大風でも倒壊しそうな木造の古い家にも誰かが住んでいます。

 少し差別的な表現ととられたらすみません。

 街全体のリスク、インフラ整備などを考える時、このような格差を、税金ではなく何とか富める側からの貢献で埋めていく方法があるような気がします。
 よく富める人が、ますます富み潤い、贅沢をして税を払うから企業や社会、国全体は潤うからそのままの格差でいいのだという方がいます。実際に戦中戦後すぐとは貧富の差は相対的に縮まっているとの説もあります。
 しかし、何もかもを分配するのではありません。財を成し富める者は何かのきっかけで寄付など社会に貢献、奉仕する必然があります。街に住む、近隣の人を救うというのは、まさにそのきっかけでしょう。

 日本が、移民を大幅にうけいれないまま、推移するなら、多くの恵まれない日本人に安定した雇用や住居を施すことから始めないといけません。再チャレンジの機会と希望を与え、国や雇用者に感謝して熱心に働いてもらうことが必要なのです。

やはり元旦は一つの節目。新しい年を迎えられたことに感謝しつつ、今年の行動を誓います

 2023年も当ブログをよろしくお願いします。
 サービス業や夜警など年末年始お休みなしの方には本当に申し訳ありませんが、この時期の風情を観るのが好きです。特に仕事納めから、年末多くの方がさまざまな正月準備で、クルマや家の周りを洗い、商店街やスーパー、コンビニなどで買い物をされている姿が良いです。正月が来るのだなと感じさせます。

 もちろん昔から救世軍、日雇い労働者を救う姿など厳しい映像も目にはしてきました。
 手の込んだおせちを作る家もあれば、グルメなところから取り寄せる家もあるでしょう。近所のスーパーでは、簡素な一人や二人分のおせちも1000円強で売ってました。私でさえたまに贅沢でランチするときよりも、安いぐらいの値段のものを正月の楽しみとして、買い物かごに入れてる人いました。また家族も少なく、特別なことをしないという人もいるでしょう。施設や病院で、家族にも会えずに過ごす正月の方、せめてメニューが変わったこととテレビくらいで年越しを感じるのでしょうか。

 コンビニで、レトルト系を沢山レジに持っていかれるオバサンもいました。そのコンビニの前に置き捨てられているカップ酒の瓶、誰がどんな状況で思いで飲んでいたのだろうと想像してしまいます。大吟醸やクラフトビール、こじゃれたワインを楽しんでいる人にも、安いチューハイ、カップ酒に酔いしれていた人にもとりあえず平等に時間は流れ大晦日をは終わり、お正月2023年が来ました。
 やはり、暦とか占星術上でどうだとか言う前に、みんながこれだけ休み、特別にした空気を醸し出すと、必然的に新年、元旦というものは一つの節目になります。

 節目の前の時期、前年をどう過ごしたかを振り返り、何かを学び、悪い点は改め、良い部分はさらに継続し、進捗が鈍いところは加速させていく。新たな1年を少しでも良い年にしていくことでしょう。

 世相、社会の状況、政治も経済も国際情勢も、いろいろ語ればきりがないほど問題はありそうですが、そんな中でも、自分が健康で前を見て歩いていくことがまずは世界の中心です。自分は小さなコマだとしても、そのコマが回っていると世界のあらゆるものが自分を中心に回っているのです。惑わされず、芯のしっかりした行動をしていくことが、この難しい情勢を乗り切る鍵です。
 

迷いながら道を歩き続ける   #ここはどこ#山の辺の道#念仏寺#六地蔵

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 私は外を出歩くのが好きな性質なのでしょう。仕事でも休日でも、籠ってばかりでは飽きてきて、フラフラと歩いて何かを見つけてそれを活かすのが生き甲斐のようです。かといって、本格的なハイキングやトレッキングでもなく、ましてた登山、マラソンには遠いです。
 知る人ぞ知るニッチな趣味として、乗り鉄やそこから派生した廃線跡探訪、街歩きで古い町並みや寺社を訪ね、ホーロー看板を探索するなどをしています。歩くのが嫌いな人にとっては信じられない10キロほどの距離を探索しながら夢中になって日暮れまでいます。感心する人もおられますが、ただ何も無ければ苦行のように、そんなに歩いたり走ったりしません。そこはマラソン走る人には感心します。

 ホーロー看板の場合、撮影も含め不審に思われるのと、ウロチョロと急に周りの予測のつかない動きをしますので、そのうちクルマに轢かれないか我ながら心配です。
 どうしても、山や森に入って探索や散歩をするときがあり、道に迷って「ここはどこ」という感じになるときもあります。ふらっと出てきているから、捜索とかされたら家族も知らず大迷惑で、そこも避けたいです。しかし、まあ明確な道しるべがあっての散策ではないのでとくに田舎では心配です。

