寓話 コロナ少年

 『コロナが来た!コロナが来た!怖いぞ!恐ろしい病気だ。マスクをして、家にこもって、注射をしないと!

 街のみんなはとても怖れ、仕事もやめて家にこもりました。コロナの恐ろしさを告げた少年はみんなからほめられチヤホヤされ、ごほうびにお金もたくさんもらえました。

 『コロナがまた来た!コロナが来た!怖いぞ!恐ろしい病気だ。マスクをして、家にこもって、注射をしないと!

  街のみんなはまた怖れ、仕事もやめて家にこもりました。コロナの恐ろしさを告げた少年はみんなからほめられ、お金をもっとたくさんもらえました。

コロナがまた来た!コロナが来た!怖いぞ!恐ろしい病気だ。マスクをして、家にこもって、注射をしないと!

 街のみんなは怖れましたが、仕事もやめて家にこもってばかりいてはお金もなくなり、しかたないので少しづつ働いていました。コロナの恐ろしさを告げた少年だけは、お金をもらい続けていました。

コロナがまた来た!コロナが来た!怖いぞ!恐ろしい病気だ。マスクをして、家にこもって、注射をしないと!

 もう街のみんなはコロナをそんなに恐れなくなりました。少年の家がマスクや注射でも大儲けしているような話も伝わりました。

新しいコロナが来た!へんいしたコロナが来た!今までで一番怖いぞ!とても恐ろしい病気だ。マスクをして、家にこもって、注射をしないと!

 少年は今までより必死に涙ながらに叫びましたが、もう街のみんなはせせら笑い、誰も少年の言うことを信じませんでした。少年は今度は本当だと、叫び続けましたがやがて叫び過ぎて喉を傷めて倒れこみました。

 やがて町のみんなは、、

『母屋でお粥、離れですき焼き』さらに極端なコロナ以後

 『母屋でお粥、離れですき焼き』という言葉は2001年小泉内閣の財務相、ご高齢で就任され塩ジイの愛称で親しまれた飄々としたキャラだった故塩川正十郎の言葉です。一般会計が細かく審議され監査されるのに対し、結局その5倍近く支出している特別会計は省庁横断で精査しにくく半ばノーチェックで杜撰な管理で支出されていることを国会答弁で揶揄したものです。

 その後、特別会計は項目を絞るなど制限はかかり出しましたが、100兆ちょっとの一般会計予算に比べ、5倍近いものに変わりはありません。

 今回、コロナ禍で注目しないといけないのは予備費といわれるもので、コロナ対策だけで11兆とかの実績で、20兆を超えると言われています。

 年収何百万程度の庶民にとっては100万の現金でも大金に見え、安倍さんの国葬に3億使うと聞けば大変な税金の無駄遣いと感じ抗議したくなる心情もわかります。しかし、3億~4億ではすまないとんでもないお金がコロナの名目で右から左へ動いているのです。 

 もちろんパンデミックを防ぐという意味では、国民の生命を守るため感染症の対策をするのやその後の経済対策を含めた支援などにお金が使われるのにやぶさかではありません。それはまっとうに正しく使われての話であり、火事場泥棒のような形で私服を肥やす人間がいて、本来の人にいきわたらないと大問題です。

 何だかお金の汚い話を聞けば聞くほどイヤになり、反吐が出るような気分になります。

 支援金の不正受給もありました。犯人は逮捕されたからまだいいのですが、国税職員を仲間にして狡猾な手段でした。捕まらない輩もいたでしょう。そして医療関係や支援をうけた企業や組織の中には、不正で告発されないまでも、緊急措置的なルールの隙をつき、法外ともいえる金銭を手にしている人達が多くいます。医は仁術といわれたはずが、コロナは医の関係でとんでもない算術を生み出したのです。

 コロナが感染症2類相当という特別な処置が必要でなおかつ広範に広がったということが、モラルのない算術の始まりです。
 それは『コロナで病床の確保が緊急に必要だ、ワクチンを早急に多数に打つために、打ち手と場所が必要だ』という命題に対し、国が自治体や医療機関に強要できず『仁』に訴えることなく適切でない過剰な『算』お金を回すことにしてしまい、管理の仕組みが杜撰だったからです。

 結果、ワクチンを打つことで本業以上のボロ儲けをした医療関係者(当然全ての医師が違反ではないし、忙しい中協力した人もいます)、病床を増やす(待機だけでも補助が貰える仕組みを悪用)ワクチン接種の補助を名目に大儲けした自治体と関連業者の話も後を絶ちません。

 裁判で確実にクロとも認定できないのですから、ある意味さらにイライラします。アベノマスクや余ったワクチンが破棄されるなどは、氷山の一角でしょうが、ああいう無駄を許さない儲けた人が勝ち逃げし続けるような、杜撰な発注を防ぎ、予備費といえどもしっかり管理できるような仕組みの構築が必要です。本当にこの国のお金の流れは情けないです。

コロナ感染急増 専門家の失礼な言い方 『ワク〇ン2回接種ではまるで効果なし』は聞き捨てならない

 感染者数連日の過去最高更新「これだけ〇クチン打ってるのに、効いてない証拠」とワクチン懐疑派は冷めて見ています。
というか、「ワクチン打ってるからこんなに増えたんだろうに」とさえ言われます。
ワクチンが効いていたら、確かにこんな過去最高の人数などになるわけがないと素人的には思います。まあ、エライ先生方や役所が言うのですから、正しいのでしょうが、感染には効かないけど重症化は防ぐ4回目のワクチンを打つのがなぜか感染対策だそうです。

