ドーハワールドカップで見える世界の国

 ドーハの悲劇、約30年を経ての歓喜と騒がれますが、その開催国カタールについて、想像はされてもなかなか実態はイメージできません。お酒も飲めない簡易宿の弾丸ツアーでスタジアムに駆け付けても観光はそれほどできないでしょう。人口250万人で面積は秋田県と同程度、大部分が砂漠の中東の国で、サッカーのワールドカップが開催されるのも驚きでもあります。2004年日本は日本各地のスタジアムで開催し、なおかつ韓国と半分づつの共催、4年後もアメリカ、カナダ、メキシコの共催だと考えるとカタール1国1都市の開催は異例です。

 ワールドカップは世界中の国の代表が集まります。総花的な競技紹介の意味合いの強い五輪や、世界的ではない野球の大会などと違うので、その開催国や対戦国に関しては詳しくピックアップされます。
 30年前のワールドカップ最終予選は、最近と違いホームアンドアウエーではなく、セントラル方式の一都市での集中開催でした。その6ヵ国が、結果勝ち抜けたサウジアラビア、韓国と、イラン、北朝鮮、日本、そして最後に引き分けたフセイン時代のイラクです。

 この最終予選最終戦まで5チームの2位以上の可能性がある大混戦で、最終戦前に首位だった日本が結果的に引き分けで韓国に得失点差で抜かれて3位となるいわゆるドーハの悲劇でした。しかし、イラン、イラク、北朝鮮と何とも濃いメンツがドーハのホテルに泊まっていたものです。

 その当時から、アジア地区のセントラル開催ができる競技会場や宿泊施設を有した国で、オイルマネーで潤った金満なイスラムの王国だったのでしょう。近年は天然ガスにシフトし、OPECは脱退して、メディア支配、観光にも力を入れているようです。

 ドーハの悲劇当時からは、30年経て政治も文化、産業も変化、進歩したでしょうが、イスラムの根本的な教えは変わらないでしょう。スタジアム建設などでの過酷な労働は人権問題として欧州各国からは非難もされました。それでも開催にこぎつけた国力は強靭なものです。

 厳粛なイスラムの戒律の中、ワールドカップを誘致できる、したたかな政治力と財力を持っています。

 国土のほとんどが平地で砂漠、250万の国民の8割がドーハという1都市に住んでいます。カタール人というのは中でも30万人ほどしかいないということで、他の200万人以上が移民、主に所得の低い労働階級になるようです。

 この構成はちょっと日本では想像できないですね。日本の場合、日本人という民族が大多数でアイヌなどの他民族、外国人系、移民の割合は極端に少ないですし、韓国や台湾を併合していた時代でさえ1割強の民族が国家を支配していた姿とは程遠いです。

 いったいカタール人が、どういう風に君主制を維持し、国家体制を護っているのか、参考にはならないまでも知りたいところです。

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