甲子園がなくても精一杯戦うことに意味がある

甲子園大会無くても、代替の大会があったところ、応援もあって、高校生たち良かったと思います。
人生ってタイミング、時代によっていろんなめぐり合わせがあります。戦争や震災、米騒動いろんな時代に中止もあったのです。
将来、振り返る時、思い出を語る時に、「スポーツ何をした?」と聞かれると、「〇〇〇で甲子園めざし、インターハイ目指してました」と答える機会があるでしょう。
その際、コロナの年が3年生でこんな目に逢って泣きました。と語れます。
今は悔しくても、精一杯努力した3年間の思い出、身についたこと、友情の絆は人生の中でいつも生きています。

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