 報道ステーションで国際医療福祉大学の松本教授とかいう方は、『2回のみ接種者は無防備状態で、去年打ったままで抗体値が今は下がり打ってないのも同然』的な言い方をされています。2回目あたりでやめた人を勧奨して接種数を増やしワクチンを余らせたくないのか、テレビに出る専門家の多くが『2回では効果なし』という文言を多用しています。

 ハッキリ言って、それが正しいか正しくないか別にして、1年前の言動を忘れた失礼な言い方です。忘れられがちですが、当初は専門家誰もが新しいメッセンジャーRNAタイプのワクチンは安全で効果も高く持続するので打て打てと喧伝していました。1回目に連続して2回目を打てば十分な免疫を持てると言われたから、苦しい副反応に耐え、忙しい時間も裂き仕事を休んだりしながら2回のワクチン接種をした方もおられます。3回目を受けられないにもさまざまな事情があるのです。

 
 2回では無防備状態!!まるで効かない、意味はないと前言を訂正するなら、もう少し丁寧な言いまわしがあると思います。こんな後追いで、請け負った情報だけただ伝える、医療現場の忙しさの実態もワクチン接種者の苦しみ悩みもわかっているはずもない人間の、どこが専門家なのかと思います。
 たとえその当時、分からなかって、あとから判明したことがあったとしても、以前の言い回しをまず謝り、説明するのが公に出るぐらいの人なら人として当たり前のことです。

 誰でも風邪をひいて重症化するリスクはあります。それを怖がっていたら社会が成り立たないです。『軽症が多いというのに20代でも誰が重症化するかわからない』『重症化を避けるため、接種すべきだ』そんな程度のことはテレビで高いギャラをもらって言い放つ価値もない素人レベルの憶測からの勧奨です。

 しかも今、4回目打てば秋の5回目にはオミクロン対応の新ワクチンとのインターバルが短くなります。もう打つのかどうかはわかりませんが。

 こんな嘘っぱちというか、矛盾だらけがまかり通る上、何人かの影響力の強い有名インフルエンサーはワクチン推奨派が抑え込んでいます。さすがにこれはわかります。普段の小気味よい論理だても、正しい理由付けもなく、ただ『打たない選択肢はない』とまともな議論さえ避けて、ワクチン懐疑派を一方的にこき下ろしています。ワクチンで死んだ人、後遺症に苦しむ人を確率的に少ないからと無視してよいのでしょうか? 自分は再生回数何万回で儲けているからいいにしても、どう考えてもアレルギー体質など、人それぞれワクチンに合う人合わない人はいます。少なくとも『選択肢はある』はずです。こんなインフルエンサーの言を信じて、命の危険に会えば、いまのところ国も何の補償もしてくれていません。

 ワクチン接種後の死亡者も報告されているだけで1700名とされ、実際にはその10倍20倍と怪死していると言われ、さらにその背後にその10倍が後遺症に悩んでいると言われます。一部の町医者さんや弁護士さんもワクチンでの死者や後遺症が増えていることには声を上げています。こういった話もまんざら陰謀論とも言い切れなくなりつつあるのは、先ほどの専門家たちが、丁寧な話をしないからです。責任は重いです。

 ワクチン由来の死者には国から賠償金が4000万円払われますが一人も払われていません。仮に10人いたとして4億、50人なら20億の税金が動きます。1000人も1万人もワクチンで死んだりしていたら、国葬に3億とかいうのを議論するレベルを超えた、経済としても人の命としても大きすぎる問題です。

入院雑感5 健康寿命という誤解 コロナ禍での現場の苦労

 3週間の入院をして、ようやく退院、自宅療養ということでさまざまなメッセージもいただきました。個人的にはSNS上でも激励、見舞いなどのメッセージに対し、心から感謝の意を表したいです。

 ただ残念ながら全快ではなく、肺の回復を長らく待たねばならない状態です。やや不自由な、片肺とまではいかないが4分の3肺歩行のような感じです。病気の説明は長くなるのと、短く書いても誤解を与えやすいものなのでこの程度とします。

 ここでは入院患者や看護師さんから得た、少しでも有益な情報や感じて悟ったことを書きます。私自身は人生初の入院で、もちろん入院の経験の多い方、もっと深刻な病や障害は抱える方もおられると思いますが。コロナ禍で3週間以上入院という方は最近の病院事情含め知らない方も多数なようです。

 まず、健康寿命とよく、平均寿命や90歳まで介護や病院の世話にならず、無病息災、いわゆる「ピンピンコロリ」が理想だという話があります。せめて一病息災、ひとつくらい持病があっても、逆に身体をいたわりその他の病や障害を防いで健康寿命を延ばそうという考えとかもよく言われます。そのために足腰を鍛え、食事に気を使い健康食品やサプリに、ジムやヨガに通うとかされている方は多く、同年配の方のメッセージにも「健康寿命に気を使って」という言葉はよく出てきます。その行動とその方向自体は間違っていませんが、そこに心理的な罠があります。

 確かにごくまれに90歳でもそこそこ健康でぽっくりという人はどこかにはおられます。家族や健康保険にも介護保険にも迷惑をかけないのは理想的です。60歳ぐらいの周りを見渡すとそう思えるそうですが、理想は理想で目指すのは別として、10年20年経てばそんなものは全く叶わぬ夢、程遠いのが現実だと思い知る時がくるのだということです。

