もう一度日本に「坂の上の雲」の時代を

渋沢栄一

10年前の東日本大震災もずいぶん日本中を暗くしました。バブル崩壊後の日本に最大級の天災が襲い、一時的にはコロナ以上に日本全体がマヒしました。
原子力発電所も被害を受けたことで日本の苦手なエネルギー政策にも影響を与えました。
そして今回のコロナ禍です。ワクチンや医療体制で右往左往あたふたする日本は何だかとても一等国ではないようです。
高度成長の夢よもう一度とばかりに、東京オリンピック、大阪万博、リニア開業、IR統合リゾート等が起案されました。そのオリンピックは延期の上、理事長の解任などでドタバタ未だに開催が危ぶまれています。
リニアも静岡県の反対などで、コロナ禍の運輸観光の大バッシングとともに予定通りの開業は絶望です。IRというとカジノ、賭博だと難癖がつけられます。
震災の復興、原発事故からの風評被害等なかなか元には戻りません。
何だか日本の未来は少子高齢化で希望の持てるものがほとんど見られません。
でも私は信じています。日本は最初から大国でも先進国でもなかったのです。常に困難が重なり、誰しもが困難と思えた時代の状況こそ、大きな機会です。それを乗り越えようと勇気と知恵を絞った人々により新たな画期的な発想、革命的技術が生み出されてきました。
植民地化への危機に瀕した幕末から明治、関東大震災、第二次世界大戦、立ち直れないと思われ世界の劣等国から這い上がったのです。
坂の上の雲、今こそ明治の、戦中戦後の頃の、列強には負けないでこの国を立て直すという志の人がたくさん現れることに期待しています。

【東日本大震災デイケード】岩手県厳美渓、三陸海岸の桜。

写真は記事と関係ありません

震災前、仙台に仕事で赴任して子供が遊び盛りで、あちこち休みにはお出かけ行きました。岩手県は一ノ関に景勝厳美渓には子供とも行って、渓流を挟んだ対岸からロープをはったかごで届ける「カッコウ団子」という名物も食べました。東北の労組とのレクリエーションでも渓流下りをし、この時ご一緒した岩手支社の幹部の方が、3.11で亡くなられました。大した会話は無かったのですがブラックな強面の人が多い中、優しい印象の方でした。関西に戻っていた私はだいぶ後で訃報を聞き絶句しました。津波に慣れてない彼は営業中、海よりの取引先被害を確かめに行ったそうです。三陸海岸、今も桜の季節は、みどりと、青、そして名もない花も頑張って見事なピンクに咲くのでしょう。多くの生き残った方は、亡くなられ方からエールを送られているのかもしれません。

琵琶湖マラソン 有終の美

昨日で最後のびわ湖マラソン、午前開催でした。。有終の美、鈴木健吾選手が日本最高記録出しました。
ソウル五輪の選考で中山竹通と揉めた瀬古利彦が優勝はしたがタイムはひどく平凡で、記録のでにくいイメージがありました
朝スタートで、川内くんが2時間7分台のパーソナルベスト更新で10位、気温や風とかコンディションは最高だったのでしょう。
陸上部のあった会社で、私は京都滋賀勤務の頃は何回も駆り出されました。瀬田唐橋の中之島の施設で弁当食べて、橋の両側を往復するので合計4回のぼりを立て旗振りメガホンで声出してました。
当時でも伊藤国光監督下、高岡、早田のエースは福岡、東京に出て格下が出る印象で、これがまたほとんど上位入賞なしでした。瀬田川を渡る風はいい感じですが暖かいと花粉にも苦しみました。楽しい思い出もありました。

【東日本大震災デイケード3】             #東日本大震災10年 #東北の新聞

【東日本大震災デイケード3】宮城県の地方新聞『河北新報」の由来、東北の地方新聞、全国には多分無名でしょうが、青森県「東奥日報」、秋田県「秋田魁新報」岩手県「岩手日報」山形県「山形新聞」福島県「福島民報」「福島民友」とあります。で宮城県仙台のメイン新聞ワタシもとってたのが河北新報。東北にも全国紙はありますが、夕刊がなく地元の情報が遅いので不便で地方紙とります。仙台の「河北」だけ県名や旧国名と関係ありません。県を流れる北上川のことと勘違いされる方もおられますが、「河北」の由来は明治時代に政府や帝都側から「白河以北一山百文」と白河の関より北側の土地には価値がないと馬鹿にされた言葉からです。東北の人はそれでも農林水産や工場、原子力発電等で明治から戦後まで日本、首都圏の生活、高度経済成長までを支えました。
そんな東北を何の因果か、恐ろしい波が襲いました。
図書館で見る河北には10年前の様子が特集されたいました。頑張って欲しい東北。一山百文ではない日本の宝だ。