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 比叡山の廃線跡で、帰りの駅への道を間違え、鹿に出会うけものみちに迷い込み、このまま日暮れたらどうしようかと思いました。
 先日も奈良の天理から桜井への山の辺の道に、急に思い立っていったもので、トレッキングに近い山道へ、入ってしまい、だいたいは歩けましたが苦労しました。何回かここでいいのかと分かれ道に悩みました。観光案内にもあった念仏寺では、いつの間にか墓地を通る道に入ってしまい、最後には六地蔵に出会えましたが、妙な体験でした。

 こんな日に一人で「ここはどこ」と思うような、自然以外に何もない長閑な場所に居れるのは不安よりも安らぎが生まれます。

 人生の歩みもそんなものでしょうか、ずっと決まりきった道を歩む人もいるでしょうが、必ずどこかで分かれ道に出会います。もちろん日々のんきに休むむこともままならず目の前に示された厳しいがまっすぐの安定した道を行く人がいてこそ、社会は支えられるのでそこに大きな意義はあるでしょう。
 社会は誰かが、新しい道、違う道を歩き踏みしめ、誰かが今までの道を護り、それで成り立っているのです。

 年末年始で、帰省のニュースなどが出ると、反面で孤独の寂寥が増す人がいますが、人間はしょせん一人でいろんな道を歩いているのです。誰の道が正しいとか、楽とか間違いも模範解答もありません。
 ただ、歩いていると季節や年齢、天気、体調、時間でもそれぞれ全く違う新しい光景が見られ「ここはどこ」と思え、また別の場所へと歩むのです。

 

デレイ鑑賞完了 年末終了ドラマざっくり総まくりETC #大河ドラマ#鎌倉殿の13人#PICU#invert城塚翡翠倒叙集#エルピスー希望、あるいは災い

 今年も仕事納めが終わって、テレビやラジオもその少し前から年末体制に入り、レギュラーは「良いお年を‼」とお休みに入り、昨日あたりからは地上波は短縮されたニュース以外は、朝から総集編やイッキ見せ、ロング特番のオンパレード。要するに商店でいうと、シャッターを閉めて【〇日まで休みます】の張り紙を貼ってる状態です。

 テレビドラマを、みんなが同じように見る時代ではなく朝ドラや大河でさえ見てる人は語り合いたいが見てない人は何やそれなので、ドラマのレビューをブログでするのはあまりなかったのです。舞台や本、映画のレビューはしてましたが、よく考えるとそっちのがもっとマイナーなので、原作や映画、脚本家、役者がらみで楽しめた年末終了のドラマ中心に感想をまとめてみました。

 敬称略で、まず大河ですが、「鎌倉殿の13人」やはりここ数年の中でもバツグンに面白いし、さすが三谷幸喜です。細かい史実でごちゃごちゃ言う歴史家はいるでしょうが、この時代を興味深く掘り起こした功績と、群像劇としての面白さ、小栗旬の北条義時がブラック化する描き方など見事です。
 それぞれの役者さんも大河ならではのキラ星のごとくで贅沢使いでしたが、随所に三谷ファミリーがいい味を出していました。1年は長いし、生涯で時代が流れるので、昨日総集編を見ると前半にこんな人も出てたんだと思いだしてびっくりします。
 国際派女優の菊地凛子は、義時の3番目の妻で一番正確の悪い「のえ」を憎々しく演じて、同時期に吉沢亮主演の「PICU小児集中治療室」では、主人公らを助ける熱く正義感溢れる北海道知事をスカッと演じてカメレオンぶりを印象付けました。収録時期、クランクアップは不明ですが18日日曜日大河、19日月9と連夜の最終回を迎えました。PICUは北海道が舞台で、木村文乃さんが好きで何となく見始めましたがいい内容でした。吉沢亮安田顕となると2019年の朝ドラ広瀬すず主演の「なつぞら」を思い出します。「なつぞら」で主人公なつの恋人ながら、病で若くして無念の死を迎えた画家天陽くんが、北海道で蘇って小児科医で奮闘したような印象でした。吉沢亮の前年大河「青天を衝(つ)け」も頑張っていたのですが、正直面白いドラマではなかったので、PICUは吉沢亮らしさが全面で良かったです。
 なつぞらでなつの義姉裕美子を演じた福地桃子が泰時のしっかり女房役で、当時のしっかりした裕美子役を彷彿していました。
 大河では、脚本家の力量と、時代が古いほど創作や想像の範囲が広がる反面、最終的には大きな史実が変えられないジレンマがあり、そこらのバランスが鎌倉殿の13人が優れた部分でしょうか。
 「青天」でもうひとついうと、やはり吉沢亮の相手は広瀬すずが良かったのではとも思います。PICUでは木村文乃ちゃんがツンデレで吉沢亮と恋愛に向かうかと思いましたが、一切恋愛なし、ラスト前は重病の分かった大竹しのぶ演ずる母と吉沢亮とのほとんど二人だけで親子のやりとりの回が秀逸でした。
 大竹しのぶさん「鎌倉殿」にも巫女のおばあさん役で出ていました。「なつぞら」の後半でなつと結婚する中川大志もすっかり中堅のイケメン俳優として「鎌倉殿」で畠山重忠。瀬戸康史、坂口健太郎、と小栗旬からタイトルクレジットの前半の役者名は若手中堅イケメン大集合という感じで、高橋英樹とか緒形拳も直人も遠いそんな時代かと感服します。