 これは私が76歳の人の話、87歳の人の話、ご本人とその周りの人達の話、医療や介護に関わる人を含めてよく聴いて確信した結論です。もちろん、そちらから見聴きすると病気の方が多く見えるということも統計的にかんがみています。76歳で同年代を見渡すと、自分の身体も同年代のほとんどの友人も、どんどんあちこち病を患い治し、切除し障害や不自由は増えていく。80代も過ぎる個人差はあれど鬼籍にはいるか不自由だらけが当たり前の現実となっていきます。それが一般的な長生きです。人生とは動けない最初は赤ん坊がどんどんできること、自由を増やして行く足し算の時代があり、老いていくとできることを失い自由を失っていく引き算の時代となってゼロを迎えるといことです。何も不自由に陥るのが仕方ないから不摂生でいいということではなく、避けられない老い、理不尽ながんなどは当たり前に突然来るという覚悟、心構えは必要ということです。

 健康長寿というのは土台無理な話なのです。

 全く汚い話で申し訳ないですが、退院直前で同室に運び込まれた方は、なんというのかとにかく悪臭で悩まされました。真夜中に脱糞したとナースコールで騒ぎ、たぶん身体や衣類に汚物が残ってトイレを使うのでトイレも汚れる。完全に下の世話が必要かはボーダーラインで、おむつ常用にはならないので、看護師さんや部屋の周りトイレは大変です。ケチらず個室に行こうかと悩みましたが、コロナ禍で家族も簡単な介護や面会にも入れず、一番大変なのは看護師さんです。面会禁止はきれいごとで、看護師の仕事の負担はそれだけで激増しているのですが、介護される側は小気味いいほどそれこそ「屁の河童」何も考えていないのです。
 人間の尊厳を失ったような、一部、反面教師ととらえる考えもあるのですが、介護を経験した人からしたらよくあることだと分かります。そうなったから人生の全てが否定されるものではありません。逆に人間って「しぶといなあ」とか「したたかだなあ」と変な意味で感心しました。

 身体が動き、お金もあればできる限り先を考えずやりたいことをやるのも一つの考えでしょう。

 ただ不自由ができ、うまくいかなくなるとすぐに人生をあきらめるのは、やはり良いとは言えない考えでしょう。何があったか知りませんが、60歳前後で命を絶った人を潔いとは思えません。仕事や家庭、健康が思い通りでなくなっても、生きるを選ぶことは苦しくとも、やはり尊いことで、大切なことです。したたかにしぶとく生きようじゃないかと提案します。

沖縄のこと ウクライナの戦いを賛否する前に

 今年は沖縄本土復帰50周年ということで、式典もあり、テレビでもドキュメンタリーはじめ題材を含んだドラマなどが放映されている。戦後70年以上たち、沖縄戦をはじめその歴史を検証することは、現在の国際情勢を鑑みても有意義なことだと思います。

 とはいえ私は残念ながら、沖縄にそれほど詳しくはないです。広島や東北には住んだことがあり、北海道も頻繁に訪れ友人も多いのですが、沖縄は訪問回数も知人も少なく、その面では多くを語る資格がありません。

 何人か知る沖縄出身の人は、苗字で何となく感じ、よく聞いてみないと本土に親や祖父母が出てきているだけで、標準語も垢抜けして他の出身県の人と変わりません。むしろ九州人や関西人の方がコテコテの方言です。↑(ここ重要)

 しかし、第二次世界大戦を語る上では、広島や長崎の原爆投下とその後の本土決戦か無条件降伏かなどの終戦までの道のりに沖縄は外せないところです。そして、やはりウクライナで想起された激しい地上戦という意味では日本国内では沖縄が唯一最大規模のものです。

 たまたま沖縄が舞台になったNHKの朝ドラで、比較的軽いラブコメ要素かの前半から、やはり戦争の問題が取り上げられる回に来て、戦争を知る世代の語りたがらない複雑な思いが描かれていました。同じような沖縄の人の取材の難しさは、別の書籍でも見ました。

 とにかく現在にいたる基地問題も含め、沖縄の歴史的問題は複雑です。多くの政治家や報道関係も実際に現地に行き長い時間をかけ酒でも酌みかい、初めてホンネを引き出せるところが多いようです。以下のことも多くは伝聞から、推測的考察です。

 沖縄の基地問題も確かに構造や人々の心情は複雑で、県民の中にもいろいろと立場も別れるわけです。旧来の自民党政権を打破し日の出の勢いだった民主党鳩山政権は「普天間基地を最低でも県外」と言ってしまって、結局実現できないばかりか、アメリカ側から相当の圧力をかけられたと想像のつく迷走、自滅したのは比較的記憶されています。
 沖縄の人たちの中には基地依存の方もおり、もともと基地移転に消極的ながら反対の立場もいます。民主党や社民党が考えたよりは簡単ではありません。この点は自民党で長く沖縄に関わった政治家の一部からは、何か仕掛けたかもしれませんが、稚拙な進め方にはせせら笑いしながら高見の見物だったでしょう。

 歴史を調べれば、小さいながら独立王国のようだった琉球王朝だった沖縄は明治に遅れて日本になりました。真面目な沖縄の人は日本国民になろうと、学校では沖縄の言葉をしゃべると札をつけて外に立たせるほど、純粋に過剰なまでにキレイな標準語を学んだといいます。これは日本の文部省の強制ではなく、自主的に沖縄県民は日本国民に認められようと努力したと想像されます。

