地元でのパラリンピックも終了 改めて障害者のスポーツや雇用を考える    「人財」

コロナ禍で1年延期、開催かあ中止か物議をかもした東京オリンピック、パラリンピックも何とか無事に閉幕しました。
オリンピックにも新しい競技が採用され注目されましたが、パラリンピックは今回初めてじっくり目にした方、初めて見た競技が多いという人が大半ではないかと思います。
なかなか日本では障害スポーツが注目、着目されることはまだまだ少なかったのでしょう。
オリンピックに比べれば地元でありながらも、オリンピック程のメダル獲得上位とはならず参加したことに意義のある競技も多いです。しかし前回リオのパラリンピックが金メダルゼロだったことを想うと関係者含めかなりの努力をされたのだと思います。
もちろん世界の多くの国がそこまで余裕というのか、社会全体に気が回る状況でもないでしょう。たった一人でアフガニスタンからやってきた方もいました。
パラリンピックこそが、勝利至上、国別対抗、メダルに拘らないオリンピック憲章を反映しているとも言われます。
障害者への社会の理解にとどまらず。人が人のあらゆる個性を尊重し、可能性が無限にあることを全ての人々に示し勇気づけているものだと感じました。
障害の内容や種類は違っても。自らが秘めた能力を限りなく伸ばし、羽ばたき輝くさまは感動的です。
そしてその人たちが、そこに至ったストーリーを聞いたり想像することもまた勇気や意欲、知恵を貰えます。
たしかに支援する方、理解してサポートされる方に恵まれたという幸運はあるかもしれません。しかし、逆にいうと健常者のほとんどは恵まれていながらも、そこまでの情熱で自身のスペックを出しつくし、成長させることなく凡庸な日々を送っているとも言えます。
パラリンピック参加者のストーリーの中には、健常者以上にきちっとした日常の素晴らしい仕事で成果を上げられている方もおられます。
障害者雇用の促進もまだまだです。大企業でさえ単なるノルマのように考えているケースもあります。
私が就職活動をした昭和末期でさえ身障者雇用法はありました。しかし。いかにもお涙かノルマで雇ってやっているという感じがプンプンでした。
私は物見遊山で友人に付き合ってある大手家電の説明会か面接かの場に行きました。
担当者が「弊社に努めておられるご家族はおられますか」という質問がありました。(今では多分禁止かと思われます)友人が「兄が身体障害者雇用法で御社の〇〇工場で働かせていただいています」と発言すると、担当者はさらっとスルーしました。いかにも「そんなレベルの話じゃなくて、どなたかコネになる偉いさんがいるのか」という質問のようでした。その後は何人かが、「自分の父が、叔父が、、」「役員やら、工場長、〇〇年入社本社総務部、」の話が出てきました。
友人が次のステップには行けなかったですし、私は家電には興味がなかったわけでその後は知りません。
私が入社した会社も粉飾で結局倒産しました。どこの会社もですが結局コネ優先なんかしてると日本を代表する大手家電も、粉飾やらでダメになりましたねその会社もそうでした。
パラリンピックの感動や、社会全体の障害者やダイバシティ、LGBTの問題等をいざ自分の会社、自分の部署となると、目先の採算や前例に捉われて、知らず知らずのうちにに無難な選択に見える『差別』と『無限の可能性の排除』を行いがちなのです。
実際に企業人事で、本当にマッチした人材を見つけるのもなかなかの苦労でしょう。しかし、それを繰り返せば経験も生まれそのことが当たり前になります。大手なら大手で会社全体のスケールで迎えられそれをやることが当たり前にできます。そのことがいろんな面で企業にプラスになり返ってくるはずです。
日本の沈みかけた企業の多くが復活するのは、「人財」といわれますが、こういう面からも可能性があります。

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