 そんな中で今回の大河で一番のブレイクは北条時宗を演じた歌舞伎俳優坂東彌十郎でしょう。後鳥羽上皇の尾上松也ら歌舞伎枠でドラマ出演の多い昨今ですが、主役級では初登場で誠に渋いセコい人間味のあふれるオヤジを演じ、悪女宮沢りえのりくとも味のある夫婦でした。同時期終了の「クロサギ」にも前半のラスボスとして出ていて、これから頻々とオファーがありそうです。「クロサギ」はマンガ原作、平成版山下智久主演のリメイクですが、山Pドラマでさえもうかなり前なのかと、ここでも時代は新しいジャニーズ系しかも退所予定キンプリ平野紫耀、今年の朝ドラで賛否あった「ちむどんどん」黒島結菜井之脇海の料理店コンビが再共演してました。

 「クロサギ」にはシロサギ白崎役で山本耕史が出ています。メフィラス星人人間体もそのキャラのまま演じた山本は。新選組、真田丸の三谷大河に続き鎌倉殿で義時を支えほぼ出ずっぱりでラストを迎えた三浦義村役でした。10月の前の夏クールになりますが公取を描いた坂口健太郎主演の「競争の番人」で最初の敵役。この番組は大河の政子役の小池栄子もレギュラーで出ていて主演の坂口健太郎とともに3人が大河掛け持ち。4月時期の綾瀬はるかの主演ややマニアックなミステリドラマ化「元彼の遺言状」にも頼朝大泉洋と共演しています。義経約菅田将暉も1月期の「ミステリというなかれ」で主演していました。これも面白かったです。鎌倉殿で掛け持ちがなかったのは完全主役の小栗旬ぐらいだけみたいで、昔の大河では考えられないスケジュールの調整が難しい裏話は山のようにありそうです。

 鎌倉殿で後半の重要な役どころを演じた坂口健太郎、やや地味なイケメンキャラでしたが、昨年前期の朝ドラ「おかえりモネ」の菅沼先生で主演して、主演清原果耶の萌音と淡い雰囲気の相手役で「俺たちの菅沼」としてブレイクしました。 

 その清原果耶、NHK出演も「透明なゆりかご」「朝が来た」「なつぞら」その他数多く優等生的な感じの強い彼女が、ややあざとく怪しい霊媒探偵城塚翡翠を演じた「霊媒探偵城塚翡翠」とそれに連なる「invert城塚翡翠倒叙集」評価が難しいところです。これまたマニアックなミステリの映像化です。
 原作者とのトラブルもあったようです。ただ元々ある程度人気女優で映像化するような意図もあるようなキャラミス的な作品でありながら、倒叙や叙述トリックなど普通には映像化が難しい矛盾を抱えたホンでしたから、まあ作者のこだわりが強くそれなりにはよくできています。結局作者が脚本をほとんど書いたような裏話です。
 10時半というプライムですが、「朝が来た」でも共演した主演級の小芝風花、瀬戸康史(鎌倉殿で「トキューサ」こと北条時房を演じ蹴鞠などもこなした)を脇に使いながらも、視聴率はやや苦戦したようです。
 最終話はテレビ的に映像TRICKを加え、全話に伏線を張って作者みずからが原作と違うなかなかすごい結末を用意していました。しかし、翡翠と小芝風花演じる真ちゃんが悩みは抱えるも可愛くきゃぴきゃぴ過ぎて、多くの人はそこで深くミステリの細かい部分まで行かず、キャラミスに思えてしまうでしょう。あざというのが嫌いな人は避けてしまいそうです。倒叙ミステリということで刑事コロンボの系譜、三谷幸喜の『古畑任三郎』ばりに出演者がテレビ視聴者に謎解きと挨拶をするのも、知っている人にはニヤリですが、知らないとなんやこれになっているのかもです。
 平成の古畑と比べられない低視聴率は残念ではあります。それと、ネタバレになりますが、原作を変えて最後の話は城塚翡翠を真が変装を早々に犯人に見破られたことにして、目撃者役も翡翠のなりすましではなく翡翠に雇われた別の人物に設定にしたのです。ここはやはり無理しても最後まで真が翡翠に変装したままでもできたのではとも考えます。大どんでん返しで最初から小芝風花が城塚翡翠だったというのを推理していたファンもいました。小芝さんの贅沢なキャスティングがそれかなとも思わせました。