 そして沖縄の人の悲劇は、その真面目さで日本軍とともに米軍と必死で戦い、女学生までひめゆり部隊など学徒隊となってさらに被害が拡大しました。日本軍の中心は首里城にはとどまらず玉砕することなく南部撤退を行い、軍は住民を守れず住民だけの徹底抗戦に追い込まれ悲劇は大きくなりました。
 広島、長崎は米軍が勝手に選んだ理不尽ですが、沖縄の人口の4分の1を失った地上戦は、沖縄にとって自ら追い込まれ日本政府に騙されたような悲劇なのです。
 日本全体から見れば本土決戦の決断がなくなったことは良かったことでしたが、沖縄の人たちは我々に続いて本土でも地上戦をやるものと信じていました。そのために必死になり善戦し粘って日本国のために戦ったのです。ところが沖縄だけが捨て石のように、本土決戦は行われなった。沖縄県民の中には、またも日本政府に、軍に裏切られた、姑息で卑怯な本土人との思いを感じられた方も多くいたのです。
 沖縄の人が、政府に複雑な思い、自衛隊に複雑な思いをするのもそういう歴史があるからなのです。
 単純に左翼にそそのかされているとネトウヨ系が罵るのは簡単で、一部は正しい時もありますが、その根は暗く深いものです。

 そして、ウクライナの戦いを賛否する前にもう一度、日本の、沖縄の歴史を振りかえって欲しいところです。

ウィズコロナVSバーサスコロナ 分断を煽るな

©東映

 コロナ変異株のオミクロンBA5ってどう読むのかと思っていましたが、やはりBA5(ビーエーファイブ)なのです。もはやスーパー戦隊の名前のような印象です。海外、ウクライナ問題ですぐ国際情勢の全ての世論のように言われるイギリス、アメリカをはじめ欧米各国はすでにコロナは一般の関心から外れています。人々はノーマスクで経済活動、通常の社会に戻っています。『オミクロン』という名前も『ビーエーファイブ』という名前を知り怖れているのはおそらく日本人だけ他国の一般には知らない、特撮のライダーや戦隊ヒーローと同じガラパゴス的文化になっています。

 コロナ禍の医療現場に従事されている方、実際にコロナに感染し重症や後遺症に苦しんでいる方もおられるわけで、やや不謹慎に取られる方がおられるかもしれませんがいたって真面目な考察です。
 実際に3週間あまり肺の病で入院し、ずっと医療現場にいて医療関係の方の忙しさや煩悶、ジレンマを見てきたので思うのですが、今の社会経済活動を保つという方針は全く間違いではなく、それと行動制限まで要請して医療現場を守れという一部の主張は分断を煽り、対立軸にすべきではない、もともと同じ土俵で比べるものではないのです。

 私は入院していて、夜勤の看護師さんが患者さんにいろんな案件でナースコールで呼ばれるのを見てると、本当に大変だと思います。命に直結するコールもあれば、下の世話や不注意、痴呆、わがままいろんなことで呼ばれますし、患者にとってはコールして反応が遅いとまた不安も増殖して大変ですが対応人員は当然限られています。高い職業意識、使命感がないと難しいのではないかと感じました。夜勤も必然としてある以上、シフトを組むのも日常的に大変で潤沢に応援など出せる体制のところはおそらくそうないでしょう。そんな中、私の退院間際にコロナ感染者がどんどん増えた状況が報道され、かつ祇園祭やイベント、旅行再開の報道ではどんどん街に人があふれる状況が流れ、案の定病棟に陽性者が出て大きな混乱と厳しい隔離と規制が実施されました。私は幸いその後2日ほどで退院できるタイミングでしたが、医療関係者や入院患者さんのその後の苦労は想像できます。

 実際にコロナで親しい人を失ったり、後遺症で苦しむ例や医療の逼迫などこういう事象をもって経済活動再開を待てという発想は分からないでもないのですが、片方で経済活動が止まったことでの自殺や貧困も出ているのです。いわゆるワクチン問題含め、やはり議論はかみ合うものではありません。

 プロ野球球団や大相撲でも大量に陽性者が出て試合中止や不戦勝が相次いでいますが、いつの間にか場所やペナントレースの中止や、観客動員の制限はしなくなっています。

 特に法の改正もなく。濃厚接触者の待機日数も短縮しています。

 よく言われる感染症2類相当から5類に下げるのが無理なら、今の医療現場を考えて、総理大臣や厚労大臣の指示で変えていけばいいいのです。今でも中途半端は2類相当ということで1類のエボラ並みの厳しい管理が引かれています。

 例えば保健所や自治体はものすごく煩雑で詳しい報告を求められますが結局全国には感染者や陽性者が家で寝込んでる人含めていっぱいいるわけです。
 『風邪』とう病名にコロナを分類すると、いや違う死亡者や重症も出ているのにと反対する人がいますが、風邪なみに一般に多いのですから、追いかける方法に無駄があれば医療体制は持ちません。感染対策や流行している場合に高齢者や基礎疾患者への配慮はいるとしても、もう報道でコロナを過剰におそれさせるイメージを植え付けはいいでしょう。
 岸田さんはしっかり経済社会活動を推し進める丁寧な説明を続け、マスコミは矛盾のある分断を煽るような報道は止めて欲しいし、国民はこの矛盾を理解し前向きに進んでいけば良いのです。