東日本大震災10年、海岸線ほとんどに防潮堤の是非

2016年に自然観察のボランティアで久々に東北、奥松島を訪ねた。都会から見ると大変な田舎で過疎も進んでいる。自然の風景だけが売りののどかな地域に思うが、何とそれを覆う防潮堤がほぼ海岸線を占めているのです。
高台への宅地移転とともに、確かに津波に対しては頑強な体制を構築しています。
東京や大阪で海抜の低いところで住居がたくさんあり、避難もままならないところに比べはるかに安全で強い街ができているといえます。
5年前、私は美しい自然の情景が損なわれていることとしてと、めったに来ない津波へのコストを考えると疑問でした。でも今年2月13日の余震、これからもある地震を考えると正解かなとも思いました。むしろこちらに移住してのテレワークする首都圏の人がいてもいいくらいです。

東北、大震災から10年復興は進み、教訓は生かされているのか

もうすぐ東日本大震災から10年を迎える今年2月に。震度6の地震が東北を襲いました。幸い津波までは起きず、けが人や家屋、道路等の被害こそでましたが死者は出ませんでした。
否応もなく悪夢の十年前を思い起こし、沿岸部から高台へ逃げた人もおられたようです。
宮城や岩手の沿岸部は防潮堤ができ、高台への住居の移転も進んでいます。5年ほど前私も石巻野蒜や、松島を訪れその変貌には驚きました。
自然環境から見れば違和感もありますが、日本人の偉大な力も感じます。防災意識も今回の余震で図らずも確認されました。
むしろ怖いのは東海や南海トラフ、首都圏や関西に直下型が襲えばの恐怖です。津波で水没する地域の人口は東北の比ではないです。毎年コロナのワクチン等にどの程度予算を投下するのかわかりませんが、すべての国家予算を再構築しても防災を見直す時期が来るのではないかと思われます。

コロナどうなるのかワクチン接種

日本国内でこんなに大量のワクチンを接種することはかつてないことです。
免疫の壁、集団免疫を作るには最低でも6割以上の方が抗体を作ることがひつようとされ、感染力の高い変異種は7割以上とも言われます。
コロナワクチンに関しては、世界で接種が進む中、日本ではようやく医療従事者からは接種がはじまりました。日本が輸入に頼る、大急ぎで承認したもののアメリカや欧州各国に比べずっと遅いタイミングでした。
この自前でワクチンを作れない日本の課題も深いですが、それは別のブログで詳しく語っています。
日本の接種体制そのもが心配です。
受ける側にも、不安があり問診などに時間がかかり、予想以上に混乱するケースや、逆に警戒されて接種が進まずワクチンが余ることもありえます。
担当大臣を設けてスケジュールまではおよそできました。
しかし、副反応への怖れか実際にすぐ受けたくない人が4割も占めているようです。何だか恐ろしいようなトラブルやらロスが待っていそうです。杞憂、私の思いすぎならいいですが。

雨水:小手先の改革では心もとない日本の宿痾

まだまだ寒いし、雪も降ります。
日本は殺伐とした情景も続きます。
宿痾という業の病のような、行政の無駄、政官財の癒着、役人の悪習もなかなか治りません。理想を抱いて優秀な学生が、いつの間にか目の前の壁に取り込まれ世渡りして仕事を覚えるうちに、全体に流され理想とは程遠いものを追いかけるようになります。
政治も行政もどうもそういう結果として、残念な組織やトップになっています。霞が関ムラ、永田町ムラと呼ばれるのはこのあたりです。
本質的には自分のポストや仕事がなくなるような改革を、自らや仲間にはやれないものです。国の財政がとかいいながらも、結局は制度を大きく変えることは組織が許さないものです。ムラの利益、立場が守られてからの全体改革です。
今問題になるのは、ハンコだとかそれに連なる電子申請、ペーパーレス化、それに伴う人員の異動や削減です。
私は行政や政治には一定の人間が必要だと思います。しかし現在の公務員や議員は忙しい人、良く働く人と、既得権に胡坐をかき新たな仕事をしない人に大きく分かれます。問題点を見れば市民からはこんな無駄な人間と思われます。
ハンコの業界などは小さい問題です。日本の宿痾は、国民一人一人が厳しい改革を受け入れるための心構えをして、人を選んでいくことしか道は選べないのです。