 「鎌倉殿の13人」でナレーターだったのが長澤まさみさんで今クール「エルピス 希望あるいは災い」ではセクハラを受けたりのアラサー元人気アナウンサーを好演してました。鈴木亮平や三浦透子など脇も良かった。ほとんど見逃し配信でしたが、内容は鋭い地上波ではぎりぎりよく内部事情も描いたような感じは受けます。鎌倉殿前半のヒロインだった義時最初の妻八重を演じた新垣結衣とともにすっかりアラサーの実力女優です。永野芽以との「ハコヅメ」が人気だった戸田恵梨香も結婚、妊娠とありながらも同世代でいい仕事をされています。川口春奈「silent」その他いくつかのドラマ割愛させてもらいます。
 石原さとみ含め10代後半20歳前後から見てる人がアラサー、映画ではとだえりもそうでしたが芽以ちゃんの母親世代というあたりが、平成の世が過ぎたなあという感じです。
 令和も4年が終わる2022年12月終了ドラマ、マイペースにレビューさせてもらいました。たぶん、最初で最後、来年はもう見ない、、かな。

昭和は遠く3 #大学ラグビー #実業団駅伝 #ノンプロ野球

いまだに私は出身大学のラグビーと長年勤めた会社の陸上部の駅伝が多少は気になります。  令和も5年となるニューイヤー駅伝では、会社名が変わり、隔世の想いです。
 そう、かつてマラソンの伊藤国光や高岡俊哉を擁したカネボウ陸上競技部は花王陸上競技部となります。

 私の出身は同志社大学で、卒業する前の冬に初めて、1年生の平尾誠二らを擁してラグビー大学日本一になっていました。3連覇を達成した、関西の強豪なのですが、それはとうに昭和の話で、令和になって関西リーグでも苦戦が続き、全国大会では関東の強豪には大差で完敗しています。アメフトはレイプ事件を起こし、どうも出身校の体育会はイマイチな令和です。
 ラグビーのトップリーグは何度の改編されましたが、大学ラグビーの組織は言いも悪いも昔のまま、関東は伝統の早明を中心に排他的な対抗戦グループと、リーグ戦グループの構造です。
 社会人になれば、どんな偏差値の高い名門でも、ビジネスにおいてはどこの大学を出ようと関係はありません。出身大学で勝負できるのは、よほど大学愛の強いOBの経営する中小企業ぐらいでしょう。「お前〇〇大学か、それじゃ商談成立や」なんてことはビジネス社会ではありえません。ただ学閥とか一部の体育会系のOB繋がりというのは、排他的でもあり、それなりにビジネスにつながるような、コネクションがあるようです。能力とは関係ないので、どうも合理的ではありません。企業不祥事に繋がりそうなパターンです。

 カネボウの名前はかつてはバレーボールでも強豪だった時代もあり、入社前に解散はしましたが、戦前敗戦後の昭和30年代にはノンプロの野球では都市対抗を制したオール鐘紡という超強豪チームも持っていました。
 21世紀前に運動部はおろか、実質カネボウは解体し、消滅してしまい。今は花王傘下の会社としてメーカーとしての名前はわずかに残りますが、すでに私が在籍した最後の数年は営業も花王グループ会社の名前で、カネボウの社員も花王の名前で仕事をしていました。健康保険も花王となってしまい、陸上部が消えると組合員の労組に(株)カネボウ化粧品が残るぐらいです。企業年金も最古の鐘紡厚生年金は消え、花王の企業年金とカネボウの厚生年金のねじれ状態で残っています。
 戦前最大の民間会社で、戦後も化粧品を中心に世間によく知られた会社の人間にとって、昭和は遠く霞み、激動の平成も終わり、令和で1ブランドとして存続するのを見守るのみです。多くの売り場では、ソフィーナとカネボウが同じ美容部員が、販売や商品管理をしています。かつて新規参入してきたライバルでしたか、隔世の感です。 