 銀河を貫く伝説の刃!人の命は地球の未来!命あるところ、正義の雄叫び有り!燃えるレスキュー魂救急戦隊 ゴーゴーファイブ!(写真より)

国葬、川柳 増長させられる分断

 ニュースによると、安倍元総理大臣の「国葬」に反対する市民グループが、実施しないよう予算の執行などの中止を求める仮処分を東京地方裁判所に申し立てました。「安倍氏については森友・加計学園や桜を見る会の問題など数々の疑惑が取り沙汰され、国民の評価が分かれている。『国葬』を行い、国民を強制的に参加させることは憲法で定められた思想・良心の自由に違反する」と主張して「国葬」に関する閣議決定と予算の執行をしないよう求めています。政府側官房長官は「今後、司法の場で取り扱われることであり、政府としてコメントは差し控えたい。いずれにしても、国葬儀は儀式として実施されるものであり、国民一人ひとりに政治的評価や喪に服することを求めるものではない」と述べました。

 国会の決議が必要なら、与党多数の現状ではすぐ決まることです。先の選挙で勝利し、信任された岸田首相が背景はいざ知らず記者会見で明言したことなので、それでいいのではと思います。

 何名かの左翼側の論客は安倍さんの功罪の財の部分ばかり強調しますが、おそらくどんな総理大臣も功罪はあったはずです。

 これも左右を問わない何人かの方が呟いているようにはっきりしたルール、法律がないことが大きな問題です。総理がやや唐突に発言したことだけで通ると思ったのも、こういう仮処分とかいう人が出るかもしれないという時代に対しては、甘かったのです。法律がない以上めんどくさいですが『私は国葬にすべきだと思うので、有識者の委員会を作って検討し国会で承認してもらう』が正解なのかもしれません。間違っても『私は税金で国葬をすべきでないとか。じゃあ安倍さんより好きだった小泉さんが死んだらどうする』とか、分断を煽るコメントなどを報道すべきでもないと思います。税金を使うからと何でもかんでも議論して裁判していいというものではないです。それこそ、粛々と決めていけば良いことです。
 

 朝日新聞が川柳のコーナーで安倍元首相を茶化し愚弄したような内容の特集だと組んだというのも大きな問題になっています。権威ある大新聞がすべきではないという声も上がっています。しかしもう新聞メディアが廃れて普段そんな欄を誰が見ているのかというところを、ワイドショーがデカデカ繰り返し採り上げて、コメンテーターが賛否意見を出して盛り上げます。

 こんなことをするマスコミこそ、安倍さんを愚弄しています。こぞって無視すればいいだけで何の問題にもなりません。そうやって注目して取り上げられることで、いわゆる炎上商法のようなかたちで、本来の紙面での情報伝達の役割はなくとも、政治利用されることで朝日などは延命していまいます。ネットの時代に紙の新聞など高齢者しか読んでいないのに、朝日の本来誰もスルーするようなつまらないコーナーが、全国に知れ渡り国民が左と右の分断されたような議論になる。

 昔から、朝日や毎日の川柳や漫画などは、記事以前に反体制なものは当たり前でした。そんなものをこうしなければと、シャカリキに力を入れ右側までこぞって取り上げること自体がおかしいのです。

 まったくつまらない議論です。

ベースボールを見て楽しむ 犠牲バントはいらない

 政治や感染症対策など硬い話が多かったので、今日はスポーツの話。まあ、コロナも選手たちはスクリーニング検査をしてる関係でしょっちゅうあちこちで陽性、欠場もありますが、昨日は世界陸上含め一日、超一流アスリートたちの豪華な競演を愉しめました。

 時間があったので、昨日は朝MLBのオールスター、夜はサッカー、世界のオールスターともいえるパリサンジェルマンと川崎フロンターレの親善試合をみました。
 エキシビション的な試合もなかなか技量の優れた選手が出ると見ごたえがありました。

 私はサッカー少年でしたから、野球は見る方です。日本のプロ野球もひいき球団があり応援はしています。しかし改めて思うにスピーディでパワフルで見て面白いのはMLBですね。

 よく野球とベースボールは違うとか、日本にあうのはスモールベースボールなどと言われますがどうもプレイボールというように日本のファンは野球をあまり楽しまないのです。日本のプロ野球(以下NPB)の応援の掲示板などを見ても、どうも負ければ選手や監督を厳しくこき下ろすだけで、結果論にこだわり素人の戦術批判愚痴で発散とは言え、野球を応援し愉しんで見るという感覚から遠い人が多いです。

 MLBは回ごとのインターバルも短く、ワンポイントなどの小刻みな投手交代も少ないです。NPBでは序盤からの犠牲バントは減ったとはいえ、いまだにやっている監督もいますし、終盤大量リードしていてもバントや盗塁のサインを出す場合もあります。

 NPBにはクライマックスシリーズや引き分けの問題、指名打者制度の統一などMLBと違ういくつか抱えているものもあります。ここでは私は今、野球の掲示板で少し論争しているNPBのバントについての提言とします。

 高校野球など、ランナーが出ればよほど超高校級の大打者でない限りバントがセオリーです。バントしない学校は解説者が暗にきつめに非難するぐらいです。自分を犠牲にして前の走者を進めチームを有利にする『犠牲』という言葉が日本人の美学に響くのでしょう。ところが個人のアイデンティティが強い野球の本場アメリカでは自分の成績につながりにくい犠牲バントなどあまり見掛けません。状況に関係なく、打ってホームランや連打で大量点につながる場合もあればあっさり併殺の場合もよく見かけます。
 