トップやリーダーは能力、適材適所、老若男女は関係ない

昨日オリンピック組織委員会森会長の女性蔑視バッシングの問題を書きましたが、そのネット上の議論の中に後任は「女性に」「若い方に」「アスリート経験者で」といった意見も目立ちました。
しかし、女性限る若い人とかに限る、あるいはアスリートに限るというのは逆に暴論で、男性高齢者、障害などでスポーツを観戦しかできなかった人にとっては差別にもつながります。
男性と女性に限って言えば、最近の女性管理職比率を数値化目標にすることも、私は個人的には無理があると思います。売上とか利益、自己資本比率等数値の目標があっても、管理職の登用比率は能力であったり適材適所であったりライフスタイルであったりで自然にできるものです。女性(男性)は登用しない雇用しないという規則があればそれは差別ですが、ある一定の状況で女性(男性)を登用して目標の率に調整するのであればそこには必ず不公平、差別が生じます、
そんなことは考えずに、組織の活性、リーダーの適任だけを考えるべきでしょう。経験が必要な場合や将来性伸びしろを考慮する場合も当然ありです。
日本の社会、世界でも女性が生涯長く社会に出て働きだしたのはそんなに古い歴史ではありません。最初は短い間に現場の一兵卒で終わり管理職になることなく退職することが決まりことのようになっていた時代もながくあったのです。
どうしても管理は終身組織にいる男性の役割であり、男性がスキル含め特化していました。女性に工場労働が多かった時代や、女子バレーをはじめとする団体競技のスパルタ監督等をみていても分かります。少しずつ時代は、自然に変わりました。
業種によってはほとんど女性がリーダー、マネジメントを務めて男性がサブという会社も出だしています。それは目標を追ってでも、性別ありきでもなく、業績や効率、適性のために自然にそうなったのです。

森会長に対する集団攻撃は五輪理念に反する

民主主義はマスコミやSNSの扇動で実に安易に「大衆主義」に陥り「魔女狩り」「集団リンチ」に向かいます。
森喜朗の失言を言葉として見れば誰だって女性蔑視だということは分かります。
個人的に83歳の彼を支持してきたわけでも適任とも思っていません。しかし彼はそれを撤回し一応謝罪はしています。女性蔑視を信条として主義主張としているわけではありません。
五輪組織委として老骨にムチ打ち、IOCや政界、行政、スポンサー企業、都、アスリートや団体、マスコミその他調整に明け暮れた功労に対して、世話になった方もいれば冷静に見て今この状況で適任がいないというのも一つの意見でした。
それがこの状況下、多少なりとも中立な意見を述べても大変な非難を浴びる次第です。
大衆となった人々の正義が、コロナ禍のストレス発散とばかりに、少数派を封殺し、弾圧し、言論リンチにかけてしまいます。
民主主義の起こりであったフランス革命にもこういった殺戮がありました。
えらそうに思える権力者を追放しろ、火あぶりにしろという大衆の欲望が噴出した時は、一度落ち着いて深呼吸をして便乗してはいけないのです。
83歳の森さんにも、生き様があり心情があり、家族眷属もあります。
フランス革命の暴力から時を経て「アラブの春」と呼ばれた中東のSNSによる民主化運動でも、一見正義に見えたSNSの大衆の力が独裁者を倒せば、混沌がやって来て、IS(イスラム国)が誕生し結局ますます暴力と混沌が生まれました。純粋な正義は結局、混沌(カオス)しかもたらさないのです。
コロナ禍の暗いニュース一辺倒に、森さん批判は格好のストレス発散かもしれません。しかしミクロ的な現象としても、結果的にSNSの暴力を助長して次のイジメのような現象が必ず現れます。
五輪憲章の世界の人々が平和に手をつなぐ精神とは、大衆の心がどんどん離れていくことに気付いていただきたいです。

それでも五輪の開催は冷静に検討するべし

それともう一点、この勢いで五輪を中止した方がいいという考えの方ももう一度冷静になってください。
オリンピックは確かに進退相難でやるもやめるも大きなデメリットがあります。どちらにもリスクは多く、多数の観客を期待する等理想的大会の可能性はないです。
それでもハードルは高くとも観客を制限しても7月なら開催は可能だとも思えます。現在サッカークラブW杯、スキージャンプ、全豪テニス、南半球や世界でも国内でもスポーツ大会は開催しています。
開催できなかった時は結局国家、国民に財政として大きな負担がのしかかります。ただでさえコロナのワクチンや医療体制で今後ますます増税医療負担は必至です。その上に五輪キャンセルでの日本国や日本主要企業は信用低下、保険負担等を強いられ格付けは下がり、円も日本株も大きく下がります。困るのはアスリートや政界、富裕層だけではなく日本全体が東京五輪のステークホルダーなのです。
そこも今一度冷静に考えるべきところです。