昭和は遠く2 #昭和のプロレス 書評#猪木と馬場 #1976年のアントニオ猪木

 平成が終わり、昭和がますます遠くなった感がある今年、昭和を代表するプロレスラーアントニオ猪木が亡くなり、すでにだいぶ体調は悪かったようですが、我々の年代の多く特に男性ファンが訃報に接し、呆然と時代の流れを痛感しました。
 プロレスに全く興味の無い方は、晩年の猪木はエキセントリックな政治家としてや、バラエティのビンタなどで、変なおじいさんとしか認識されていないかもしれません。
 今回、今年書かれた「猪木と馬場」(斎藤 文彦著)で改めてその生涯とライバル、ジャイアント馬場との長い因縁を振り返ると、まさに猪木の輝いていた昭和しかプロレスをあまり見ていないことを悟らされます。本当に昭和の子供から学生、若手の社会人だったころ、猪木と馬場の競り合いに一喜一憂していたことと、やはりプロレスは真剣勝負というより「ギリギリの興行で、その境目に面白さがあったということです。
 馬場も、その弟子鶴田も亡くなりましたが、その以前から平成に入ってからのプロレス、全日本はとくに見ていないし、どちらかというと戦後すぐからの長い歴史を淡々と綴るこの本で初めて知ったことが多いぐらいです。昭和の最後の頃は、猪木も欠場が増えだし、馬場よりも体調が悪い時期が多かったとかいうのも気づきませんでしたし意外でした。


 もう一冊、2009年の上梓で「1976年のアントニオ猪木」は柳澤健氏の著作。同世代の著者のデビュー作でかなりプロレスのガチ、深層に迫った玄人というか、ドラマとしても面白い問題作です。格闘技戦の柔道王ルスカ戦、ボクシング王者モハメド・アリ戦、完全に切れたファイトとなった韓国の実力者パク・ソンナン戦、パキスタンでのセメントマッチとなったアクラム・ペールワン戦。それら前後の背景も含め、よく書かれています。
 今は暴露系の動画サイトや、昭和プロレスの詳細記録のブログなども見られます。反社的な事件も多く、猪木も何度か監禁やらリング上でのピンチを逃れてきています。


 馬場、全日本との競争で言えば、ついに実現しなかったのが二人の対決であり、これは昭和のファンはみんなが思い込みもあり、対決して欲しかったけれど、無理だった事情も分かります。

 この前年、1975年には全日本が年末にオープン選手権という豪華選手を集めたリーグを開催して猪木の新日本にも参加を呼び掛けました。シリーズ中の力道山十三回忌興行にも、力道山の弟子として百田(力道山)家も巻き込んで、ふだんは馬場への挑戦を叫びながら、参加できないのかと、猪木を不義理、弱腰と追い込む作戦で攻めました。
 猪木が、リーグ戦に参加すれば、シューティング(真剣勝負)に強い外人レスラーを次々ぶつけ、馬場戦前につぶしにかかる計略というのは、当時からも囁かれていた通りで、全日派の解説者、マスコミも企みを暴露しています。
 ヤクザや道場やぶりの世界ですが、この時、猪木が全日本の興行で戦っていたらどのような結果になったのか、興味深いところでもあります。また、その4年後、一度だけ夢のオールスター戦でタッグを組んだ二人は対決を誓いますがやはり実現がしません。
 これが、引き分け的な筋書きの決着や、1勝1敗などで引っ張れば、興行的に大盛り上がりだったのではと思われそうですが、そうはいかないところがプロレスです。引き分けとかの筋が決まっていても、本番では喧嘩になり真剣勝負になって相手を潰すこともある、これは力道山の木村正彦との頂上決戦や、前記のパクソンナン戦などにも、その傾向はありました。ですので、引き分けの筋書きと安心して試合を受けるなど、とても難しいのです。

 1970年代、世界的にはプロレスというのは、ショーというのがばれて、スポーツとしての地位な完全に凋落していました。日本ではNWAが権威とか言われ、他のスポーツのWBCとか、FIFAやIOCみたいな厳粛な権威ある大組織のように伝わっていますが、それはほぼデタラメです。猪木の新日本プロレスが管理していたNWFや、全日のPWF、国際のIWAなどが外国にそれぞれ本部があるように宣伝しても、国内だけのお手盛り架空団体、創作のチャンピオンベルトだったのと、そう変わらないはったりがNWAでした。それが通るのが、昭和のプロレス界です。
 海外からの報道、インタビューなどもモリモリの嘘が多い古き良き時代です。そんな八百長や嘘ばっかりみたいなプロレスに昭和の夢を、抱かせてくれたのがアントニオ猪木であり、そのライバルジャイアント馬場だったのです。
 

 サッカーのワールドカップでさえ、新聞の報道も少なく、何か月もあとに映像を見ていた時代です。海外プロレスの珍しい技をかけている写真など、どういう技か無理に解釈していた古き良き時代ですね。