 ホームランは当然野球の華ですし、野手の間を抜け走者が駆け抜けるヒットは球場へいったファンの最大の見ものです。たとえ最悪のダブルプレイ併殺でも、その併殺がMLBではかっこよく、しかも試合が早く進むので観ていてスカッとします。これは個人の感性なのかもしれませんが、1人を犠牲に出して結局あと二人が凡退した方がモヤモヤは残ります。たしかに感性が違い、バント神話を信じる人はその戦術で後続が凡退してもバントの成功を誉め、この作戦を続ければ、やがて好投手を攻略できると信じてやまない人もいます。

 実際には結果確率はほとんど同じなのですが、聞いてみるとバントの成功率や相手のシフトなどの防御や、その後の得点の確率など、何も数値が応えられない盲目的信仰です。バントは誰にもでき得点につながりやすいという印象だけをひたすら持っている方が多いです。

 バントで塁を進めても、1死は相手に与えるので残り二人が結果を出さないといけないので得点の確率はそう変わらないのです。ひいきチームが併殺されるのを見ると、バントを指示しなかった首脳陣が無能と非難される人がいますが、それは戦術の選択の結果論であり、バントをしても最初から失敗のリスク、最悪の併殺の可能性はあります。総じてバントの成功確率から、その後の得点確率と得点平均を鑑みると、それほど差のない戦術であり、結果として盛り上がり大量点につながるのはバントしない方だと考えられます。

 バントというやり方がゲーム的、戦術の一つとして面白いとか、150キロの速球を打球を殺し転がす芸術的な技術は素人にはできないという、バント肯定の意見もよく聞きます。それは否定はしません。これはもう感性の問題でバントで送る野球は面白くないと私は思います。勝つためといっても確率はそう変わらないので、お客さんに見せるプロである以上、外野席から何やっているか分からないバントで塁を進めスクイズバントで決着するような野球は禁止にすればいいと思うのです。MLBと日本じゃパワーが違うとか言われますが、各球団に日本人離れした主砲が揃い、前後や下位打者も甲子園やアマでは綺羅星のごとくのスラッガーばかりです。球場にいくファンは大谷はもちろん村上や佐藤輝、山川や柳田のホームランを期待していくのであって、彼らがバントしたのを見たら失望するでしょう。私はファンとしてバントなどで負けると口惜しい上、勝っても全然スカッとしませんから。

 提案としてはバントそのものを全面禁止、もしくは指名打者制でない場合のみの投手だけ可能とするやり方があります。もう一つ、今のいわゆるスリーバントでファウルの場合打者三振アウトになるのと同様、ノーストライクやワンストライクでもバントファウルを打者アウトにするルールにしても面白いです。それこそプロ中のプロのバント技術者が試みるか、ほぼバントが皆無になるのかゲーム的には面白いと思います。

 3時間や時には4時間が当たり前のNPBの野球はとにかく、もう少しスピーディに球場の観客目線で改革を考えるべきです

 

入院雑感4 生かされた生命 まだコロナ

 3週間かかり、ようやく退院、自宅療養に切り替わります。

 最初、肺のCT画像を見て左肺の3分の1ぐらい真っ白なのには驚き、ガンならもう助からないステージわやと思いました。幸い範囲は広いものの、生命に関わるものではなく、その後外科手術は難しく、点滴などでの内科治療となりました。

 この間、本当にいろいろ教えられ感じることもありました。

 60歳過ぎの著名人の訃報もよく聞かれる中、まだもう少し、生きていいよということでしょう。

 すれ違った人たちも70後半や90過ぎても、いろんなトコを手術しながらも、タフにしたたかに生きている方がおられます。

 かと言って反面教師ではないですが、老醜、老害で回りに迷惑をかける方もおられます。

 サービスや連絡面で病院側に不満を言ったこともありますが、基本的に看護の現場に携わる人達は、ストレスの多い大変な仕事、激務を日常的にこなしてると思います。

 コロナ禍は、以前から指摘のように医療現場に多大な負担をかけました。また、第7波が騒がれ、退院直前にも院内の患者さんに陽性者が出て、混乱と大幅な行動制限がしかれました。

 祇園祭山鉾の人出も恨みがましく、見ておられる方もいます。実際に第7派のBA5は感染力が強く感染者数が圧倒的に多いため、従来の対応では難しでしょう。重症はおろか、症状が出る人も少ないのでひたすら間口を広げ、ただの風邪やインフルエンザ同様、一般のかかりつけ医、一般外来で診察できるように仕組みを変えるしかないのです。

 指定感染症2類を外す、外すのは感染者が減ったからではなく、感染者が増えすぎ一般の風邪並みのよくある病になったからです。

 岸田総理も感染者が減ったタイミングで2類を外したいと図っていたなら、間違いです。毒性が弱まり感染者が激増した今のタイミングでいいのです。趣旨が分かってないと減ったタイミングでも、どうせ次の波が来て増えて非難されます。

こんなに感染者が増え、今さらマスクや効かないワクチンとか、対策ではないのです。医療現場は他の病気の患者さんで、それなり手一杯なのです。コロナなんかに構う暇ない、制限などいらない、ウザいのです。医師会の偉い人が看護師や看護助手をどんどん連れてこれるわけではないのです。彼らはテレビに出て儲けず、自分の病院の現場をもっと見ないといけません。

 医師会の偉い人は、苦しむ患者さんに、すぐナースコールを呼べばいいですと言っているつもりなのでしょう。ただの風邪のような莫大な数のコロナに関わらせると、生命に関わる人のナースコールの返答が遅くなり、できなくなるのです。

憲法改正完全版2  核共有は有効か?地政学?

 長くなるから、たくさんの右翼の論客の提言を読んでもその評価等は主なものとする。玉石混交で、なるほどと思わせるものもあれば、ひどい思い込みだけのものもあります。

【かみ合わない議論】

 総じて、右翼と左翼はかみ合ってない、まともなディベートの土俵に上がってない。思想が違うから当たり前と言われるかもしれないが、仮にも政治家や批評家が、まともな議論をしていない。ネット上だけならいざ知らず、国会や公の場、こういった書籍でも、幼稚な喧嘩、一方通行なのです。

 かみ合わないことも多すぎる。そもそもディベートの前提が大きく違うところを、みんなこうだろうと思い込み、相手や一般に対する想像力が足りない。

 たとえば、左翼は元々の自分の受けたいわゆる自虐史的歴史教育を当たり前と思っている。日本はアジア諸国に一方的に狂信的侵略戦争を仕掛けたことが左翼では前提になっている。右翼側にとっては、南京大虐殺など、そんなのは少し考えたらわかるウソだとわかるとおもっている。それでは、靖国神社参拝問題、慰安婦等の問題など、歩み寄れるわけがない。

 自衛隊が違憲か、いくつかの問題で議論がストップしてしまいます。そもそも存在が曖昧で否定されるものではないことは、さすがに共産党でさえ分かっている。憲法改正の前にさえ、自衛隊法などでできることは可能なのにやれていないと言われる。これだけ安定多数を持った与党なら、迅速にやって欲しいところです。

 私はアメリカに作られた現行憲法は状況に応じ改正すべし派です。自虐史観は間違っていると思います。教科書の改定や現総理や閣僚の靖国神社参拝も何ら問題なくまして他国にどうこう言われる筋のものではないと思っています。

 そういう面では、保守。愛国かもしれませんが。戦争、防衛費拡充や、同盟強化、核共有については右翼の論客の提言の多くに疑問はあります。

【親米や自主独立か】

 およそ、右翼も親米と、自主独立派に別れ、お互い都合よく利用してる場合もあります。親米と自主は実は明確に違います。保守派、右翼の多くもアメリカに洗脳された親米がおり、逆に親中も保守の中にいます。

 右翼の論説は思った以上に、自主独立の提言、特に憲法に関しても多かったです。理想はそうでも現実にはアメリカの傘に入りたいという軟弱さも垣間見えます。安保、核共有は戦略性もありますが、自主独立とは相反する矛盾、ジレンマもあります。

 9条、戦争、核はロジック、ゲーム理論のようにもなってしまいます。戦争の現実、ウクライナの惨状の報道が伝わり、数が減ってきた戦争経験者の伝えるものから、どう感じ考えていくかが右翼と左翼で別れてしまうようです。

 【それでも戦争は回避すべき】

 私は、戦争に関していえばあらゆる可能性を考え、国体を保ちながら戦争を回避すべきだと考えます。それは理想や理論ではなく、現実を見つめ泥臭くても妥協点を探るべきです。

 街や家も倒壊し、劣勢の軍隊でもあくまでも抵抗しつづけるウクライナの徹底抗戦決断を称賛し、一方的な侵略に屈せず国の為に戦う姿とはこういうのが理想のように右翼は好事例、美学として主張されます。また櫻井よしこはウクライナが旧ソ連の核を保有していれば抑止力になったという核共有のロジックです。

 このあたりにはさすがに大いに違和感どころか反対に思います。

 兵士や市民、街の多くを犠牲にする前にまず停戦を考えるべきです。国のトップは国体を維持するこが責務です。市民の多くが大統領の決断によって犠牲になっている時点で、国体の一部が体を成していないので、大統領失格です。

 確かに武器をすて、戦争を放棄して占領を許した時点でもっと酷い国の運命が待っている可能性は自覚しないといけません。

 日本がアメリカに負け占領されると知った時、男子は睾丸を取られ、婦女子は皆暴行されるとかの噂が流れました。結果、僥倖のように、天皇制は保たれ、アメリカは概ね紳士的に日本の民主かを進め軍事的配下に入れつつ日本は復興し、経済成長につながりました。

 この苦い敗戦と奇跡の復興は、アメリカ信仰と他力本願の平和主義、戦争忌避を日本人に植えつけたとは思います。

 おそらく敗戦は、現体制や兵士にとっては全てを失う恐怖であり屈辱です。もちろん停戦、降伏にどんな状況かはケースによります。しかし、市民にとっては戦争で大義名分で死ぬのも占領されてその後苦しむのも天秤にかければ同じか、生きているだけマシかかです。

【核の間違ったロジック】

 核についていえば、日本へ原爆投下以降70年以上、戦争では使用されたことのない禁じ手の兵器です。その保有国が増えれば抑止力が増すというのは、今さら危険な論理です。

 平和憲法に抑止力はないと、右翼は左翼を鼻で笑いますが、櫻井の言を借りれば、全ての国が核保有か共有すれば抑止力が高まり戦争は無くなるのでしょうか。実際には、いろんな意味で核はオワコンで、危険でお金もかかり風評も悪いだけで残念ながら抑止力というものは弱まっています。