平成は霞み、昭和はもっと遠くなりにけり

昭和生まれで当然平成の30年を丸々過ごした人間には、昭和は4月に、平成では12月には天皇誕生日があるのが当たり前でした。令和も4年度がもうすぐ終わり、5年に差し掛かり、令和も一つの勢力、塊になりかけています。幼稚園に令和に生まれが入園しだし、「令和の怪物」とか「令和の歌姫」など「令和〇〇」が創造されています。

 そんな中で、今年は「シン・ウルトラマン」も作成され、その前のゴジラに続き、昭和からのリメイクというか、懐かしい作品を良く分析して再構築さた創作がなされています。

 初代のウルトラマンなどSFや特撮の黎明期で、今では考えられない稚拙なところもあれば、大変な苦労をしてしあげた部分もあり、それらをポジティブに現代的に解釈されています。それとともに、当時活躍された方々がどんどん鬼籍に入っていかれる中、魁となったものを後世に伝える意味もあるのでしょう。

 ウルトラマンの初代は、1966年(昭和41年)開始ですから、カラーテレビの普及時期で50年以上も前の制作です。怪獣も宇宙や宇宙人も子供にとっても大人にとっても新しい概念だったのです。後付けに苦労するような、当時の設定も数多くありました。とにかく最高視聴率は42,8%ほとんどの回が30%後半という、誰もが同じテレビを見ていて翌日の話題にしていた時代でした。

 55年も経っても動画配信などもされ、テレビでも同シリーズの新作が作られる、東映の仮面ライダー、戦隊ヒーローシリーズと並んで日本最長のシリーズです。この間、幾度も長短の中断期間を挟んでいて、ウルトラ兄弟や宇宙全体の警備隊という組織も後付けされた中でのワールドというのが通念になってきています。

 さしずめ、今放映されているのは「令和ウルトラマン」、東映は「令和仮面ライダー」のシリーズになるのでしょうか。その前に中断時期を経て、平成に復活した「平成ウルトラマンシリーズ」というのが、大きな設定はウルトラマンながらも従来のウルトラ兄弟の概念からは、別ワールドとされ、CGも巧妙になりSF的にも良く仕上がっていました。放映時間帯や、核家族化、テレビ離れで視聴率は昭和に遠く及びませんでしたが、「ウルトラマンティガ」「ウルトラマンダイナ」「ウルトラマンガイア」平成3部作と言われ、とくにガイアはよくできていた好きな作品です。ちなみに私の家では子供が物心つき始めたのがこのあたりで、次の『ウルトラマンコスモス』がリアタイで観出した時期になり、仮面ライダーだとまさに平成ライダーの走り「仮面ライダークウガ」からです。

 平成のシリーズ世代が20歳を超え出し、早い方はもう子育てが始まって、新しいウルトラマンを観る、昭和や平成、シンのシリーズを動画配信、アマプラとかでも見る3世代から4世代めにはいるのでしょうか。

 そんな中でもアニソン、特撮ソング歌い続けた水木一郎さんが先日亡くなられていました。マジンガーZも昭和47年ですから、50年以上唄い叫び続けておられたのでしょう。またそれより下の世代の、先ほど好きと書いた「ウルトラマンガイア」で隊長役石室コマンダーを演じられた渡辺浩之さんも今年若くして亡くなられています。

 訃報を重く受け止め、昭和が遠く感じるというのは、もう年寄り、年のせい過ぎて顰蹙かいそうです。

 平成でいろいろ流行したものの、すでに死語、廃版、無くなっていることが多く、60代ぐらで令和を謳歌することなく、亡くなる方もおられます。

 今の令和の時代を築いたのが、昭和であり、引き継いだ平成であるのは間違いはないところです。

炎上しそうな「人種、人権?の話」

BBC

 サッカーのワールドカップはフランスを破ったアルゼンチンが優勝し幕を閉じました。

 同じ地で日本代表が強豪を破り活躍したことで、かつて1993年ドーハの悲劇でW杯アメリカ予選最終戦で引き分けたことが払拭されたといわれます。ロスタイム(現アディショナルタイム)で失点し、呆然自失で倒れこむ日本代表のカズや、森保一現監督、ラモス瑠偉らの姿が積年の映像として想起されました。

 この頃、出場はのがしたものの、ラモスは帰化選手として、代表の主力でリーダーであり伝道師であり精神的主柱でもありました。サッカー日本代表は最近まで帰化選手やハーフの選手が何人か代表で、させてきてくれましたが、今回の代表ではGKの控えだったシュミット・ダニエルがアメリカ出身以外は「純」日本人で固められていました。

 日本人にはないブラジル人やラテン系の生まれ持ったような俊敏な足技や、サッカーへのプロとしてのあきらめない執着心とかを植え付けるために不可欠だった時代がありました。

 この当時は日本代表は彼らに助けてもらっても、どこかひ弱で常に隣国の韓国には公平に見てリードされていました。ちなみに韓国ではこの帰化した外国人の代表登用的な政策が一切行われていません。

 協会が意図的にJリーガーなどから帰化を促した場合と、ブラジルなどではそもそも代表になりにくい日系人が日本での代表入りを熱望してのケースに分かれました。

 田中マルクス闘莉王がつい最近まではそういった例で最後の代表主力でした。ところが世界では移民の大活躍が中心になっています。イングランド、イタリア、ドイツ、スペインらには一歩劣っていたフランスはジダンを中心に強豪にのし上がり、前回大会を制し今大会もエムパべ中心にオールアフリカ+フランスとまで揶揄されるほどになりました。前回2位のベルギーも、日韓大会では地味に予選リーグで日本より下の2位で同格程度でしたが、前回大会では圧倒的に日本をねじ伏せ一気に世界ランクも上位の強豪国となり、これは明らかに移民政策の方針によるものです。

 日本のサッカーはずーっと2000年代から4年ごとにいろいろ成長しているとか、欧州勢が増えてとか確かに内容や、いわゆる足技や戦術も走力も向上しています。しかし、ベルギーなどは実は日韓大会の予選グループでのチームとは、ロシア大会では別のチームのように日本を一気に引き離す急躍進をしています。本当に日本が4年後ベスト8以上というなら、半分をアフリカ系帰化にすればと思いますが、誰もそうは言いません。今の状態では4年後もベスト16あたりの行き来が続くでしょう。

 ガリア人だけのフランスチーム、アングロサクソンだけのイングランドなら想像してもそう強くは感じず、体格の良くなった日本も十分勝負になりそうです。そうなるとやはりブラジルやアルゼンチンの足技はまだまだ真似できないのと、アフリカの民族の身体の図抜けた能力からくる高さやスピード、驚異的な俊敏性は、大和民族とは差があります。

 他のスポーツも多かれ少なかれ、外国人の帰化問題はありますし、国内のチームなどは以前から国際化しています。国技の相撲も上位力士は何年もモンゴル人が占めています。

 陸上100メートル男子がほぼ黒人で占められているのを見ると、やや複雑な思いはあります。

 究極的な選択としては、帰化や移民、優秀なアスリートを国が援助して自国の代表にすることに純粋な競争、ゲームが成り立つのかとも思います。陸上100メートルのメダリスト3人が同じアフリカの同じムラで育った3兄弟になり、支援しる企業やそれぞれ国籍は変わり、メダルの獲得の国は別計算で、それを各国が競い合い一喜一憂することに意味があるのでしょうか。

 しかし、ここで「純粋な日本民族だけで」とか、政治家や著名人が言い出すと当然問題にもなります。
 ただ多くの日本人の中に、今回のサッカー代表や、野球の大谷翔平や村神様は素直に喝采しても、テニスの某女子選手の場合、勝っているうちは賞賛もあっても、勝てなくなり態度や発言も問題は出ると「手のひら返し」でバッシングする傾向があります。

 これはフランスの場合でも勝てば問題なく賞賛して、負ければ「あの黒人のせい」という、やはり差別的な世論はあるようです。

 人種のるつぼのアメリカやイギリスもこういう問題は絶えず、世間は慣れているのか、諦めているのかですが、日本はなかなかすぐ社会が受け入れがたい要素はあるでしょう。
 これはトップのスポーツだけの話ではなく、インフラなど社会の根底を支える若い労働力が減り、やがて日本では移民に頼らないと成り立たないという問題があるのです。

 ダイバーシティなど声高には叫ばれますが、日本的に国際的なそういう声は聞きながらも、暗黙の裡に排除や差別を続けるのか、門戸を完全に開くのかこれからの進路は難しい選択です。

 

冬至、寒波そしてクリスマス

 今年も残すところ10日を切りました。ワールドカップの熱狂が終わったと思ったら、本当に年の瀬です。最近は1年続く長いドラマがNHKの大河ぐらいで、それも今週最終回を迎え、10月からのクールの民放ドラマも続々と今週最終回で、何だか一挙にロスを迎えます。動画などいくらでも見れる時代ですが、地上波はつまらない特集番組、だだ長いバラエティが続き、正月休み体制に入ります。 