 北朝鮮は、狂ったならず者国家のように思われています。しかし、そんな国でさえ先制攻撃で核を使うとか、追い込まれて核を使う状況というのは実際にはありえないですし、あったとして攻撃された国が保有か共有で核を使えるから抑止、殲滅できるか、可否以前にこの時点で人類の終末と言われる核戦争になっています。さすがに、自暴自棄やそな応酬で、核を使うほど人類は愚かではありません。

 櫻井よしこが核共有の論拠としている、地政学的という核保有国の地図を上にのっけてます。

 戦争好き右翼は、地政学とか言い出す人がよくいます。細かい歴史を勉強しないで、大雑把に地図を見て判断する方がネットにもよくいます。地政学というより、地図のイメージだけの短絡思想で、「ロシアとは戦争もして相性が悪く地政学的にも日本の隣国で悪い国なので経済制裁しないといけない」とかびっくりする発想。長年、エネルギー開発や漁業の交渉でやってる人の苦労とか現実が想像できないのでしょうか。

 この櫻井掲載の地図見て、「日本は核保有国に囲まれている怖い、アメリカは遠いからすぐ助けてはくれない。だから舐められないよう防衛費拡充、核共有、核保有だ!」これも違和感です。

 櫻井よしこも中国の脅威、恐れを1章に渡り語っていますが、基本が中露嫌い、結局自主独立といいながら、アメリカ信仰、アメリカ洗脳なのでしょう。 

 【ロシア、中国とどう関わるか】

 ウクライナ問題で、同盟の強化とロシア制裁を強く主張する側に、ロシアの背後に中国がいるからとの中露嫌いが見えます。

 ロシアは軍備も資源もほぼ自前で用立てるほど豊富で、かつての日本や北朝鮮ほど経済制裁が有効ではありません。その国を追い詰め、中国とロシアをグループとして敵対するのは得策ではありません。櫻井よしこ自身が分析しているように、「世界最大の超大国」です。中国嫌いの人は現実的数値でGDPは抜かれたけど、日本やアメリカのが豊かで優れているという幻想にとりつかれています。まして中国とロシアがタッグを組めば最強です。インドやプラジルはじめ中東やアフリカ諸国もなびいている現状で、世界の警察を降り、ベトナム以降支援国は連戦連敗で中東にも嫌われるアメリカが欧州と組んでも太刀打ちなどのスケールではないです。

 地政学?で考えれば、中国とロシアは国境を接していて従来からは仲が悪い。中国とインドも国境を接しているので、揉め事が多く、逆に国境問題のないインドとロシアは経済的に結びつきが強いのです。日本はできる限り、ロシアと中国を追い込まず、かつ分断を考えた方がいいのです。妥協点は見出しつつ、経済連携など政治を絡めて結びつくのに越したことはありません。一党独裁でカントリーリスクがあるように思われますが、アメリカの方が2大政党制で、政権が変わると経済や行政のやり方が急変し、人も替わり取り付く島もない時が多いそうです。

 親中派とひと括りに、国賊やスパイのように揶揄されますが、要は親米派と同じです。特に中国が強大になれば、その存在は必要です。台湾有事やチベット、ウイグルの問題

、アジア太平洋戦争以来恨んでいるとか、脅威にされがちですが、中国とはもう経済や観光で深く結びつき依存しています。中国が一方的に、日本を破壊し、皆殺しにしたりすることはありません。

 日本が本当に戦場になるのは、アメリカが何らか戦争を影で誘発して、台湾有事が起こり、米中が火花を散らす代理戦争となった時です。米本土は離れていますが、地図で明らかな通り、戦場は東アジアになります。

 アメリカが戦争誘発というのは、やはり日本の右翼や愛国者をうまく焚きつけ、おそらく今のウクライナ以上に正義のため、聖戦として戦争になるはずです。

【防衛費は適正に】

 防衛費問題では、最近も元大臣や幕僚が、銃弾も少ない、演習の時間も少ないとかいろいろ戦い以前の問題で、予算増額を叫ばれていました。事実が、露見しているなら対敵国への情報漏れとしてもおかしな話ですが、現場のホンネなのかもしれません。ただ、日本の予算というのはどの役所でも増額しても本当に必要なところに適正に下りず、結局こういう現場の声は絶えないような気がします。

 イージス艦に5000億も使うことには、当時ハト派の自民党元幹事長野中広務氏は猛反対で憤っておられました。その他のミサイル迎撃システムにせよ、いかにもスペックは素晴らしくプレゼンに騙されそうな最新兵器でしたが、野中さん曰くの通り、現場で訓練の弾薬にさえ回せないのに、大見得を切っても敵に攻撃対象を与え、なおかつメンテナンス含め莫大な経費がかかるのは事実でした。

 【軍隊はあっても戦争をしない憲法】

 戦争をするために、仮想敵国に対し兵士や組織が常に臨戦態勢でいるということは非常に難しい問題をはらんでいます。自国愛と敵国への憎悪は一触即発を生みやすくなります。まして、兵士たちは戦い、武器屋は武器を作り売るのが仕事、ずっと仕事がなく、褒められることもないと、何らかのきっかけを求めたくなるものでしょう。だから戦争は放棄したものだという憲法は必要なのかもと思います。