 冬至は1年で太陽の出ている時間が一番短くなります。夜の一番長い、寒い頃が続きます。
 寒波で今年は新潟や北日本に大きな被害、死者も出ています。
 初めて、青森の地吹雪を見た、先輩の会社幹部は、たまに旅行で訪れるとか、テレビで見るだけでは分からない生活している人の寒冷地での苦労をナマで見て、心底驚いていました・

 黄道12星座は12月22日からやぎ座、磨羯宮へと入ります。勤勉と努力で年末年始を乗り切る勢いが得られる、1年としては最後の星座へと移ります。

 人間のリズムも太陽や月の引力や光の影響をよく受けています。気温や雪などだけでなく、冬に合わせていかないとうまく活動はできません。
 もちろん、日本人は子供の頃から四季を感じ、身体に記憶もしてきていますが、やはり老化やストレスなどで自律神経が弱っていると、対応が遅れます。
 晴れた日は太陽をよく浴びて、消化の良い、暖かいものを食べ、防寒対策も怠りなくして、冬に慣れていってください。コロナは弱体化したとはいえ、流行はしていますし、風邪はそこらじゅうにいます。

 今年は私も夏に病気になり入院し、その後コロナにも罹患して、偉そうなことも言えませんが、無事に残暑と秋は乗り切り年末を迎えることはできました。病気の種は、現代ではしょっちゅうそこらに転がっており、身体はもちろんですが、それにつながるメンタル面も大きいです。
 若いから自分はまだ無理できるからと、ものすごく仕事したり、遊んだり、夜更かしや徹夜などをする人もいますが、年齢に関わらず、無理は正直に身体に反応します。少し体調が悪いのは身体や精神がサインを出しているので、そこを感じ取ることでしょう。休めないとか拘って、結局身体を壊すと元も子のないのです。

 コロナというと大層に、ワクチンやマスクとか密がとか言いますが、要するに風邪なんぞに負けないという気持ちがまず大切です。精神論ではなく、手洗い、うがいや適度な運動というのは、習慣づいてない人はまずそこから気合を入れてすることです。自分の体調の変化を敏感に悟り、整えることです。
 

スポーツと政治

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 日本もドイツやスペインを倒し大いに沸き、決勝戦も大激闘となって、サッカーワールドカップ(W杯)終わりました。
 CNNテレビが16日、、W杯カタール大会決勝戦のキックオフの前に、ゼレンスキーウクライナ大統領が演説したいとの要請に国際サッカー連盟(FIFA)は拒否したと報じています。

 大会前から、ヨーロッパのチームがキャプテンマークの政治的文言を入れようとして拒否したFIFAです。今回のこの判断も当然です。

 この人を批判すると、ロシア寄りみたいに取られていやですが、W杯サッカーの決勝を利用してまで自分をアピールできると考え、「否定的な反応に驚いている」というゼレンスキー大統領の感覚は普通ではないように思います。ダメ元とは思っていたのかしれませんがが、とんでもない奴です。

 サッカーは西側諸国だけではなく、世界中の人々の祭典です。予選にはウクライナもロシアも参加していました。ウクライナはウェールズとのプレイオフで涙を呑みました。今も状況を考えると出なかった方が良かったと思います。
 国同士はもちろん意地をぶつけます。国と国は過去に戦争があったり、宗主国と植民地だった関係の遺恨もある対戦はありますが、サッカーは戦術とワザ、力を競うスポーツです。戦争ではありませんし、政治的主張をゲームに持ち込みことはやはりNGです。

 FIFAは戦争や政治問題がめんどくさくただ金儲けができれば良いのかもしれませんが、政治問題を見せないスタンスはそれなり評価できます。金まみれの開催で、金満な会場や、工事や放映権料の莫大なお金に対しては、日本の庶民目線では疑問もでるでしょう。東京オリンピックの最終決算が1兆円も超え、不正な業者とのカネの問題も次々と出ている時節です。しかし、じゃあ大会を開催せずに、1兆円は戦争の防衛費に使えばということではないでしょう。たとえ、ゼネコンや広告代理店、スポンサーが不正に儲けても、平和の祭典の範疇で、そこの企業からまわりまわって多少は市民も潤います。

 あくまでもサッカーやスポーツは究極的に平和の祭典なのです。そこにお金をつぎ込んでみんなが楽しめることは、とても良いではありませんか。

 南米などで多少のずるさのあるマリーシアとかがいいかのように言われますが、勝つために手段を択ばないような危険なプレイやガチガチのサッカーは面白くなりません。

 今回参加していない優勝経験のあるサッカー大国イタリアのファンやメディアは、自国の参加しない大会を純粋に見てサッカーを楽しんだ呟きをしていました。日本のファンやメディアは相変わらず、ベスト16へのガチガチの応援を続けるでしょうが、ある意味それが後進国の証拠です。